比奈・・義時の正妻であった「姫の前」のこと。本名は不明だが、ここでは「鎌倉殿の13人」にリスペクトを込めて「比奈」とする。太郎泰時は実子ではない。実子に北条朝時、後の幕府連署、北条重時がいる。
「全く失礼な話だわ」と比奈は憤慨している。それにこの屋敷の様子はどうであろう。手はかけられているがどこか人間の生活感がない。
「それでも左近衛権中将様が会ってくれるのですから」と侍女の「お駒」は比奈を慰めた。
「あたり前です。勝手に人を死んだことにしたのですから、抗議しなくてはなりません」比奈の憤りは収まらない。
やがて一人の公家がしずしずと現れ着座した。どこか貧弱で体の線が細い。
男は黙って比奈を見ている。何も言わない。比奈も何も言わない。慌ててお駒が挨拶した。
「こちらは鎌倉の北条義時殿の前室であるお比奈さまでございます、この度は無理を申しまして」
「おひな様」という音を聞いて、男は少しうなづいた。比奈の顔をじっと見ている。
「少しお年は召しておられるが、なるほど雛のように可愛い方ですな」声にどこか落ち着きがない。気分の上り下がりが激しい人間のように比奈は感じた。
「そんなお世辞はいいのです。この文をご覧ください。わが子太郎泰時のものですが、私が死んだと貴方様が鎌倉のどなたかに文を書いたという内容です。日記にも記したとのこと。」
「ふむふむ」
「この通り、私は生きております。亡くなったのはお世話になっていた源具親様の正妻、波奈様です。お子を産んで亡くなりました。比奈と波奈は似ておりますから、あなた様の勘違いでございます」
「ふむふむ、しかるに、その侍女のお方、お名前は」
「えっ。駒でございます」
「駒、駒、駒、、、ところで近頃旅はなさいましたかな。どこかに美しい景色はございましたか」
「ええ、比奈様と共に、冬、大和のサノのあたりに参りました。でも雪が降って寒くて寒くて」
「ふむふむ」と言いながら男は泰時の手紙を手にした。
しばらく文を見るともなく眺めていたが、急に大声を出した。
「できた!」
わっと比奈も駒も驚いた。男は意にも介さない。
「駒とめてー 袖うちはらふ人もなしー 佐野のわたりの冬の夕暮れ、これはいいぞ。これはいい。」
「藤原定家様!あなた、人と話すことができますか」
「なるほど、冬はだめですな。冬の夕暮れではなく、雪の夕暮れ、これはますます良くなった」
完全に自分の世界に浸っている。およそ会話をする気はないらしい。比奈は「だめだこりゃ」と思った。
「もう結構です。とにかく私が死んだという日記は訂正しておいてくださいね」
比奈は泰時の文を定家からもぎ取って席を立った。それでも藤原定家は一人で話している。
「なるほど、人もなし、もだめだ。かげもなし、、、うん、、、これだ、、、できた、できた」
帰り道である。
「定家様は訂正してくださるでしょうか」
「訂正するわけないでしょ、変な人にもほどがあります。あーだめだ。あの方は有名人だから日記は歴史に残るでしょう。私は今年死んだことにされるのだわ」
「比奈様も対抗して日記を残したらいいじゃないですか」
「そんなもの、百年後に残るわけないでしょ。」
この年、承元元年(1207)である。比企の乱から既に4年が経っている。
比奈は屋敷に戻った。少し前まで源具親の世話になっていたが、死んだと不吉な噂が立ったので、方忌みの意味を込めて引っ越した。今は守貞親王という皇族のもとに身を寄せている。義時は、後鳥羽上皇の乳母である藤原兼子の元へ行けと言ったが、政治に巻き込まれたくはないと比奈は断った。すると義時は守貞親王を紹介してくれた。大金を払って依頼したのかと思ったが、守貞親王はどこか世離れした男で、義時の申し出を断ったらしい。
後鳥羽上皇の異母兄に当たる。回りに集まる公家たちは、守貞親王を天皇にとも思っているらしいが、守貞にその気はまるでない、と比奈は感じている。
「どうです。定家さんは、会ってくれましたか」親王の声は柔和である。およそ怒る顔を見たことがない。
「そりゃ、殿下の紹介ですから、会ってはいただけましたが」
「変なお方だったでしょ」
「お駒の名を聞いて、急に和歌を思いついたらしく、もうそればかりに熱中なさって」
お駒が和歌を暗唱する。「駒とめてー」
「なるほど、それはいいお歌ですな。で肝心のお話は」
「およそ人と会話のできない方です。諦めました。」
「まあいいではありませんか。私なぞ4つの時から、死んだような扱いを受けておりましたよ」
彼の幼少期は数奇である。四歳の時に平家に連れられて都落ちした。異母兄は安徳天皇である。壇ノ浦では女房に抱かれて海に沈んだが、幼いながら泳ぎができた為、すぐに義経の兵に助けられた。その時彼は皇太子であった。しかし京に戻ると、既に異母弟の後鳥羽天皇が即位していた。その後、帝位を目指したこともあったが、今は諦めて静かに暮らしている。少なくとも比奈にはそう見える。
