やっと明智光秀の「史実時代」に入ったと思ったのに、まああんまり史実には縛られていないようです。信長は実際はもちろん武装解除して入京なんてしていません。まだ三好三人衆の掃討は終わっていないわけで、武装解除するわけがない。ただし厳しい軍律があった為、織田軍が乱暴狼藉なく入京したのことは確かなようです。武器を持たないから平和なのではなく、軍律が厳しいから平和なのです。女性をからかった織田兵の首を信長自身が一瞬ではねたというエピソードが載っている史料もあります。フロイス日本史です。日本語訳をそのまま写すと。
(義昭御所の)建築を見物しようと望む者は、男も女もすべて草履を脱ぐこともなく、彼(信長)の前を通る自由を与えられた。ところが建築作業を行っていた間に、一兵士が戯れに一貴婦人の顔を見ようとして、そのかぶり物を少し上げたことがあった時、信長はたまたまそれを目撃し、ただちに一同の面前で、手ずからそこで彼の首を刎ねた。
となります。「木曽義仲軍の乱暴」などは信長も知っていたでしょう。乱暴と略奪には気をつかったと思います。全くなかったとは思いませんが。何にでも想定外はある。
まあ「武装解除」ではなく「ただ兜と鎧はつかなかっただけ」なら「可能性として絶対ない」わけではありません。個人的には「絶対ない」と思いますが、、、。
さて義昭は剣も嫌いなようです。足利義昭が剣が嫌いか好きかは分かりませんが、信長公記によれば入京の後、信長は「義昭から剣」を「拝領」しています。義昭というのは武断的な面があり、中立を守らず、それが調停役としての将軍像とあまりに違い、それで失敗した人です。義輝はなんとか中立的でいようとした人ですが、義昭にはそういうバランス感覚はなかったようです。
堺の今井宗久との関係もあんなものではなく、信長は堺に「2万貫の矢銭と服属を要求」し、堺を武力で屈服させています。多くの会合衆が信長と対立する中で、パイプ役を買ってでたのが今井宗久であり、また津田宗及です。「京を焼かないなら信長に味方する」とか、そんな甘い関係ではありません。
でも、それはいいのです。大河はフィクションなので嘘はいいのです。昭和史の嘘は困りますが、戦国時代の話です。考えるべきは「どうしてそんな嘘をついた」のか。
①足利義昭と光秀ラインを「平和と民のための政治」を願う側にし、信長を「武断政治」の側にするのか。図式的に言えば「天下静謐ごっこ」と武断主義の対立。でもそうすると、あとあと困ったことになる。光秀は義昭をあーしてこーするわけなので。
②今井宗久=商人の力を大きくみせる。というより単に今井宗久を大きくみせたい、のかも知れません。Twitterなどでは、お茶の所作が美しいという感想が多いかな。もしかすると人物のイメージより、そういう一つ一つの「画面の美しさ」を優先させているのかもしれません。
③庶民目線で戦国を描くというが、駒とか伊呂波太夫とか今井宗久は庶民なのか?大物の知り合いがたくさんいる「特別な人間」のような気がするが。
まあ、突き詰めて考えるほどのことではありませんが。
今井宗久はいわば「信長にのめり込んだ」人で、秀吉時代になるとあまりぱっとしません。この今井宗久は、今井宗久というより、むしろ「最後のほうのルソン助左衛門」です。この作品、折々に大河「黄金の日々」の影がちらつきます。松永久秀のツボの話などもそうです。(と、こう書いた後に「黄金の日々」を少し見返しました。今井宗久はほとんど主役で丹波哲郎さんです。この今井宗久の部分は筆が滑りました。間違いです。)
でもまあ、やっと光秀もぱっとしてきた感じです。40歳です。信長は35手前です。「麒麟がくる」はドラマだからフィクションで、どうせ史実などに縛られていないのだから、もっと早くから光秀を大活躍させてもいいものを。もったいなかったなと思います。
あとは雑感です。今までも雑感ですけど。
上洛の折の六角攻め。「信長KING OF ZIPANGU」では30分くらい使って丁寧に描かれましたが、今回はやっぱりスルーです。未だに六角さんが登場するのは「信長KING OF ZIPANGU」と「黄金の日々」だけだと思います。
帰蝶はどこに行ったのか。川口春奈さんは「極主夫道」というドラマで主演級みたいです。そっちに行っているのでしょう。ただ別に「亡くなった」という史料もないので、どこかで復活するのだと思います。
それに加えて菊丸はどこにいったのか。家康自身は参加していないが、徳川兵も織田軍に参加しているから、菊丸が登場してもいいわけだが。
