惚けた遊び! 

タタタッ

惚けた遊び!  ―2

2016年04月23日 | 哲学



神秘学徒にとって特別の重要さをもつのは、他の人間の語る言葉に耳を傾ける仕方である。この修行のためには、自分自身の内なるものを完全に沈黙させる習慣をつける必要がある。……繰り返し、繰り返しあらゆる事柄の中の優れた部分に注意を向けること、そして批判的な判断をひかえること。……自分の判断を差し控えて、その事柄全体について、心の中でも、外に向かっても、まったく確実な判断の根拠が得られるまで<沈黙>を続けたい……   
(シュタイナー)



生じてくる体験に対処する知的抵抗は治癒のプロセスの妨げとなりやすい。リアリティに対する機械論的概念、線形的時間の概念、あるいは、狭い原因・結果の概念にしがみついていると、それらは超個的体験の出現に対する強力な防衛機構に変わってしまい、そのプロセスを妨害する。   
(カプラ)



思考を生まれ出るままに放置する。新鮮な思考を浮かび上がってこさせる。新鮮な知覚が浮かび上がってこられるような空間をつくり出して、しかもそれを排他的なイメージに結びつけたり、無理やりに理性の触手をのばしてできあいのメタアァーに売り渡すのではなく、むしろ無作為のまま登録放置する。
(ギンスバーク)



イマジネーションのクリエーティヴィティーというか、そういうものにいちおう身をまかせて、自由に形象化……   
(井筒俊彦)



眠りが覚めた時、何か素晴らしいものが、頭のなかに形をとって現れたような、不思議な感動にとらわれた。それは分散した状態では何の意味もなさないが、秩序を得るとたちまち明確な意味を帯び始める散乱した混沌たる要素が合体し、熟しているようなものだった。   
(カルペンティエール)



変転していく自然の形態の背後に不変な純粋の現実があるのだ。   
(モンドリアン)



世界は神秘的なものね、それが分からないのはうわついた人たちだけ。   
(サバト)



天が下のすべての事には、季節があり、すべてのわざには時がある。   
(「伝道の書」)



僕自身の研究を了えていないうちは文献を読むことはできず、こまかい点をすべて満たすことができるのは書きながらということになります。……読まなくてすみさえすれば! このテーマの文献は、この通りで、すでに僕にはあまりにも多過ぎる。   
(フロイド)



道は言語のなかにある……   
(セングスタン)



説似一物、即不中   
(南岳懐譲)



書物そのものがこのような個人的伝授なのだ。   
(シュタイナー)



綾なす引用文の連続運動   
(山折哲雄)



一 惚けた遊び


必ず須らく心を境物に遊ばしめ、壊抱を散逸す。法を四時に取り、形を万類に象るべし。
   (空海)



あるのはただ失われたものを取り戻す戦いだけだ。   
(T・S・エリオット)



言葉や観念はすべて、それがいかに明らかに見えても、限られた適用範囲しかもたない。
   (W・ハイゼンベルク)



霊的な技法は自然に幼・少児によって発見されるのだ。つまり息をつめる。まばたきせずにじっと見る。さかだちをする、動物のまねをする、円を描いてまわる、ひとところにすわっている、夢中になってひとつのことばを幾度もくり返す―といったことだ。   
(S・シンガー)



音節のくり返しによって震動するリズムが肉体の中に生じて、霊魂の世界を呼び醒ますのである。
   (ムケルジー)



感覚からはいって刻みつけられたものが、いちばんわれわれの魂に密着するが、われわれの感覚すべてのなかでもとりわけシャープなのは視覚である。
   (キケロー)



カバラーの伝統は、秘密の雰囲気に包まれている。カバラーの内容は口頭で伝承された。これは聞き手の側で適切かどうかの判断を下すものとみなされていたからである。この口頭伝承の際でも直接的表現よりは、むしろ、暗示の技法が用いられた。それは各自が自分の解釈で完成させる余地を与えるためであるとともに、伝承を受け入れる用意のある者のみが、暗示を解し得るとみなされたからである。   
(D・バカン)



