石の上にも三年。とか桃栗三年柿八年。どんな仕事についても 我慢が大事だよ。
そういわれて、集団就職して よしここで頑張ろうと したところ 最初に指示されたのは
社長の御めかけとの連絡員だった。あまりの馬鹿馬鹿しさに 一旦はやめようと
決心したが、石の上にも三年を思い出して 踏みとどまった。
三年目がやってきた。この年予期せぬことが起こった。会社が不渡り出したのである。
会社も自然退職寸志をもらってふるさとに帰ってきた。
アルバイトみたいなところで働いていたが、何しろおめかけさんの連絡員まで勤めたもの
年季が入っている。そこの組合職員に採用された。
組合運動に熱中して やがて組合推薦で市会議員に当選した。
人当たりはいいし、面倒見がいい。主義主張がしっかりしている。
ついに与野党の新を受けて 市会議長職に就いた。
高校受験を前にして 彼は原因不明の病にかかった。外科手術では市内随一
といわれる病院で 快復手術をした。しかし、その結果 担当医はもう手の施しようも
有りません。後はこのまま 閉じて経過を見ます。といわれた。
兄から緊急の電話が入った。急遽病院に駆けつけると 兄が真っ青な顔して
[駄目らしいよ。」と涙なかした。
そんなはずはない。死ぬや巻いたぜったら別の病院で検査してもらいましょうということで
大學病院に依頼した。
驚くべきことだった。教授から異常はないですよ。という診断を得た。
一体なんだったのか。
成績が悪いと 兄がしかりつけるとけろっとして[末広がりじゃ。
末広がりじゃ。ふざけていたそのこは もう70才になろうとしている。