「年の順番よ。」私の兄弟は 12名 大家族の中で 育てられてきたから、
みんな 屈託がなく いつも それは にぎやかなものであった。
長女・長男となると 兄弟というより 親子ほども年が開いているから 忙しい
両親に代わって 親代わりを勤めていた。
長男は 小学校の教員をしていたが 戦争の最初の犠牲者となり25才の青春の
真っ盛りも 知らずに 戦死してしまった。次男 三男と 国家に命ささげてあの世に
入ってしまった。兄たちに続けと 私も17才で 海軍特別練習生として軍隊に入隊した。
「帰ってくるときは ここだよ。お前の席はここだよ。涙ながらに 母はあにたちの
写真が並ぶ床の間を指差した。不思議に靖国神社という言葉はなかった。
確かに 戦争は「年の順番を狂わせていた。
姉が年の順番よ。という意味が切なく伝わってきた。只今4名になってしまった。
昨日の電話は 其のことを 予感させるような 電話だった。
「45㌔あつた体重も 最近では39㌔に落ちてね。疲れるのよ。食欲・・・・
それでね、明日から 入院することになったの。」
「なにがあっても 驚かんでよかよ。年の順番だからね。」
串の歯が欠けるようにひとりまた一人旅立っていく。思えば長い仮の宿住まいだったね。
もう 日がくれる。どれ この俺も 帰り支度にかかろうか。