事実、概念を感知できるほどにまで描写しようとする執拗なイメージの回帰、おびただしい重複、イメージの連続、こうしたことの背後に<哲学的>性質の断固たる信条もまた存在しているのである。
   (P.ロッシ)



自然とか有形の事物を問題とする場合には、定義づけすらこの弊害に対処できない。というのは定義自体がことばから成り立っていて、ことばは他のことばを生み出すからである。
   (べーコン)



……われわれの言語は感覚や世界にしか対応しておらず、われわれの言語で記述した事柄は直ちにこの感覚世界の性質を担わされてしまうからである。   
(シュタイナー)



空想の働きは、実在するものから始まって進んでいくべきであって、心中のものから始まり進みいくべきものではない。   
(F・イエイッ)



神が御存知なら、なぜ私が知る必要があるのだ。   
(ローゼンシュトラオホ)



このことから、想像力の描き出した像が感覚で知覚される実在物により近く、より直接的に近づくほど、この術においては、その像はそれだけ一層確かで強力で、永続性があり、効果が増していくことになる。   
(R・フラッド)



われわれの時代においては、〈距離〉を維持する能力が、ときには、知的成熟の尺度と解される。
   (D・バカン)



アトランティスの人間は形象によって考えた。そして或る新しい形象を心に抱いたときには、これまで体験してきたさまざまな形象の中から、これによく似た形象をできるだけ数多く思い出しながらその意味を考える。   
(R・シュタイナー)



魂を開封し、魂を縛っている結びめをとくこと。   
(G・ショーレム)



これらすべては汝が机や筆を投げ捨ててしまってから、あるいは、汝の密なる思いのゆえに、それらが汝より落ちてしまってから起こるであろう。   
(アブラフィア)



それはラビの文書および『ゾハル』のパターンである。トーラーの隠された深い意味に達するためには、文章をその文脈から抜きとり、心的形成物の混合体を見つけるという方法を取る。   
(D・バカン)



夢を部分部分に砕いて示すと、患者は各部分に対する一連の連想を語ってくれる。それは、夢のその特定の部分の〈背後思考〉とでも言い得るものである。   
(G・フロイド)



名称にはいずれにせよ、常にどこか適切でないところがある。なぜなら、霊界の事象
を感性界に由来する言葉で表現しなければならないのだから。従ってただ比喩でしか語ることができないのである。   
(R・シュタイナー)



それから、彼の精神にとってより有益な聖イグナティウス・デ・ロヨラの『心霊修行』による瞑想と実践に移っていったのであるが、この書物は彼に、瞑想――あるいは祈り――を、前もって選んだひとつのイメージの上に集中させることを、つまり「場所を設定する」ことによって「家の中の気違い女」たる空想がわれわれの省察の中心とは関係のないテーマの方に逃げてしまうのを防ぐことを教えてくれた。   
(カルペンティエール)



記憶術における架空場所使用反対   
(R・フラッド)



わたしは通常、自分の記憶を特別に刺激してくれるような華麗きわまりない乙女たちを場所に配している。   
(P・D・ラヴェンナ)



ここで神秘的体験というのは、絶対者との――それが人格的であるか、非人格的であるかを問わず――対面・交流し合一の直接的で全人格的な経験である。それは突然来るものではなく、長い準備のすえに来るものであり、『霊操』(イグナティウス・デ・ロヨラ)はその過程の制度化である。   
(加藤周一)



熱中と恍惚における時間性の超出   
(梅原猛)



連想過程の制限とある一定の表層領域に向けられた注意力の持続的集中とが、覚醒状態での意志的努力では陽の目を見ることのない新しい考えの展開をも可能にする。   
(ローエンフェルト)



実際には二元性は存在せず、多元性は真ではない。   
(チベットの『大いなる解脱の書』)



われわれ西洋の思考においては、意識に発展段階があるといった考え方はほとんど何の役割も果てしていない。   
(ユング)



神が人間に禍を加えようとなさるときには、まず最初、ものを考える彼の知力を混乱させる。   
(ソホクレス)



