歴史とドラマをめぐる冒険

大河ドラマ・歴史小説・歴史の本などを中心に、色々書きます。
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安政の大獄・桂小五郎と村田蔵六・花神の話

2021-04-15 | 青天を衝け
大河「花神」は1977年です。しかし残っているのは「総集編のみ」です。全5回です。主人公は村田蔵六ですが、吉田松陰も高杉晋作も同列で主人公です。

桂小五郎は松下村塾の塾生ではなかったけれど、吉田松陰とは兄弟のような関係でした。ドラマ内では「先生」と松陰のことを呼んでいます。松陰が安政の大獄で死刑となった後、伊藤博文らとともに遺体を引き取りにいき、回向院に埋葬されます。

これは史実です。ここからはドラマの話です。「花神」においては、そこで桂小五郎は村田蔵六(大村益次郎)に出会います。小塚原処刑場で村田が何をしていたかというと「人体解剖」です。村田が人体解剖をしたのは史実と思われますが、「ここで」村田と桂が会った(初対面ではないが)ことが史実かどうかは、調べていないので分かりません。

ドラマでは、その時の桂小五郎はとても「感傷的な気分」でいたわけです。そして村田との出会いに「運命的なもの」を感じます。村田蔵六は長州の軍制を改革し、倒幕に力を発揮した人です。戊辰戦争の指揮を、西郷に代わって江戸でとりました。明治初年に暗殺されます。

さて、ドラマ。村田を見た桂は「吉田松陰が生まれ変わった」と感じます。松陰は1830年生まれで、村田蔵六は1824年生まれですから、村田の方が年上です。ここでいう生まれ変わりとは「吉田松陰の魂が村田に乗り移った」ということです。

「およそ同じ人類とは思えない村田蔵六と吉田松陰を運命的な絆として桂が結びつけた」とナレーションが入ります。同じ人類とは思えないとは、村田が技術者・科学者であり、松陰が思想家であるということでしょう。

桂は同じ藩の重役である周布に言います。

周布「生まれ変わり?あんたにしては珍しく浮ついたことを言うじゃないか」

桂「馬鹿なことを言っているのは自分でも分かっている。しかし村田が解剖刀を振るっている風景は、いかにも知力が充実し、ゆとりのある自然な胆力生まれていた。あの男の周りの空気の密度が高くなり、一種の神韻、精神の律動があった。」

それが松陰の風景と重なり合うと桂は考えます。そして当時、江戸で既に名高い蘭学者であった村田蔵六(長州の町医者出身)を長州で雇うように主張します。

安政の大獄は、一橋派の弾圧だけを目指したものではありません。問題は「戊午の密勅」でした。朝廷が幕府ではなく水戸藩に直接勅命を伝えたことが問題でした。「大政委任」の原則に背きますし、命令が幕府と朝廷から出たのでは混乱が生じます。それで尊王派が弾圧されました。吉田松陰も処刑されます。もっとも松陰は老中間部を暗殺しようとしていました(あくまで計画を立てただけ)から、全く「罪なしで」はありません。ただ計画段階で藩に知れて捕縛されていましたから、本当の意味で「紙の上の計画」で死刑となったわけです。もっとも具体的な行動として、老中を暗殺するから武器を貸してくれと藩に頼みました。政治家としてはあり得ない行動ですが、それによって自分の「真の心」を見せようとしたのでしょう。

司馬さんは彼独特の見解として(別に司馬史観というほどのものでなく)、明治維新は三段階だったと言っていました。「思想家→革命家→技術者」、思想家が吉田松陰ら、革命家が高杉晋作や坂本龍馬、そして技術者が村田蔵六です。私は子供の頃は科学少年で、科学者のような合理的精神に満ちた人間が好みでした。そのせいで、西郷とか龍馬より、村田が好きだったのだと思います。ただ調べてみると村田も結構熱い人です。

吉田松陰は草莽崛起を主張しました。身分を超えた志士の決起です。これを突き詰めると国民皆兵につながります。その国民皆兵を主張したのが村田らでした。

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