幾たびか 死線を 越えて

2014-07-21 22:34:10 | 日記

学校から 帰って かばんを 放り投げて 遊び仲間の 昭平を誘い言った。彼は手伝いで家にいなかった。

仕方が無いから 一人で川遊びに行った。川上の堰のそばに 深みがあることは 知っていたが 其のそばに

川えびの生息地がある。夢中になって えびを 追っているうちに 足を滑らせて 深みにはまってしまった。

恐怖で姿態は自由を失ってしまった。「ワーとか ウー」とかいってばたばたしていたんだろう。

めったに人が通るところではない。苦しいという感じは意識のある間は有ったろうが 何もわからなくなっていた。

気がついたら 昭平のお父さんが 一生懸命まッ座時をしていた。思い切り泣いた。「何で一人でこんなところに

記なさった。』大変お灸をすえられて 家に連れ帰ってもらった。

それから、2,3年たった。いたずらが過ぎて 父を怒らせてしまった。父は長兄に命じて 私を柱に縛り付けさせた。

換算とした 夏の暑い日だった。そこえ 暇をもてあました いたずらっ子の姉がやってきた。

私を見つけて げらげら 笑っている。「こいつ 縄が解けたときを覚悟せーよ。

おてんば 周は 床の間の長兄の 空気銃和見つけた。悪魔に見えた。銃を構えて「「死刑執行」といいながら

引き金を引いた。一瞬 姉は銃を放り投げて 泣き出した。

私の頭の上の柱に縦断が 突き刺さった。祖母がおくから出てきた。

祖母は 私の縄を解きながら 父をよぴ゛に行かせた。父親があわてて帰ってきた。

ほんの一瞬野出来事であった。この話はほとんど誰も触れなかった。

姉の口からぽろっと当時のことが話された。長い間 気にしていたんだ。

こんな話はほかにもあげれば数知れず。ほんと 仕方ない奴だったんだと 自分を

振り返るときが最近多くなった。回顧趣味はあまりいいことではないな。


結果は正しかった。しかし、手段は最悪の状態を迎えた。

2014-07-21 21:05:50 | 日記

政治に対して 無関心で すごすということは もつとも 無責任な 生き方ではない。

民主主義はそういっている。 そんなに 政治というのは 下等なものだろうか。

で、無くて 政治を 面白くしてない ものがありはしないか。

国民と国会のあいだに 間仕切りをして 国民が あまり真実に接近するのをさける仕掛けを

しているのではないか。

かって 民主党の 党首選挙で 小沢 菅のいずれが決定するという 当日 小沢が予定に無い

第五検察審査会の 突然の 発表があり 混乱の中で菅の投手決定が決まった。

其の後は 民主は坂を転がるように 転落のシナリオへとすすでゆく。・・・・これも何かできすぎのけったいなものだった。

集団的自衛権の閣議決定の前 総理は各報道各社代表と食事会を開いて強力を求めた。

安倍総理は 九州では悪名高い九州電力の貫会長と 食事しながら

「川内はどうにかしますよ。」と言った。

総理官邸を抜け出した総理の行き先はoos党のoo会長のところだった。

こんな 政治にかかわる 噂話が 飛び交う。全くデマだったり。本との話だったり。

それでも 国民は そのような 噂話で投票を誤っては成らない。

世論調査ほど あてにならないものは無い。目先のことはおよそ 想定できる。

選挙結果などには 役に立つかもしれない。

日米戦争の可否を開戦前に 世論調査したら 多分100%ぐらいで 開戦すべ氏という結果が出ただろう。

その結果は 300万人を超える 犠牲者と 瓦礫と化した 日本があった。

世論調査を見るとき世論に従うことが 民衆の期待にこたえるものであるにせよ 国家を害する場合もある。

そういうことを 思い巡らせて 投票すべきである。

民主党の子供手当てを 税金の無駄と呼んでいた与党の政策で 財政赤字は117兆円も膨らんだ

それくらいの財政赤字で日本はびくともしないというけれども、そんなはずはない。

さらに来年の消費税10%を見越しての法人税の税率を下げた。

その結果は 国民生活に向かって返ってくることを覚悟しているのだろうか。其のときは安倍政権は

存在しない。じゃだれが責任取るの。それはマスコミだよ。

 


道徳教育 は政治家や学校の教科書ではない。親から子への伝承だ。

2014-07-21 09:34:37 | 日記

学力テストなんかほっとけ。でも競争は大事だよ。

自分の得意なもので 競争したらいいんだ。

しかし 競争するということは 時に脱落することもあ

だからといって、落ちこぼれになって 自分を嫌な子だと思ってはいけない。

一生かけて やればたいてい大きな仕事に夏照るものだ。

『マイペース』という事を忘れるな。

愛国心を持ちなさいといわれるけれども 愛国心はそもそも何なのか。

私は私立学校を出た。ここは文部省の影響を受けない。

設立の趣意書かある。

理事長が財界主催の懇親会に出席した。財界の方が私立学校の理事゛長さんたちに

対して 「どうぞ 生徒さんたちを 企業が求める人物に教育してください。」

と言ったとき わが理事長がすっくと立ち上がって 「私どもは企業に都合のいい

人間輪教育しているのではありません。」

こういう気概をもったしりっ学校が 税金を受け取るように成ってから

意気地ない経営者が 東大入学率NO1とか医って生徒集めをやっている。実に哀れではないか。

強いリーダーの元に弱将なし。新年度で著名な進学校のこうちょうか゛迎えられた。就任挨拶で

『私が40年間公立学校で習得した経験を皆さんに分けてあげたいと思う。」

そして壇を下りると 同時に校長が壇上にあがつた。「oo先生に申し上げる。この学校では

先生が体験されたことは要を足しません。40年の経歴はすっかり忘れ寝初心に帰って

私立学校での教育の喜びを堪能してください。」と話した。官尊民卑野激しいこの地方には

いたい忠告であったろう。


 

 


こんなコミュニティーがあればいいのになあ。田舎ならできる。

2014-07-21 09:00:17 | 日記

家の中で 熱中症にかかつて なくなるという 老人 子供たちが 悲惨ですね。

建築様式が 昔とは変わって 密閉型だから風とおしも悪いし、室温もあがりやすい。

だったら クーラー入れたらいいよ。なんてのんきな子といっていられないの。

実際、独居老人 数万円の年金で クーラーなんか使う身分ではない。

われわれが小さいころは 漫画 ターザンの世紀であるから 野性的暮らしに

あこがれる。

東シナ海の海に 飛び込んで すもぐりの訓練を押しさんたちから 教えられる。

天然の貝類ね魚類 袋いっぱいつめて帰宅する。

早速 夜のしたくが始まる。おじさんたちが 縁側で車座になって

酒輪の見ながら 歌い踊る。一段落するころは われわれはもう夢の中である。

子供たちは 土この家に言っても わが子と同じ待遇を受ける。

泥棒が入ることなんか ほとんど無い。夏も開けっ放しである。みんなが

応分の暮らしをしているから、貧乏にも悲惨さがない。

郷士制度といって 武士を農作業をさせ 其の合間に武術戦略など

一応の武士の素養を見に付けさせる。いざ鎌倉というときはね其のごとに

編成されて戦場に向かう。こんな制度だ。学校はもちろん存在するが

郷中教育といって今風で言えば 塾でもないか。大人も子供も車座になって

話し合いをする。礼儀、漢文の朗読、そろばん武道、農業・漁業を学ぶ

舎中教育という。