石段に差し掛かると、源実朝は北条義時の目を見てこう言った。
「叔父上、腰を痛めていると聞きました。この寒さはこたえましょう。ここで結構です。もうお帰りください」
それを聞いていた源仲章は得意満面の笑みを浮かべた。
「執権殿、ご老体にはこたえましょう。ささ、その太刀は私が持ちますゆえに」
「おお仲章、気が利くな。叔父上に代わり、太刀持ちをお願いしよう」
それにしてもこの太刀は、と仲章は思った。ずしりと重い。どうやら本身の刀である。
「ここは武家の都、武家には武家の作法があります」と義時は笑った。
実朝は何も言わない。仲章は黙って太刀を受け取った。義時と実朝は目で合図を送りあった。
拝賀は終わった。しばし休息。実朝は雑色頭の重蔵を呼んだ。
「仲章様の様子はしかと見ました。束帯の下に着込みをしておりまする」
「これと同じか」と実朝は、自らの着込みを重蔵に見せた。
「弓を使うでしょう。十分にお気をつけを」と重蔵は言った。
「かねてからの打ち合わせ通りに。お前の配下も命を落とさぬよう、注意せよ」
「われわれの命など、御所の命の代わりとなるなら」
「それはいかん。生きとし生けるもの、みな同じぞ。それに私は今日、一人の男を斬る。殺生はそれだけよい」
「はっ」重蔵は闇に消えた。
実朝たちは石段を下りていく。仲章がふと気が付くと、松明を持つ雑色の数が異常に増えている。篝火もたかれ、鎌倉の漆黒の闇は消え、薄明りに満ちている。
雑色たちは自分たちの行列を二重に取り囲んでいる。実朝の前方は特に厳重で、屈強で背の高い男がまるで壁のように実朝の前を歩いている。
一行は公暁が潜む大銀杏に近づいた。
「気が付かれている」と仲章は悟った。「とすれば自分の命が危ない。逃げなければ」と仲章は思う。
「あっ、足が」と言って仲章が立ち止まった。逃げるつもりである。
「それはいかんな、重蔵、介助さしあげろ」
実朝の命で重蔵が仲章をいだいた。「いだく」というより、羽交い絞めである。
「い、息が」と仲章はうめいた。
同時に、大銀杏の向こうで「おう」とか「うっ」という声が上がった。重蔵の配下が公暁の仲間を襲ったらしい。やがて静まった。
「公暁、出てこい。命はとらん。陸奥がいいか。どこぞの島か」と遠流の場所を尋ねている。
やがて大銀杏の向こうから公暁が現れた。利き手の右腕から血が流れている。これでは弓は使えない。左手に太刀を持っている。片手で使うには重いであろう。
実朝は仲章が手放した剣を、重蔵の配下から受け取った。
「公暁、何がしたい。俺を殺しても鎌倉殿になれるわけがなかろう」
「うるさい、実朝。おれは父の仇が討てればそれでよい。しかしそれだけでないぞ。おれは武家の棟梁になる。こんな田舎の鎌倉ではない。京の都で棟梁となるのだ。」
「ほほう、仲章がそう約束してくれたか」
「仲章などではない。もっともっとずっと尊いお方だ」
「だれだそりゃ、不動明王か誰かか」、実朝は会話を楽しんでいる。
仲章を羽交い絞めしていた重蔵の手が緩んだ。都の公卿はとっくに逃げている。仲章の背後には雑色が満ちている。
仕方なく仲章は公暁のほうへ走り出した。
「仲章」と叫ぶと、実朝はその背を袈裟に斬った。
「親の仇はかく討つぞ」と実朝は大声で叫ぶ。逃げる公卿たちは、背にはっきりその声を聴いた。この言葉は公暁の言葉として、長く日本史に記録されることとなる。
「な、なにをする実朝。仲章は上皇様の近臣ぞ」
「ほほう、そうか、ならお前はその近臣を斬ったことになる」
「な、なにを言う。お前が斬ったのではないか」
「いや、お前が斬ったのだ。上皇様は怒るであろうな」
雑色たちが実朝に向って走ろうとする公暁の前を幾重にも遮った。
「公暁よ。私はお前がかわいいのだ。哀れでもある。この鎌倉は私たち源氏の物ではない。坂東武者の都だ。われわれは所詮、まろうど(客人)に過ぎぬのだ。」
「うるさい」と剣を振りかざしたその腕を、重蔵がしたたかに棒で打った。剣は石段に落ちる。
「仲章を斬ったお前はもはや京にも居場所がない。俺を殺したのだから、むろん鎌倉にも居場所はない。どこぞの島で20年我慢しろ。呼び返してやる。おれは鎌倉を去るが、それは約束しよう」