私にはだんだん、まるで私たちの通常の意識が一つのピラミッドの頂点に位してるかのように思われてきます。私達の内部にある――いわば私たちの下層にある――そのピラミッドの基底は完全な広がりを持っているのでいよいよ深く下りていく能力があればあるほど、それだけ普遍的に私たちは、地上の、最も広い意味における世界空間的な存在の、時空を超越したできごとのなかに引きこまれていくように思われるのです。   
(リルケ)



学ぶことを断ち切れば、憂いまどうことはない。   
(老子)



この表面的な現実の装いのもとにその現実と矛盾する非現実があり、その彼方には反対物が渾然と入り混じって新しい形に向かって絶えまなく動いている。   
(R・マーフィ)



空間と時間のあらゆる分節化から脱臼することによって、世界は消滅し尽くし、平生の構えから抜け落ちた生がいまのここにまどろむ。   
(大室幹雄)



危険と辛苦と恐怖と死を求め、自分を緊張と警戒の高い状態に置いてくれる状態を求め精神集中の内的筋肉を発達させようとした。   
(C・ウィルソン)



四方八方に散乱しようとする心の動きを抑えて、老子が言っているように肉体の窓や戸口を全部閉ざして、つまり、外に向かい、外界の対象を追いかける心の動きを抑えて、意識の全エネルギーを一点に集約し経験的次元で働く認識機能、つまり感覚世界、理性などとはまったく異質の認識機能の発動をうながそうとする。   
(井筒俊彦)



己の自我を遠ざけよ。他者の姿を心に見せるな。   
(ジャーミー)



静観とは、注意力が高揚し、自我が完全におのれを忘れて対象の中に沈潜する状態。
(E・アンダーヒル)



何らかの熟慮された精神の集中化によって、心は<恍惚を開放する機構>と呼びうるところのものを寄せ集めることができるのだ。   
(J・C・ポゥイス)



何か、おそろしくとるにたらぬ些細な現実の出来事が過去につばさを広げさせ甦らせるまでじっと待っていなくてはならない。   
(D・マカーシー)



この特異な精神状態は彼の生きた時代の社会ではシャーマンの憑依にのみ見出される現象である。外界が消滅し意識が寂漠として透徹するシャーマニックな喪我において残されているのは詩人の生命だけである。   
(大室幹雄)



彼(ランボー)が家を飛び出さなかったというのも自分自身に向かって加えていた精神的な労作こそ何ものにも増して重大であると判断したからであり、どんな口実を以ってしてもそれを中断したくなかったからである。   
(J・イザンバール)



……絶体絶命の窮地に追いつめられて、かれの全存在が反応した。かれはもはや解くべき問いもなく、敵に立ち向かう自己もないことを感じた。かれの自己が、かれの知性が、かれの全存在が問いの中に注ぎ込まれた。言いかえれば、かれはいまや問いそのものとなった。問う者と問いの区別、自己と非自己の区別は消えてただ一つの未分の「不知なるもの」があるのみであった。この「不知なるもの」の中に、かれはとけ入った。   
(鈴木大拙)



超能力を扱うには、まず、それにふさわしい精神の安定と感性の安定を得ることが必要だ、心の中からあらゆる日常的世俗的雑念を払いのけ、さざ波一つない森の中の水面のように、心を静寂そのものに保ち、透明な安らぎを得なければならない。精神を完全に浄化するのだ。精神を完全に浄化すれば、とぎすまされた鋭敏な感受性を保ちながら、それが外界からいささかも乱されることがないという状態に入ることができる。   
(M・ミッチェル)



われわれは陶酔において時間を抹殺する。   
(ヘルダーリン)



どんな体験をしても、その体験が体験者にとって有意味である場合もあれば無意味になることもある。その違いは、その体験に対して心を開くかどうかにかかっている。体験に対して心を開かなければ、どんな体験もメカニカルにすませ無意味に終わらせることが出来る。   
(R・シュワイカート)



