美代子が、何も語らず腕組みしている大助を、兎に角、いったん飯豊町に連れて帰るべく、懸命に促していたところ、正雄とともに部屋に戻って来た静子が
「美代子さん、貴女のお悩みと、これからのことについての考えをお聞きしましたゎ」
「私も、そのお考えに賛成で是非協力させていただきますが、私のマンションでは何かと精神的に抵抗感があると思いますので、あくまでもお父様の所有するマンションと理解してくださいね」
と、思いやりのある言葉をかけてくれ、続いて正雄が
「順序を踏んで冷静に話を進め、普段通りに勉強するんだよ」
「転居することについては、お爺さんやキャサリンの考えもあり、又、相談しましょう」
と口添えしてくれ
「皆で、レストランで夕食を食べようか」
と誘ってくれた。
寅太と三郎は、昼をカップラーメンで過ごし物凄く空腹を覚えていたが、立派なホテルでのレストランでの食事をした経験がなく面倒な作法も嫌で、自分達は部屋で気楽に思う存分食べたいと、瞬間的に閃いて、二人は口を揃えて
「大ちゃんと、美代ちゃんは、先生と一緒にレストランに行けばよいさ」
「俺達は、悪いけど部屋で食べたいなぁ」
と遠慮気味に言ったところ、大助も
「僕も、折角、御馳走になるなら、美代ちゃんとは別に君達と部屋で食事したいなぁ」
と寅太達にあわせて言ったところ、静子が彼等の気持ちを察して、すかさず
「そうですねぇ。お部屋に食事を用意させますので、お話ししながら、ごゆっくりと召し上がりなさいネ」
と言ってくれたので、美代子は
「わたしも、お食事どころでなく、今晩、どうしても飯豊町に大助君を連れて帰るため、煮え切らない彼を寅太君達と説得したいので、お部屋で戴きたいわ」
「お父様と小母様は、どうぞレストランでお食事をなさって来てください」
と、彼等に同調したので、正雄は少しつまらなそうな顔をしたが、静子に言われて仕方なく、彼等の言い分を聞きいれた。
美代子は、お爺さんと母親のキャサリンに早く話をして、養父の正雄が教えてくれた生活を一刻も早く実現したい気持ちにかられ
「お父さん、悪いけど食事後は、直ぐに家に帰へらせてもらいますので・・」
と返事をすると、静子が
「帰宅後は、皆さんに判って戴く様に落ち着いてお話するんですよ」
「わたしが申し上げることでもありませんが、あなた達にとっては大事なお話ですので、お爺様の御機嫌を損ねては、話が前に進みませんので、私達とお会いしたことは言わないで下さいネ」
と、微笑みながら諭し
「これ少しばかりですが、お友達と自由に使って下さいネ」
と、白い郵便封筒を差し出し、尻込みする彼女に押し付けるようにして渡すと、美代子の両手を握り丁寧に頭を垂れた。
彼女は、静子の終始控えめで謙虚な態度に接し、それまで、父を奪った静子に抱いていた本能的な嫌悪感が不思議に拭い去り、何か救われた思いがした。
美代子が懸命に思いを大助に話しているうちに、部屋には彼等の希望通りに、二の膳つきの豪華な和食が運ばれてきて用意されると、寅太達は海鮮料理に目を奪われて勢いよく食べ始めた。
美代子は、大助をやっとの思いで口説きおとすと、寅太達に早く食事を済ませるようにせかせ、三郎が不満そうに
「こんな御馳走は一生に一度しかお目にかかれないのに・・」
と恨めしそうに呟くと、彼女は
「サブちゃん。そんな顔をしないでょ。後で御馳走するので許してネ」
と謝り、大助の気持ちが変わるのを恐れて、彼等をせかせてホテルを出ると、一目算に飯豊町目指して暗くなった国道を走り出した。
彼女が途中で
「寅太君。悪いけれど何処か駅に寄ってくれない」
「わたし、幾らなんでも化粧を直し、気分を落ち着けて家に帰りたいゎ」
と言い出し、彼は国道沿いの小さな駅前で車を止めた。
彼女が駅のトイレに行っている隙に、寅太は運転中に思い巡らしていた、老医師に対する自分達の行動を少しでも判ってもらいたく、それには話方になんとなく関西弁交じりの愛嬌がある、山崎社長から予め老医師に電話をして貰った方が話がスムースに進むと思い、携帯で
「社長、遅くなって済みません」
