日航機が御巣鷹の嶺に墜落して25年になる。遺族の方々にお悔やみ申し上げます。そして、犠牲者の方向に向かい黙祷を捧げます。
忘れもしない。暑い日であった。何でそんな記憶があるかとお思いの方がいらっしゃると思いますが、・・・・。
このブログの中にあります。私の記憶術と関係があります。
おそらく、事故機が災難にあった時間に、私は、当時、長野南農協さんの松代本所で、お盆に向けた祭事に参加していた。
情報がリンクしているという事でしょう。
花市という企画があって会社の同僚と商品の説明販売に参加していました。また、12日という日付も覚えやすくしているのでしょう。
「やけに低く飛行機が飛んでいるなぁ。本県には大型飛行機が着陸する空港はないはずだが?不思議だなぁ。あれぐらいの大きさなら高度換算すれば4500mくららいじゃなかろうか。」事故機ではないのでしょう。捜索するために飛んでいる機影だったような気がしています。
事故機なら方向が違う、捜索機なら辻褄が合うと判断下のだけれど、・・・。飛んでいく方向からそのように推論しているだけのことです。
そして、その時点で、日航機の墜落の情報は知らされてはいなかった。私の他にも何で「あんなに低空を飛ばなきゃならないのだろう。」と言っていた人がいたが、誰と誰だったのかは記憶していません。
そして、ニュースの第一報でも「日航機が、長野県の山に墜落した模様。」というものであった。しばらくして、長野県警の発表として「長野県のいずれの山にも墜落した形跡は見当らない。」というものだった。
その位、情報が錯綜してしまっていた事になる。
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