覚醒時の世界の沈殿した経験は、こうして一言で言えば分解され別の方法で再構築される。自我は手持ちの経験を説明のための一貫してぴったりと統合された枠組みとして寄せ集めておく必要がなくなる。
   (A・シュッツ)



人間のなす如何なることにも、トレーニングとか陶冶とかの方向が開かれていること、そしてその方向に入ることは恒に或る「かた」へ自らを限定するといふ意味を持ち、従って逸脱する自己を矯めるといふ苦痛を伴ふということ、人間の存在に本質的に含まれているさういふことがあるということ。   
(西谷啓治)



ただわが身をも心をもはなちわすれて仏のいへに投げ入れて仏のかたよりおこなわれて、これにしたがひもてゆく。   
(道元)



わたしはしばらく前から、まるで玉ネギの皮を次々にむくようにわたしの全ての属性を一つまた一つと次々に自分自身から剥がすという手術を自分で施してきた。   
(M・トゥルニェ)



三句の外に透出せよ。   
(百丈)



ここで極めて大切なことは、老いてゆくことを人間の成熟への道として明確に把握していることである。あるいはインドにおける四住期の考えなども老いてゆくことが評価されており、老いることによって自己実現してゆくという考えを示すものだろう。   
(河合隼雄)



狂気に走ることは、ただ自分の正気に完全な確信をもたない人にとってのみおそろしいことなのである。   
(A・マズロー)



実在する事実を新たな力へ、想像力へ高めること。現実を夢想の高みに昇進させ、実在する事実をそれ自身の神話へ一変させること。   
(M・トゥルニェ)



現実は過ぎ去る。私は法則を求める。   
(ロートレアモン)



諸の連鎖は、現実の継起の論理的秩序とはまったく異質な連想という手段によって行われる。
   (F・ド・サンドーニ)



孤独と省略と仄めかしのカオス   
(不詳)



情緒をおこす主体と情緒をおこさせる対象とは不可分の綜総合のなかに結合されているのであり、情緒とは世界を把握する或る把握の仕方である。   
(J・P・サルトル)



魔術的とは、自発性と受動性との非合理な結合……   
(アラン)



それは分散した状態では何の意味もなさないが、秩序を得るとたちまち明確な意味を帯び始める散乱した混沌たる要素が合体し熟しているようなものであった。
   (カルペンティエール)



衝動で動くものと決断で動くものとの出会い。   
(アストゥリアス)



第一に現実と空想の混交であり、第二に現実的なものの非現実的なものへの転換であり、第三に時間と空間のデフォルメされた観念を創造するものである。   
(E・D・カーター)



空間的思惟の硬い諸概念を以ってしては到底これを理解することは出来ない。従って現実との生ける接触なる概念は定義によるよりも、むしろ比喩によって明らかにすることが出来るであろう。   
(ミンコフスキー)



人間の精神には、生と死、現実と夢想、過去と未来、伝達可能なものと不可能なもの、高次のものと低次のものがもはや矛盾するものとしては知覚されないような瞬間が存在する。
   (A・ブルトン)



当人は自分の感情を絶頂まで高めてゆき、しかし同時にそれが身体にあらわれて脈拍を速めたりなどしないようにおさえておき、そしてその上で突然に高まった感情に身体を思う存分に支配させるのである。   
(スターバック)



私は平静で、ほとんど受動的な享受の状態にあり、積極的に考えることなく観念や心象や感情がいわばひとりでに私の心のなかを通過するに任せていた。そのとき突然、なんの前触れもなしに、私は炎のような色をした雲に包まれてしまった。   
(R・M・バック)



これだ、これだぞ!   
(A・ワッツ)



選ばれた対象を曖昧な夢想に耽ることなく冷静な集中をもってみつめよ。他の一切の事実を意識から排除せよ。考えるのではなく自分の人格をその対象に流入せしめること。つまり魂を目に移すことをつとめよ。そのとき、ほとんど一瞬のうちに外界の思いもうけなかった特性が感知されるであろう。
   (E・アンダーヒル)