つづく
「全く失礼な話だわ」と比奈は憤慨している。それにこの屋敷の様子はどうであろう。手はかけられているがどこか人間の生活感がない。
「それでも左近衛権中将様が会ってくれるのですから」と侍女の「お駒」は比奈を慰めた。
「あたり前です。勝手に人を死んだことにしたのですから、抗議しなくてはなりません」比奈の憤りは収まらない。
やがて一人の公家がしずしずと現れ着座した。どこか貧弱で体の線が細い。
男は黙って比奈を見ている。何も言わない。比奈も何も言わない。慌ててお駒が挨拶した。
「こちらは鎌倉の北条義時殿の前室であるお比奈さまでございます、この度は無理を申しまして」
「おひな様」という音を聞いて、男は少しうなづいた。比奈の顔をじっと見ている。
「少しお年は召しておられるが、なるほど雛のように可愛い方ですな」声にどこか落ち着きがない。気分の上り下がりが激しい人間のように比奈は感じた。
「そんなお世辞はいいのです。この文をご覧ください。わが子太郎泰時のものですが、私が死んだと貴方様が鎌倉のどなたかに文を書いたという内容です。日記にも記したとのこと。」
「ふむふむ」
「この通り、私は生きております。亡くなったのはお世話になっていた源具親様の正妻、波奈様です。お子を産んで亡くなりました。比奈と波奈は似ておりますから、あなた様の勘違いでございます」
「ふむふむ、しかるに、その侍女のお方、お名前は」
「えっ。駒でございます」
「駒、駒、駒、、、ところで近頃旅はなさいましたかな。どこかに美しい景色はございましたか」
「ええ、比奈様と共に、冬、大和のサノのあたりに参りました。でも雪が降って寒くて寒くて」
「ふむふむ」と言いながら男は泰時の手紙を手にした。
しばらく文を見るともなく眺めていたが、急に大声を出した。
「できた!」
わっと比奈も駒も驚いた。男は意にも介さない。
「駒とめてー 袖うちはらふ人もなしー 佐野のわたりの冬の夕暮れ、これはいいぞ。これはいい。」
「藤原定家様!あなた、人と話すことができますか」
「なるほど、冬はだめですな。冬の夕暮れではなく、雪の夕暮れ、これはますます良くなった」
完全に自分の世界に浸っている。およそ会話をする気はないらしい。比奈は「だめだこりゃ」と思った。
「もう結構です。とにかく私が死んだという日記は訂正しておいてくださいね」
比奈は泰時の文を定家からもぎ取って席を立った。それでも藤原定家は一人で話している。
「なるほど、人もなし、もだめだ。かげもなし、、、うん、、、これだ、、、できた、できた」
帰り道である。
「定家様は訂正してくださるでしょうか」
「訂正するわけないでしょ、変な人にもほどがあります。あーだめだ。あの方は有名人だから日記は歴史に残るでしょう。私は今年死んだことにされるのだわ」
「比奈様も対抗して日記を残したらいいじゃないですか」
「そんなもの、百年後に残るわけないでしょ。」
この年、承元元年(1207)である。比企の乱から既に4年が経っている。
比奈は屋敷に戻った。少し前まで源具親の世話になっていたが、死んだと不吉な噂が立ったので、方忌みの意味を込めて引っ越した。今は守貞親王という皇族のもとに身を寄せている。義時は、後鳥羽上皇の乳母である藤原兼子の元へ行けと言ったが、政治に巻き込まれたくはないと比奈は断った。すると義時は守貞親王を紹介してくれた。大金を払って依頼したのかと思ったが、守貞親王はどこか世離れした男で、義時の申し出を断ったらしい。
後鳥羽上皇の異母兄に当たる。回りに集まる公家たちは、守貞親王を天皇にとも思っているらしいが、守貞にその気はまるでない、と比奈は感じている。
「どうです。定家さんは、会ってくれましたか」親王の声は柔和である。およそ怒る顔を見たことがない。
「そりゃ、殿下の紹介ですから、会ってはいただけましたが」
「変なお方だったでしょ」
「お駒の名を聞いて、急に和歌を思いついたらしく、もうそればかりに熱中なさって」
お駒が和歌を暗唱する。「駒とめてー」
「なるほど、それはいいお歌ですな。で肝心のお話は」
「およそ人と会話のできない方です。諦めました。」
「まあいいではありませんか。私なぞ4つの時から、死んだような扱いを受けておりましたよ」
彼の幼少期は数奇である。四歳の時に平家に連れられて都落ちした。異母兄は安徳天皇である。壇ノ浦では女房に抱かれて海に沈んだが、幼いながら泳ぎができた為、すぐに義経の兵に助けられた。その時彼は皇太子であった。しかし京に戻ると、既に異母弟の後鳥羽天皇が即位していた。その後、帝位を目指したこともあったが、今は諦めて静かに暮らしている。少なくとも比奈にはそう見える。
つづく
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