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大河ドラマ「麒麟がくる」第22話「京よりの使者」の感想

2020-09-12 | 麒麟がくる
大雑把な感想です。

1、細川藤孝、玉ちゃんをいだく

後の細川ガラシャですね。藤孝の息子の嫁。関ケ原でまあいろいろとあります。
この「藤孝がいだく」という描写は、小説「国盗り物語」にあります。
ただし6歳ぐらいの玉ちゃんだったかな。「抱くなら上物の布でくるんで抱いてくれやい」とか、子供の玉ちゃんが言います。
藤孝はそのプライドというか、高貴な感じに驚く、、だったかな。記憶だけで書いています。
人にいだかれるのを嫌う玉ちゃんが、藤孝にはなぜかなつく。これも司馬さんの「国盗り物語」の描写と同じです。

2、足利義輝、帝に文句、三好暗殺を考えたり、考えなかったり。

正親町天皇を「高貴で美しい帝」とし、その弟を小朝さんで、コンプレックスの強い延暦寺の長官・比叡山延暦寺住持にするようです。
高貴で美しい帝に、いきなり義輝は文句を言ってました。この辺り、脚本のバランス感覚ですね。人物を多層的に、さまざまな人の目を通して描く。相対化する。
ただし、実際に義輝は5回ぐらいしか帝に参内してないのかな。信長は後に「参内しないから、あんな最期だった」と義昭に書き送ります。義昭も参内しないんです。
信長は帝を重んじて中世的側面があるとか、最近飽き飽きするほど言われてますが、中世権威の親玉である室町将軍は参内しないんです。信長は中世的だが、将軍は非中世的?

たしか黒嶋さんだったか。実際の義輝の力はもっとすごかったと書いています。地方の大名と繋がっているんです。畿内では権威がないが、田舎大名は献金したりします。その結果、義輝の御所は壮大な城郭へと発展していきます。(旧二条城)。武器も蓄えていて、結構な権力者でした。地方に目を向けたわけです。地方の援助を受けていた。将軍が支配するのは五畿内とは、義輝は考えていませんでした。義輝にとって「天下」とは「日本全土」でした。畿内支配は空洞化していましたが、それを補完するために遠国へ働きかけたのです。それを担ったのは主に公家で、幕府官僚ではありません。義輝の特殊性はそこにも存在します。

ということで、実際は「あんな感じ」ではなく、本当に「参内しても意味ないだろ」「三好だって怖くねーぞ」という方向に行きつつあったようです。三好にとっては脅威です。

脚本家は知ってるでしょうね。するとわざと「はかなげ、自暴自棄」にしている。その演出意図は何なんだろう?今日は思いつきません。幕臣が離れたのは本当みたいです。幕臣にとって天下とは五畿内です。地方に手を伸ばす義輝は、いわば異端の将軍でした。「先例を破る将軍」だったわけです。

あれ、感想じゃなくて、義輝に関するただの私見になっている。しかもそんなに義輝に詳しくないから、物知りさんに怒られそうだ。

でもめげずに。

実際は三好を暗殺しようとして失敗してます。それもドラマでは「将軍がやることではない」と嘘が描かれました。嘘は悪くはない。ドラマですから。気になるのは嘘を描く演出意図です。
「ただ向井理をはかなげにして、十兵衛を忠臣にして、女性ファンの涙をさそいたいだけ」なんでしょうかね。男性の僕から見ると、義輝、何やってんだおめえ(エールの鉄男風)という感じもします。そんなことはないはずで、きっと僕の感想が間違っていて、脚本家には僕の想像が及ばない意図があるのだと思います。

そもそも「三好を殺すために十兵衛を呼び寄せる」って、「なんでやねん」て話です。十兵衛は必殺仕事人なのか、剣客商売なのか。批判してるんじゃなくて、その「無理」が面白いと思っています。

十兵衛もいきなり「信長なら義輝様を補佐できます」と信長に相談なしに勝手に言い出します。

このドラマの面白さはこの「いい加減さ」です。「いい加減」が「良い加減」なんです。昔の植木等の映画や、若大将シリーズを見ているような、この自由奔放な演出がたまりません。

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