身体と身体が触れ合えば、身分や肌の色の違いなどという卵の殻みたいな約束事は他愛もなく崩れてしまう。   
(フォークナ)



アポロン的秘儀の特質は、感性を活性化することによって、対象の印象をイマジネーションにまで持っていくということ。   
(高橋巌)



かように、睡眠不足と飢餓による倦怠感で恍惚状態に陥って、意識下の活動が刺激され、霊界との円滑な交通をはかる方法が利用されている。   
(劉枝万)



人間の能力の壁につきあたると、彼女達(ゴミソ)は超自然的力としての神仏に非合理的にすがっていく。   
(楠正弘)



不動の呪法を修する行者は護摩をたき、真言の呪を唱えるうちにはげしいトランス状態に魅き入れられ、かくしてみずから不動明王へと人格転換をとげる。   
(山折哲雄)



御木本徳一(PL教団)は、むしろ、「ああ、そうか」と積もる悩みが一挙に解決し、心が晴れ晴れとなった状態の無感動的恍惚に基づいているものであった。小谷喜美(霊友会)の修行は体系のないただひたすら肉体的精神的に自らを極限状態におくことによって、因縁の理を解いていくものでしかなかった。
   (藤井正夫)



私がそのように次第に沈んでしまったときに、突然無限に遠いところから何かが私の方へ流れてきた。深い核心と安心感で私を満たす何かが、私の方へ流れてきたのである。温かい愛と慈しみの海が私を四方から包んだのだ。あの無限の彼方から、私の心の奥底を照らす明るい光線が私に向かって流れてきて、私はことごとくその光に包まれてしまった。私のいっさいの苦しみは全く消え失せた。私は根底から新しく生まれたような気がした。そして、私はどこにいるのかということにも気がつかず、ただあの温かい愛の流れだけを感じていた。遂にその光の流れは少しずつ退いたがその後でも長い間、いわば遠い所から私を支えとらえているかのようだった。   
(G・ワルター)



華厳の地論には果分不可説と述べ、法華の止観には秘教不能伝と談ず。空論にはすなわち第一義の中に言説なしと述べ、有宗にはすなわち真諦の廃詮談旨を配す。かみ、応化の経より、下、論章疏にいたるまで自証を韞んで説かず。   
(空海)



不可説の絶対者を言いあらわそうとする場合、その言語表現は否定的表現、もしくは矛盾的、逆説的表現、または象徴的表現をとらざるをえない。   
(宮坂宥勝)



自分が合掌したままの姿勢で立っているのであるが、すべてがモウロウとしてしまって、自分が今いったい何をしているのか自分自身で判らなくなってしまう瞬間である。
   (下山徳爾)



われわれを完全に導くもっとも早い道は苦悩である。
   (トマス・ア・ケンピス)



本能が活発に働くとも、内的視野の中に、強度の情動的エネルギーに充たされたファンタジ-像が現出する。それは人格のすべてに働き魂を特定の方向へ衝き動かす。   
(フォン・フランツ)



長い間の身を入れた労作の後、魂の中に突然、恰も光が閃くように火が点ぜられ、それから独りで燃えて行く。   
(ルター)



もっと秘めやかで伝え難い秩序があるのではないか。   
(コルタサール)



人間であることを止め、新しい知覚に自らを開くこともできる。人間とは何かを知ることが奇妙な古くさい考えでしかなくなる時代もそう遠くはないだろう。   
(フェンテス)



古代および古代東方の諸宗教とインドおよびギリシャにおいて形成された永遠の回帰の神話的哲学的観念に対して根本的変革をもたらしたのはユダヤ教である。ユダヤ教にとっては、時間は初めと終わりを持つものである。循環する時の思想は棄て去られた。   
(エリアーデ)



詩は純粋な時間に到達する道、存在の始源の水の中に身をひたすことに他ならない。
   (O・パス)



私たちの現在の意識の世界は存在している多くの意識の世界のうちの一つにすぎない。
   (W・ジェイムズ)



物はそれを知覚する人からは分離することはけっしてできないし実際に即時的に存在することはけっしてありえない。   
(M・ポンティ)