「鎌倉を去るのか」公暁の声だけがした。実朝は雑色たちを下がらせる。
「ここは源氏の都ではないからな。実際疲れるのよ。あっちこっちに気を配り、儀式儀式の毎日だ。鎌倉殿なんて、そりゃ疲れるだけで、何のいいこともないんだぞ」
実朝はにっこりと笑った。
公暁は背後に向って逃げ出した。その背に向って実朝は叫んだ。
「三浦には行くな。殺されるぞ」
「実朝、お前が許しても、お前の主人である義時は許すまい。お前は犬だ。所詮は義時の犬だ」叫びながら去っていく。
「止めますか」と重蔵が言う。
「いいさ。死なせてやろう。島で20年、あの男にとっては地獄であろう。それになるほど義時は許すまい。あの男は怖い男だ。」
重蔵の配下が軽口をきく。
「御所様にとって執権様が邪魔なら、執権様をやっちまえばいいの、、、」
と言葉が終わらぬうちに、重蔵は男の顔を張り飛ばした。男はごろごろと石段を落ちていく。
「重蔵、義時に絶対手を出すなと配下に伝えよ。おれが死んでも鎌倉は大丈夫だが、義時が死ねば鎌倉はつぶれる」
「さほどのお方で」
「ああ、あの非情さはまさに父上の継承者にふさわしい。おれは優しいからな。あそこまで非情にはなれん。今はまだ鎌倉は開府したばかり、非情さが必要だ。」
「それに義時が今死ねば」
「執権様が今お亡くなりになると?」
「太郎泰時の時代が来ない。おれは義時死後の太郎の時代を見据えている。しかし太郎にはまだそこまでの覚悟がない。あと数年、そう5年は義時に生きてもらわねば」
「太郎様は御所と同様、お優しい方と存じますが」
「なに、あれはあれで非情になれる男よ。しかも太郎の時代は鎌倉は成熟期に入っていく。非情さと優しさ、二つながら必要だ。」
「それにしても御所は本当に鎌倉を離れるので」
「ああ、京に行く。死んだからな。太郎の為に、京の大掃除をすることにした。それに田舎暮らしは飽き飽きだ。京が好きなのさ。和歌も詠みたい。あの寺にもこの場所にも行きたい。」
とおどけた後、真剣な表情となった。
「京で遊んで、それからあの男にも会う。あの男には会わねばならん。」
「その男に会ってどうなさるので」
「𠮟り飛ばしてやるのよ。下らんハカリゴトはいい加減にしろとな。刀が打てるからといって、武士の心が分かってたまるものか。」
「刀を打つ、刀匠なのですか」重蔵は誰とわかっているが、わざととぼけている。
実朝は笑った。
「いずれ話してやる。とにかく太郎泰時の時代を招きいれるのが、この実朝の大仕事よ。その為に京に行く」
重蔵はそれ以上はきかない。
「金はあるぞ。ついてくるか重蔵。京の酒はうまいらしいぞ。」
「むろんのこと、地獄の果てまで」
「地獄とは、いちいち暗いのだよ、お前は。それに俺は極楽に行くつもりだ。12歳の年から苦労してきた。お釈迦様は見てくれているさ。地獄では俺に会えないぞ」
「ではこの重蔵も極楽に参りまする」
「そうか。いけるさ。人は殺すが民のためだ。それにお前には悪人の、罪人の自覚がある。自分を善人だと思っているやつらさえ極楽に行けるのだ。いわんや悪人が行けないことがあろうか」
あとは自分に言い聞かせるような一人語りになった。
「親父の頼朝には悪人の自覚があったのだろうか。父上は地獄に行ったのか。極楽か。義時は自分の罪が分かっている。叔父上は極楽に行くだろう。そうでなくてはならん。」
重蔵は黙って実朝の傍に控え、口を挟まない。
実朝は公暁が去った大銀杏を悲しげに眺めた。
すると「この泰時を少し買いかぶってはおらんか。それに親父は地獄行きだよ。その覚悟がなければ、鎌倉の執権などできぬ。」と雑色の一人が立ち上がった。
「おお太郎泰時か。俺が殺されるのを黙ってみていたのだな。冷たい男だ」
「俺が刀を抜くこともあるまい。公暁にはもう戦う力はなかった」
「公暁にはかわいそうなこととなった。事前に捕まえてやっても良かった。しかし俺は死ななくてはならなかった。それ以外、この鎌倉を離れる術はないからな」
「西国行きか。親父はだいぶ反対したようだな」
「ああ、西国に行くと言ったら義時は無責任だと怒り狂っていたよ。母上には頭をはたかれた。しかしこれでいい。鎌倉に源氏の棟梁はいらない」
