歴史とドラマをめぐる冒険

大河ドラマ・歴史小説・歴史の本などを中心に、色々書きます。
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青天を衝け・伊藤博文のことを少々

2021-10-03 | 青天を衝け
伊藤博文は日本最初の総理大臣という名誉と、日韓併合の象徴という悪名を背負っています。ただし彼が日韓併合をしたわけではなく、むしろ彼は反対派でした。その彼が大韓帝国人の安重根(アンジュングン)にロシアで暗殺されてしまう。それが1909年です。その暗殺が直接の契機となって、日本は1910年に大韓帝国を併合します。併合に積極的だったのは、山縣有朋などでした。伊藤はむしろ山縣を抑えていた。その伊藤を殺してしまったので、日韓併合は一気に進みました。

韓国の「歴史館」に視察旅行(ただの観光の)で行った時、通訳の人に「山縣有朋って知ってますか」と聞いたことがあります。通訳の人は知りませんでした。「伊藤より山縣を恨んだ方がいい」と私は言いました。通訳の人はなんと応じたか。それは覚えていません。20年ほど前です。私は「視察旅行の観光客様」でしたから、そりゃ歓待を受けました。牛肉が美味しかった。韓国の人はみんな親切だった。そりゃ「お客様」だから当然です。1度だけ韓国のじいさんに「日本人はここに来るな」と言われたことがあります。私が笑って「なぜですか」と聞いたら、正確には「ホワイ」と聞いたら、通訳やガイドの人が割ってはいって、そのじいさんと「大喧嘩」してました。私は「本音が知りたい」と通訳の人に頼みましたが、じいさんの言葉を翻訳してはくれませんでした。

あっ、伊藤の話です。

長州のお百姓さんです。やがて父親が下級足軽となります。松下村塾に入って、いろいろ雑用をやっているうちに頭角を表しました。吉田松陰からは「調整の才能はあるかな」程度に言われていました。高杉の藩内クーデターに「最初に協力した数すくない人間の一人」であったことが、彼の出世を導きました。最初は高杉に同調するものは極めて少なかったのです。伊藤は「力士隊」を率いていました。

伊藤の直接の恩人は木戸孝允でしたが、木戸は陰気くさく、陽の伊藤は苦手でもあったようです。明治政府ではいち早く長州から精神的に独立し、あくまで明治政府の青年官僚としての道を歩みます。山縣有朋が「長州のドン」というイメージなのに、伊藤が長州の親玉という感じがしないのはそのためです。

顔は平面的でした。イケメンとはほど遠い。でも最近は山崎さんとか加藤剛さんとか、ハンサムな俳優が演じています。だいたいは好意的に描かれます。ただ「八重の桜」では権力づくのなんだかいやな人物として描かれました。「るろうに剣心」などにもでていたと思います。かつて「なべおさみ」さんが演じましたが、顔はなべさんが一番似ています。

この人、私が思っているより「大政治家」のような気がするのですが、どうも調べてみる情熱がわきません。でも青天を衝けを見て、機会があったら調べてみようと思いました。


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