きみは学問のためによくボローニャへでかけたね。それで、きみの頭は疑問がいっぱいつまっているだろう。ここではね、けっして問わないことになっているのだ。私たちは確信の領域に入ったのだ。
   (カザンツァキ)



世界の本質的な性質を見る最も有効な方法は、能動的であるよりも受動的になることであり、できるかぎり見ている対象の本質的構造により決定せられ、なるべく認知者の性質が介在しないことである。
   (A・マズロー)



見るには、全精神を絵に集中しながら、一方で心を虚しくして、そこに訴えかけてくるどんな微妙なものにも反応できる深い受動の状態に自分を置かなければならない。そして、このきわめて能動的であると同時に受動的な矛盾した待機の時間のなかで、やがて、海底から伝わるネレイデスのざわめきのような円なる声を捕捉するのである。   
(保苅瑞穂)



思想の出る幕ではない。降神術的合一は独特の方式によって執り行われる言いようもない降神術の所作によってしか達成されないものであって、この所作はおよそ理解の域をだっしたものなのである。
   (イアムブリコス)



彼が少し頭の方向を変えれば、その時まで抽象であった何ものかが、突然現実に点じる。
   (C・ウィルソン)



願望や衝動、欲望などという概念は厄介者扱いされてきた。   
(A・マズロー)



〈現実的なもの〉とは、それぞれの瞬間が他の契機から切り離せないばかりでなく、いわば他の契機と同義的であるようなあの環境、もろもろの〈局面〉が或る絶対的な等価性のなかでたがいに他を意味し合うようなあの環境である。   
(保苅瑞穂)



準備と潜伏の過程が十分に長く先立っていれば、わずかな刺激が加わっても心を新しい均衡状態にもたらす。   
(W・ジェイムズ)



人間を気狂いにするもの、それは論理だ。   
(チェスタートン)



決定できないところまで持っていくことによって、受容の不思議が成就する。   
(W・ジェイムズ)



なんじ自身が、なんじの探求の対象なのだ。   
(ブラヴァトスキィー)



誰もまるきり考えたことのないような物が、私たちの注意を一度も惹いたことのないような関係が、名も知れない混沌の状態で無限に横たわっている。   
(W・ジェイムズ)



我々が極度の絶望状態におちいった後、新しい生のゾーンが開けるという現象……
   (W・ジェイムズ)



ある春の朝、私は散歩に出た。野は緑で、小鳥がうたい、露がかがやき、煙が立ちのぼり、そこここに人の数が見えた。すべてのものが光の中で姿をかえているようにみえた。
私がみわたしたのは地球の一部分にすぎない。その時は地球の歴史のほんの一瞬にすぎなかった。けれども、私の視線が地球の上をひろがっていくにつれて、次のような考え方は、美しい観念であるのみならず、きわめて真実で明白な事実であるように思われてきた。
《地球は天使である。豊かで新鮮で花のような天使である。しかも空の中を着実に歩み、
その生き生きとした顔を天に向け、私もその天に運んでくれる。》   
(フェヒナー)



私は自分自身から自己を作り出さなければならない。   
(アンネ・ラウ)



実在の陰影は、どんな言語もありのままに表現することは出来ない。
その幽暗の世界からどれだけのものを浮き出させ背後の深い闇を感じさせうるか、
これが哲学者の偉大さを決定する。   
(桝田啓三郎)



いわゆる経験的世界こそ秘密である。永遠に隠れた何ものかである。
反対に絶対的真実在は永遠にあらわなるものであって決して隠れるということはない。
   (イヴン・アラビー)



