熟年離婚! 「あきらめ」か「別れ」か、解決の方法は?
ことしは 戦後70年だそうである. わたしたちの結婚も戦後まもなくであったから やがて70念をむかえる
日も近いのだ言うのに この間 逸別れるか 今年か来年が きわどい 一線を まあよくも 続けたものである.
究極 子供のためでも なさそうである. 結婚して 元気で働いて 金をかせいでくる間は 子たちも 偉く孝行な
子に見えるのだが 意味になってみると 男親なんか 嫌だね
妻のしつけの徹底振りが想われて一人苦笑する それでも 離婚が俎上に上ることがあっても ゛んざいも
続いているのは 体面と 独り身になったときの 自分の哀れな姿を知っているからだ.
とくに わたしたちの場合は 単身赴任という履歴もあったから こうして過程にもどってみると 老人の引きこもり
なんて ニュースにもならない.
もつか 死んだときのみとを話す段階である 「どうせ 人間 死んだら ふたたびあうということはナイはすである」
元の鞘に収まるだけの話だ.
諦めとか 別れとか そんな感傷の都市でもない.夫婦の離婚などあわてなくても そのうち 仏様が裁いてくださる
それに従うのがしぜんである.
其れと 市役所に「離婚届の用紙下さい」というのも こっはずかしいもの出ない.