「しかし、この太郎泰時。さほどの器であろうか。真面目なだけの男だ」
「子供の頃からマツリゴトの本ばかり読んでいた。民を本気で救いたいと思っている。俺にはそこまでの情熱はない。義時もいつの間にか初心を忘れたと言っていた」
「父上が」
「ああそうさ。叔父上も若い頃は民を救いたかったらしい。正しいことをしたかったらしい。それが気が付いたら修羅道を歩み、抜け出せなくなっていた、と言っていたよ」
泰時は黙った。
「俺に言わせれば、義時はよくやった。鎌倉には今でも秩序がない。今は覇道政治をなすしかない。王道政治はまだ無理だ。それに和田を討ってからは、評定も開いて御家人たちの意見にもよく耳を傾けている」
実朝の一人語りは続く。
「西はまかせろ。朝廷はおれたちが黙らせる。使ってもいない内裏を建てるために、民を餓死させるような真似はさせない。」
「朝廷は、おれたちと同じく田畑と民に支えられて生きている。本来は同じ船に乗っているのにな。争っている場合ではない。」と泰時がつぶやく。
「それを分からせてやるのさ。本当の意味で、朝廷と鎌倉は協力していく。それが民を救う道だ。そのためには、かのお方には退いていただくほかない。」
「撫民」
「そう、撫民。おれたち武士にとっても、それが良いことなのだと、地頭たちにも分からせねばならん。朝廷ばかりを悪党だと言うわけにもいかんだろう。鎌倉だって朝廷に劣らぬほどの悪党だ。次の執権、北条泰時、やることは山ほどあるぞ」
「千幡、お前が鎌倉に残ってそれをやったらどうだ」
「源氏の棟梁だから無理だ。坂東武者にとっては永久によそものだからな。まあ実際、できねえんだよ。人には得手不得手があるのだ。おれは趣味人だ。趣味が多い。お前は趣味もなんにもないつまらない男だ。だからマツリゴトに向いている。」
「千幡、てめー、結構人を傷つける男だな」
と実朝を見ると、実朝は泣いている。なぜ泣いているのか分からない。そして、
「太郎よ、聖君になってくれ」とつぶやいた。
泰時は無言でうなづいた。
つづく。
「叔父上、腰を痛めていると聞きました。この寒さはこたえましょう。ここで結構です。もうお帰りください」
それを聞いていた源仲章は得意満面の笑みを浮かべた。
「執権殿、ご老体にはこたえましょう。ささ、その太刀は私が持ちますゆえに」
「おお仲章、気が利くな。叔父上に代わり、太刀持ちをお願いしよう」
それにしてもこの太刀は、と仲章は思った。ずしりと重い。どうやら本身の刀である。
「ここは武家の都、武家には武家の作法があります」と義時は笑った。
実朝は何も言わない。仲章は黙って太刀を受け取った。義時と実朝は目で合図を送りあった。
拝賀は終わった。しばし休息。実朝は雑色頭の重蔵を呼んだ。
「仲章様の様子はしかと見ました。束帯の下に着込みをしておりまする」
「これと同じか」と実朝は、自らの着込みを重蔵に見せた。
「弓を使うでしょう。十分にお気をつけを」と重蔵は言った。
「かねてからの打ち合わせ通りに。お前の配下も命を落とさぬよう、注意せよ」
「われわれの命など、御所の命の代わりとなるなら」
「それはいかん。生きとし生けるもの、みな同じぞ。それに私は今日、一人の男を斬る。殺生はそれだけよい」
「はっ」重蔵は闇に消えた。
実朝たちは石段を下りていく。仲章がふと気が付くと、松明を持つ雑色の数が異常に増えている。篝火もたかれ、鎌倉の漆黒の闇は消え、薄明りに満ちている。
雑色たちは自分たちの行列を二重に取り囲んでいる。実朝の前方は特に厳重で、屈強で背の高い男がまるで壁のように実朝の前を歩いている。
一行は公暁が潜む大銀杏に近づいた。
「気が付かれている」と仲章は悟った。「とすれば自分の命が危ない。逃げなければ」と仲章は思う。
「あっ、足が」と言って仲章が立ち止まった。逃げるつもりである。
「それはいかんな、重蔵、介助さしあげろ」
実朝の命で重蔵が仲章をいだいた。「いだく」というより、羽交い絞めである。
「い、息が」と仲章はうめいた。
同時に、大銀杏の向こうで「おう」とか「うっ」という声が上がった。重蔵の配下が公暁の仲間を襲ったらしい。やがて静まった。
