農民魂は日本から消えた.
父親は産業組合 創設以来 毎日帰宅するのは 深夜になってからであった.
世界恐慌の中で 農民の暮らしは最低だったころである.
朝早くから 高利貸しに 痛めつけられた 農家の人達が 相談に訪れた.
どうしても彼らを 救済しなければならない.村の医者としてを回って
彼等の暮らし向き輪見ているうちに 産業組合を創設しようと思った,
有力者をたきつけて 起動に乗るかに見えた産業組合で有ったが
県の監査に不適格の烙印を押されて,せっかくの組合設立から有力者は
手を引いてしまった.それでも父は一人で孤軍奮闘してやっと起動に乗せることができた.
元々1反百姓で潤沢な収入下はない.半農半漁の暮らしが多い.
一円運動をはじめて,資金繰りに汗水流してを説得して歩いた.
共存共栄の旗の下で 血地の組合運動は 羽ばたいていた.反面百姓から搾り取って
かせいていた人達からは敵のように思われ,刑事告発を受けて丸一年未決拘留されていた.
父の収入がなくなり,兄たちも学校を辞めて働きにでた.
無罪釈放で返されたが,戦争末期には食糧確保のために 強度の身体障害の体を引きずり
村民の食糧確保に飛び回った. だから農協というのはわたしたち家族にとっては
たんなる経営感覚では割り切れない,農民の魂経営である.
60年産業組合から農協へ60年,退職金200万円すべて組合員へ返して退職した.
わたしも 最初農協錬に入職した.
父にたづねた.「親父ね今の農協はネクタイ締めて背広北連中だよ.農民とは関係ない
人間が農民を指導するんだよ.自民党の票稼ぎに夢中になってるよ.」
「父は 送だね.お前にまで苦労させたくないから,やめてもいいよ.」
まさか 性不が権力で押さえつけようとはよそエーうもしなかった.泉下で親父泣いてるだろうな
あ.