秀吉は「三か月で一夜城を作った」ことになっていた。「敵の大将に会いに行った」とあるが、西美濃三人衆なのか竹中半兵衛なのか。
駒は今井宗久とも親密である。なぜ信長とだけは会わないのか。それにしても駒は光秀や秀吉とコンビだと、輝いてみえるな。
(義昭御所の)建築を見物しようと望む者は、男も女もすべて草履を脱ぐこともなく、彼(信長)の前を通る自由を与えられた。ところが建築作業を行っていた間に、一兵士が戯れに一貴婦人の顔を見ようとして、そのかぶり物を少し上げたことがあった時、信長はたまたまそれを目撃し、ただちに一同の面前で、手ずからそこで彼の首を刎ねた。
となります。「木曽義仲軍の乱暴」などは信長も知っていたでしょう。乱暴と略奪には気をつかったと思います。全くなかったとは思いませんが。何にでも想定外はある。
まあ「武装解除」ではなく「ただ兜と鎧はつかなかっただけ」なら「可能性として絶対ない」わけではありません。個人的には「絶対ない」と思いますが、、、。
さて義昭は剣も嫌いなようです。足利義昭が剣が嫌いか好きかは分かりませんが、信長公記によれば入京の後、信長は「義昭から剣」を「拝領」しています。義昭というのは武断的な面があり、中立を守らず、それが調停役としての将軍像とあまりに違い、それで失敗した人です。義輝はなんとか中立的でいようとした人ですが、義昭にはそういうバランス感覚はなかったようです。
堺の今井宗久との関係もあんなものではなく、信長は堺に「2万貫の矢銭と服属を要求」し、堺を武力で屈服させています。多くの会合衆が信長と対立する中で、パイプ役を買ってでたのが今井宗久であり、また津田宗及です。「京を焼かないなら信長に味方する」とか、そんな甘い関係ではありません。
でも、それはいいのです。大河はフィクションなので嘘はいいのです。昭和史の嘘は困りますが、戦国時代の話です。考えるべきは「どうしてそんな嘘をついた」のか。
①足利義昭と光秀ラインを「平和と民のための政治」を願う側にし、信長を「武断政治」の側にするのか。図式的に言えば「天下静謐ごっこ」と武断主義の対立。でもそうすると、あとあと困ったことになる。光秀は義昭をあーしてこーするわけなので。
②今井宗久=商人の力を大きくみせる。というより単に今井宗久を大きくみせたい、のかも知れません。Twitterなどでは、お茶の所作が美しいという感想が多いかな。もしかすると人物のイメージより、そういう一つ一つの「画面の美しさ」を優先させているのかもしれません。
③庶民目線で戦国を描くというが、駒とか伊呂波太夫とか今井宗久は庶民なのか?大物の知り合いがたくさんいる「特別な人間」のような気がするが。
まあ、突き詰めて考えるほどのことではありませんが。
今井宗久はいわば「信長にのめり込んだ」人で、秀吉時代になるとあまりぱっとしません。この今井宗久は、今井宗久というより、むしろ「最後のほうのルソン助左衛門」です。この作品、折々に大河「黄金の日々」の影がちらつきます。松永久秀のツボの話などもそうです。(と、こう書いた後に「黄金の日々」を少し見返しました。今井宗久はほとんど主役で丹波哲郎さんです。この今井宗久の部分は筆が滑りました。間違いです。)
でもまあ、やっと光秀もぱっとしてきた感じです。40歳です。信長は35手前です。「麒麟がくる」はドラマだからフィクションで、どうせ史実などに縛られていないのだから、もっと早くから光秀を大活躍させてもいいものを。もったいなかったなと思います。
あとは雑感です。今までも雑感ですけど。
上洛の折の六角攻め。「信長KING OF ZIPANGU」では30分くらい使って丁寧に描かれましたが、今回はやっぱりスルーです。未だに六角さんが登場するのは「信長KING OF ZIPANGU」と「黄金の日々」だけだと思います。
帰蝶はどこに行ったのか。川口春奈さんは「極主夫道」というドラマで主演級みたいです。そっちに行っているのでしょう。ただ別に「亡くなった」という史料もないので、どこかで復活するのだと思います。
それに加えて菊丸はどこにいったのか。家康自身は参加していないが、徳川兵も織田軍に参加しているから、菊丸が登場してもいいわけだが。
秀吉は「三か月で一夜城を作った」ことになっていた。「敵の大将に会いに行った」とあるが、西美濃三人衆なのか竹中半兵衛なのか。
駒は今井宗久とも親密である。なぜ信長とだけは会わないのか。それにしても駒は光秀や秀吉とコンビだと、輝いてみえるな。