「公暁、出てこい。命はとらん。陸奥がいいか。どこぞの島か」と遠流の場所を尋ねている。
やがて大銀杏の向こうから公暁が現れた。利き手の右腕から血が流れている。これでは弓は使えない。左手に太刀を持っている。片手で使うには重いであろう。
実朝は仲章が手放した剣を、重蔵の配下から受け取った。
「公暁、何がしたい。俺を殺しても鎌倉殿になれるわけがなかろう」
「うるさい、実朝。おれは父の仇が討てればそれでよい。しかしそれだけでないぞ。おれは武家の棟梁になる。こんな田舎の鎌倉ではない。京の都で棟梁となるのだ。」
「ほほう、仲章がそう約束してくれたか」
「仲章などではない。もっともっとずっと尊いお方だ」
「だれだそりゃ、不動明王か誰かか」、実朝は会話を楽しんでいる。
仲章を羽交い絞めしていた重蔵の手が緩んだ。都の公卿はとっくに逃げている。仲章の背後には雑色が満ちている。
仕方なく仲章は公暁のほうへ走り出した。
「仲章」と叫ぶと、実朝はその背を袈裟に斬った。
「親の仇はかく討つぞ」と実朝は大声で叫ぶ。逃げる公卿たちは、背にはっきりその声を聴いた。この言葉は公暁の言葉として、長く日本史に記録されることとなる。
「な、なにをする実朝。仲章は上皇様の近臣ぞ」
「ほほう、そうか、ならお前はその近臣を斬ったことになる」
「な、なにを言う。お前が斬ったのではないか」
「いや、お前が斬ったのだ。上皇様は怒るであろうな」
雑色たちが実朝に向って走ろうとする公暁の前を幾重にも遮った。
「公暁よ。私はお前がかわいいのだ。哀れでもある。この鎌倉は私たち源氏の物ではない。坂東武者の都だ。われわれは所詮、まろうど(客人)に過ぎぬのだ。」
「うるさい」と剣を振りかざしたその腕を、重蔵がしたたかに棒で打った。剣は石段に落ちる。
「仲章を斬ったお前はもはや京にも居場所がない。俺を殺したのだから、むろん鎌倉にも居場所はない。どこぞの島で20年我慢しろ。呼び返してやる。おれは鎌倉を去るが、それは約束しよう」
「鎌倉を去るのか」公暁の声だけがした。実朝は雑色たちを下がらせる。
「ここは源氏の都ではないからな。実際疲れるのよ。あっちこっちに気を配り、儀式儀式の毎日だ。鎌倉殿なんて、そりゃ疲れるだけで、何のいいこともないんだぞ」
実朝はにっこりと笑った。
公暁は背後に向って逃げ出した。その背に向って実朝は叫んだ。
「三浦には行くな。殺されるぞ」
「実朝、お前が許しても、お前の主人である義時は許すまい。お前は犬だ。所詮は義時の犬だ」叫びながら去っていく。
「止めますか」と重蔵が言う。
「いいさ。死なせてやろう。島で20年、あの男にとっては地獄であろう。それになるほど義時は許すまい。あの男は怖い男だ。」
重蔵の配下が軽口をきく。
「御所様にとって執権様が邪魔なら、執権様をやっちまえばいいの、、、」
と言葉が終わらぬうちに、重蔵は男の顔を張り飛ばした。男はごろごろと石段を落ちていく。
「重蔵、義時に絶対手を出すなと配下に伝えよ。おれが死んでも鎌倉は大丈夫だが、義時が死ねば鎌倉はつぶれる」
「さほどのお方で」
「ああ、あの非情さはまさに父上の継承者にふさわしい。おれは優しいからな。あそこまで非情にはなれん。今はまだ鎌倉は開府したばかり、非情さが必要だ。」
「それに義時が今死ねば」
「執権様が今お亡くなりになると?」
「太郎泰時の時代が来ない。おれは義時死後の太郎の時代を見据えている。しかし太郎にはまだそこまでの覚悟がない。あと数年、そう5年は義時に生きてもらわねば」
「太郎様は御所と同様、お優しい方と存じますが」
「なに、あれはあれで非情になれる男よ。しかも太郎の時代は鎌倉は成熟期に入っていく。非情さと優しさ、二つながら必要だ。」
「それにしても御所は本当に鎌倉を離れるので」
「ああ、京に行く。死んだからな。太郎の為に、京の大掃除をすることにした。それに田舎暮らしは飽き飽きだ。京が好きなのさ。和歌も詠みたい。あの寺にもこの場所にも行きたい。」
とおどけた後、真剣な表情となった。
「京で遊んで、それからあの男にも会う。あの男には会わねばならん。」
「その男に会ってどうなさるので」
