実践教育

2014-06-24 20:46:44 | 日記

わたしは 40年 私立の高等学校に勤務させてもらった。生徒や先輩。上司に恵まれ

とても有意義な生活を 毎日 送らせてもらった。中途就職だ。一般の会社からはいって

みると 学校というところは 全く異色なところである。大學卒業して学校に入職した時点で

先生と言われるのだから お茶くみから鍛えられた 私には まごつくことが多かった。

もっとも,教頭も証券会社からの転身組であるか、校長も小学校の教員から 廣島 京都

大學を得て 旧制専門学校理学部の教授であるから ちょっと学校の雰囲気は違う。

最初 驚いたのは 朝礼のとき 国旗掲揚が行なわれることだ。当時は占領軍の施政か

にあって よく 黙って許しておいたものだということと やかましい日教組の先生たちも

文句一つ言わなかったのか。将に校長の経歴と人徳によるものだろう。

空襲で 徹底的に破壊された 街の復興は大変だった。当時は私立学校は国から

補助金を受けることを 嫌い避けていた。教育について 国家の干渉を避けるためである。

本来教育は聡有るべきものと思う。それぞれに建学の趣旨というものがあって 其の柱の元で

生徒指導が行われた。しかし、戦後 国は私立学校に対して 採用幅を拡張してくれるように

依頼してきた。これが私学助成の始まりである。

方々に散らばっていた 生徒たちも学校に帰ってきた。特にベビーブームの生徒たちが入学

してくるときなどは 一学級80人もの詰め込み教育だ。生徒総数も4000名を越した。

 

 

 

 

昭和30年初めて修学旅行で生徒を引率した。初めて東京のすさまじい廃墟振りを見て驚いた。

上野の小山から銀座まで見通せるというのにも驚いた。

当時、男子生徒を担任していたが まったくの無地帯のようなものだった。荒れ果てた学校

を立て直すのは大変だ。軍隊から帰って間もないから 気合は入っている。当時は

陸士・海兵出身者が多かった。生徒たちより猛者出なければいけない。

しかし、悪でも向き合って話せば解ってくれた。

『先生 ここいくら磨いても 光らんよ。』

「なぜだ。」『材料が杉板だもの。』

『そういう風に決め付けて 逃げる気持ちになるから お前たちに 身嗅がせているいるんだ。』

其の子達ももう75を過ぎた。

当時 散々苦労して 教育の再見に取り組んできた 同士も一人 また一人と消えていく。

「教育の結果は50年も先の話だからなあ。」 ある先生の教育法を非難されたとき

其の先生をかばった教頭の名言を思い起こす。


平均点 男

2014-06-24 18:58:05 | 日記

「あいつは なにをさせても 平均点 しか取れない 奴。平均点男というのかね。」

人との付き合いも、いい加減で 先方が親しくしてくれれば 其れなりに人にお返しもするが

ちかずかない人に 無理にちかずこうとすることはない。」

「くるものは拒まず、去るものは追わず。」これが彼の生き様である

それに反して 彼の兄貴は 優等生で 無口で あったが両親からも 学校の教師からも

信用されていた。母親としては この頼りない平均点男が 優等生の兄に少しでも

追いついてくれればと思って 兄を手本にするように 厳しく言いつけていた。

6才も年が離れているから さして トラブルも起こらなかったが 平均点男の頭の中には

兄を手本するなんて 考えは ただの一片もなかった。両親や先生たちを驚かせたのは

平均点男が 優等生兄貴が避けていた県下で入学が困難な中学に苦もなく合格

したことだ。将に「晴天の霹靂」というのだろうか。

だからといって 差別が消えたわけではない。平均点男の下宿たるや惨憺たるもので

あった。倉庫の二階になっていた。倉庫は薬品会社の倉庫だから 火薬の上に

寝泊りしているようなものだ。二回は三面カラス窓だが 台風で割られて 冬には部屋の中30センチ

雪が積もっていた。布団を真ん中に寄せて仮眠を取った。

平均点男はそれでも一言も不満を言わなかった。あるとき叔父が尋ねてきて現場をみて

驚いた。叔父が実家に怒鳴り込んで 事の真相が両親にわかったらしい。すぐ下宿は

を変えてくれた。

平均点男は尊敬する先輩が 海軍兵学校をえて 戦艦大和の砲術長として最後は大和と

ともに壮絶な戦死を遂げるのだが、彼も先輩の後を追って海軍機関学校に入学した。

そして、終戦を迎えた。

優等生兄貴もビルマ戦線から生還した。両親は彼を手許から放そうとしなかった。

しかし母は平均男のほうには「郷里を出たからには 二度と郷里に帰ってこないでおくれ。」

平均点男は其のとき涙が流れた。

優等生男は いつも不満だった。俺も外に出たかったのを我慢した。お前はしわわせだよ。

思い通り自由に生きられるんだから。こんなことならビルマで死んでおれればよかった。

優等生兄貴は初めて本音を吐いた。

「兄貴、甘えとる。ビルマがひどかったのはわかる。でもな おれ誰にも言っていないが

大阪大空襲のときなど 命からがら逃げ回ったのよ。内地も大変だったんだ。みんなが大変だったんだよ。

優等生の兄貴は 気にやんでいたが80才でなくなった。

平均点男は 世のなかで、もまれているうちに 平均点の難しさがわかった。

現在86才。90才を狙っている。

平均点男といえば 聞こえは多少良いが 要するに ぐうたら

ということだ。ぐうたら人生とでも言うのだろう


弱い犬ほどよくほえる。

2014-06-24 14:21:25 | 日記

大変勇ましい こえが聞こえるじゃないか。

「弱い犬ほど よくほえる。」というからね。

「売国奴 売国奴 と意味もなく 叫ぶ。」

だいたい 戦争の 体験も してない奴らが多いんだね。

戦場となるのは 今 この場なんだ。

自分の親兄弟・親戚・友人が 吹っ飛んでゆくんだ。むむむ

この世の 地獄図 そのものになるんだよ。

一日中 空からは 焼けた衣類や 子供の教科書が降ってくるんだ。

晴れているなのに お日様見えないんだ。

道には 異様な臭いが 立ち込めるんだ。

むくろが そらそこにも そらここにも 

まるで方向感覚がなくなるんだ。

建物も 全部 焼け落ちて 残骸をさらすのみだ。

すっはだかの 子供が わんわーん泣いているんだ。

どうしようもないんだ。

みんな 黙って通り過ぎるんだ・

みんなの目は うつろなんだ。

国民の生命財産を守るといっていた 総理大臣は とっくの昔 亡命したのだ。

亡命先から 「日本国民よ立ち上がれ。」って叫んでいるんだ。

この島国の 日本から 逃げ出すことはできないのである。

売国奴呼ばわりしていた奴が 寝返りやがって日本滅亡と叫んでるんだ。

多母神どこさ 消えた。石原どこさ消えた。ありゃりゃ創価・公明

維新にみんな消えちゃった。

こんなもんだよ。