意識の表層しか活動していなかった間は確固たる《もの》として現れていた事物が《もの》性を失って流動的になってくる。それにつれて《もの》の性質・属性・関係・本質等の固定されていたものがだんだん流動的になる。更に三昧に入ると《もの》の世界は流動化し、《もの》の本質がまぼろしのようにはかないものとなり、それらの本質の形成するものの輪郭がぼけてくる。こうして全てが透明になり、いわば互いにしみ透り混じりあって渾然たる一体になってしまう。かっての事物の痕跡もなく無となる。見るものも見られるものもない。主体も客体もなく意識も世界も完全に消えて無を無として意識する意識もない。消滅の消滅、純粋な無、絶対的な無。主体的意識が観相状態の究極において完全に消滅して無となる。
この意識のゼロ・ポイント、絶対無、実在の絶対無文節の状態。内部にまったく分節されていない区別されていないまったく限定されていない状態。実在のゼロ・ポイント。   
(井筒俊彦)



俺達にはふとすぐ目の前の或る思いがけぬ一点に目がとまると、そこにしばらく目がとまったまま、それがそこにそうしてある深い意味が、どうやらついに会得できてきそうな、いってみれば、全身が不意に隅から隅まで透き通ってしまって、こちらからそちらへ― 一種全的な霊性状態へ何時のまにか移りいってしまったといった極度の放心と緊張の事態がその頂点で微妙に融合しあった瞬間がある。   
(埴谷雄高)



定はすなわち想をやめてもって心を凝らし   
(法然)



今日、一件に挌り、明日また一件に挌る。積習するところ既に多く、而して後、脱然として自ら貫通するところあり   
(程伊川)



心を擬する、とは意識のエネルギーをある一定の方向に向かって緊張させ、その先端に一つの対象を認知すること    
(井筒俊彦)



万象篭羅すれども住まらず   
(円悟克勤)



五大皆有響 十界具言語 六塵悉文字 法身之実相   
(空海)



断定と否定の彼方にある境域で、一種の活性化された宙吊りの状態   
(O・パス)



二元論的な世界理解は、必ず現象論的な世界理解、要素論的な世界理解になり、生命を物質の壁と壁で孤立的に閉鎖されているサークルとして把握するようになる。   
(金芝河)



十住心の各段階について、かれ(空海)はあまたの先行する経典、典籍から博引し、綾なす引用文の連続運動を展開している。   
(山折哲雄) 



物我両つながら忘る   
(張彦遠)



知るのは予見するためであり、予見するのは為し能うためである。   
(O・コント)



手でふれ、中身と指示の文句を読み上げ、製造場の名を声に出す。もうひとつのことを忘れるためにこれらの事物にしがみつくのだ。もうひとつのもの、名前もなければ、しるしもない、とらえどころのないものを忘れるために。   
(フェンテス)



すべてが一挙に更新する危機の時間がある。古い殻は剥落する。そういう苦悩のおりには、人は万事終わったと信ずる。しかもすべてはこれから始まろうとしているのである。
一つの生命が亡びてゆく。がもう一つの生命はすでに生まれている。   
(ロマン・ロラン)



実際のところ、この方法、つまり故意に刺激、興奮、いや危機さえも探し出そうとするやり方は、「われわれのうえに重く雲がのしかかっている」という感じから逃れるためにわれわれが好んでやる人間的な工夫の一つなのである。   
(C・ウィルソン)



君の歳の頃、ぼくは困難、危険、恐怖、死を求めたものだ。
自分の中の生命をもっと激しく感じたかったからだ。   
(B・ショウ)



述語は永遠に……   
(高野 義博)



けれども人間はあらゆる種類の感情を体験する必要があるのです。   
(グルジェフ)



私たちの意識は対立化された差異しか受け付けないんです。ですから、そういう意味で差異化の能力も認識も失ってしまった失語症患者の場合、森羅万象がカテゴリーの枠をはみ出して一度に押し寄せる大変な混乱の中に投げ出されるわけでしょう。   
(丸山圭三郎)



ランボオもマラメルも、超人的とも言える規律を自分に課することによって、それに迫っていった。言わば行者になったのだ。それくらいの自己放棄と集中力がなければ、われわれを取り巻く地上の物象は、容易に日常の殻を破って見せないだろう。   
(三浦清宏)



おれに話しやがって――どいつもこいつも――おれの上に荷車の馬みてえに重くのしかがりやがって
   (D・バーンズ)



―続く―

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