「𠮟り飛ばしてやるのよ。下らんハカリゴトはいい加減にしろとな。刀が打てるからといって、武士の心が分かってたまるものか。」
「刀を打つ、刀匠なのですか」重蔵は誰とわかっているが、わざととぼけている。
実朝は笑った。
「いずれ話してやる。とにかく太郎泰時の時代を招きいれるのが、この実朝の大仕事よ。その為に京に行く」
重蔵はそれ以上はきかない。
「金はあるぞ。ついてくるか重蔵。京の酒はうまいらしいぞ。」
「むろんのこと、地獄の果てまで」
「地獄とは、いちいち暗いのだよ、お前は。それに俺は極楽に行くつもりだ。12歳の年から苦労してきた。お釈迦様は見てくれているさ。地獄では俺に会えないぞ」
「ではこの重蔵も極楽に参りまする」
「そうか。いけるさ。人は殺すが民のためだ。それにお前には悪人の、罪人の自覚がある。自分を善人だと思っているやつらさえ極楽に行けるのだ。いわんや悪人が行けないことがあろうか」
あとは自分に言い聞かせるような一人語りになった。
「親父の頼朝には悪人の自覚があったのだろうか。父上は地獄に行ったのか。極楽か。義時は自分の罪が分かっている。叔父上は極楽に行くだろう。そうでなくてはならん。」
重蔵は黙って実朝の傍に控え、口を挟まない。
実朝は公暁が去った大銀杏を悲しげに眺めた。
すると「この泰時を少し買いかぶってはおらんか。それに親父は地獄行きだよ。その覚悟がなければ、鎌倉の執権などできぬ。」と雑色の一人が立ち上がった。
「おお太郎泰時か。俺が殺されるのを黙ってみていたのだな。冷たい男だ」
「俺が刀を抜くこともあるまい。公暁にはもう戦う力はなかった」
「公暁にはかわいそうなこととなった。事前に捕まえてやっても良かった。しかし俺は死ななくてはならなかった。それ以外、この鎌倉を離れる術はないからな」
「西国行きか。親父はだいぶ反対したようだな」
「ああ、西国に行くと言ったら義時は無責任だと怒り狂っていたよ。母上には頭をはたかれた。しかしこれでいい。鎌倉に源氏の棟梁はいらない」
「しかし、この太郎泰時。さほどの器であろうか。真面目なだけの男だ」
「子供の頃からマツリゴトの本ばかり読んでいた。民を本気で救いたいと思っている。俺にはそこまでの情熱はない。義時もいつの間にか初心を忘れたと言っていた」
「父上が」
「ああそうさ。叔父上も若い頃は民を救いたかったらしい。正しいことをしたかったらしい。それが気が付いたら修羅道を歩み、抜け出せなくなっていた、と言っていたよ」
泰時は黙った。
「俺に言わせれば、義時はよくやった。鎌倉には今でも秩序がない。今は覇道政治をなすしかない。王道政治はまだ無理だ。それに和田を討ってからは、評定も開いて御家人たちの意見にもよく耳を傾けている」
実朝の一人語りは続く。
「西はまかせろ。朝廷はおれたちが黙らせる。使ってもいない内裏を建てるために、民を餓死させるような真似はさせない。」
「朝廷は、おれたちと同じく田畑と民に支えられて生きている。本来は同じ船に乗っているのにな。争っている場合ではない。」と泰時がつぶやく。
「それを分からせてやるのさ。本当の意味で、朝廷と鎌倉は協力していく。それが民を救う道だ。そのためには、かのお方には退いていただくほかない。」
「撫民」
「そう、撫民。おれたち武士にとっても、それが良いことなのだと、地頭たちにも分からせねばならん。朝廷ばかりを悪党だと言うわけにもいかんだろう。鎌倉だって朝廷に劣らぬほどの悪党だ。次の執権、北条泰時、やることは山ほどあるぞ」
「千幡、お前が鎌倉に残ってそれをやったらどうだ」
「源氏の棟梁だから無理だ。坂東武者にとっては永久によそものだからな。まあ実際、できねえんだよ。人には得手不得手があるのだ。おれは趣味人だ。趣味が多い。お前は趣味もなんにもないつまらない男だ。だからマツリゴトに向いている。」
「千幡、てめー、結構人を傷つける男だな」
と実朝を見ると、実朝は泣いている。なぜ泣いているのか分からない。そして、
「太郎よ、聖君になってくれ」とつぶやいた。
泰時は無言でうなづいた。
つづく。
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