「いやぁ、予想外の問題が起きて、大学の売店の方は正雄先生に継続させていただく様に取り繕いましたが、田舎の病院の方は老先生相手では俺には自信がなく、これから俺が説明に行くが、社長からやんわりと連絡して、ご機嫌を取っておいてくれ、頼みますよ」
と話すと、社長は要領をえず聞き返したので、彼は
「美代ちゃんと大助君のゴチャゴチャのあおりだよっ!」
と、寅太の持ち前の短気を爆発させて面倒くさそうに電話を切ってしまった。
化粧を直した美代子が現れると、寅太は美代子に振り回されたことに半分ヤケクソ気味に
「美代ちゃん、チョット手入れするだけで綺麗になるもんだね」
と皮肉まじりに冷やかすと、彼女は
「なに、お世辞を言っているのよ」
「大助君を連れてゆくのに、泣いてクシャクシャになった顔を見せられないでしょう」
「お爺さんに、どの様に話せば良いのか、頭の中が混乱しているゎ」「君達も応援してょ」
「失敗したら家出か、本当に自殺しか方法がないゎ」
と、真剣な眼差しで答えていた。
これを聞いていた三郎が
「オイオイ マタカヨ」「家に辿り着けば俺達はお役ゴメンだな、少なくとも俺はだよ」
と悪戯ぽく言うと、大助と寅太が揃って
「サブちゃん。 最悪の場合い、お前が道ずれでないと、美代ちゃんや俺達は寂しよ」
と、からかうと、三郎は
「幾ら美人相手でも、もう、勘弁してくれや」
「俺にも、将来、恋人と巡り合うチャンスが充分にあるし、それに、俺を頼りにしている施設のお婆ちゃん達が嘆き悲しむよ」
と、ムキになって抗弁していた。
彼等は、三郎の純情な話に声を出して大笑いし、束の間、重い気分を紛らわせていた。
街灯がポツンポツンと灯る暗い夜道を走り続けて、やっと、門前が明るく照らされた病院の入り口に着くと、寅太は
「大助君、やはり君達の話に俺達が混じることは良くないよ」
「俺達は、真紀子の店で待っているので、二人で行けよ」
と、急に態度を変えて言い出すと、美代子も大助に
「貴方のことなので、そうしましょうよ」
と言って、何も答えない彼の手を引いて車から降りた。
大助も寅太達を巻き添えにしたくなく、彼女に従い渋々と車から降りて改装された病院の外観を見回しながら重い足取りで正面口に歩き出した。
美代子は、寅太と三郎に
「貴方達、これで夕食を食べて行ってね」「私が持っていると、お爺さんに怒られるので・・」
と言って、静子から渡された封筒をバックから出して渡し
「お爺さんが、私達の考えを承知してくれなかったら、それこそ本気で家を飛び出して来るから助けてネ」
と、険しい顔つきで病院の中に消えて行った。
三郎は、小遣いを貰って浮かれた気分で
「オイッ 寅っ。俺の予感では案外爺さんも納得して一件落着だと思うよ」
「お前も、真紀ちゃんに会いたいだろうし、店に行って大盛りラーメンをたべろよ」
「俺は、カツ丼はゴメンだよ」「昨日、野っ原で食べたカツ弁は縁起が悪すぎたわ」
と、話の成り行きを心配している寅太に気楽に話しかけた。
寅太も、流石に精神的に疲労し、三郎の誘いに素直に従い、通い慣れた恋人の真紀子の勤めるラーメン店に向かった。
美代子が、病院の入り口で「お母さん、ただいまぁ~」と力なく声をかけると、老医師のお爺さんが白衣姿で飛び出してきて、眉毛を八の字にして満面に零れんばかりの笑顔で両手を広げ
「やぁ~、大助君。君が訪ねて来ると、さっき山崎社長から電話があり、まさかと思いつつイマカ イアマカと白鳥の様に首を長くして待っておったんだよ」
と迎えてくれ、響き渡るような大声で、母親のキャサリンや賄いの小母さん達を呼びつけた。
大助は、上がり口で直立の姿勢で「ご無沙汰致しておりました」と最敬礼して挨拶すると、お爺さんは
「まぁまぁ、そんな丁寧な挨拶はいいがねぇ」「はよう、上がりなさい」
と、彼の手をとらんばかりにして院長室に案内して連れて行ってしまった。
これを傍らで見ていた美代子は、あっけに取られて呆然としていたが、キャサリンが
「美代ちゃん、なに立ちすくんでいるの。途中電話もせずに・・」
「どんな事情かは判りませんが・・。早く支度を整えて大助君のお相手しなさい」
と声をかけたが、そんな母娘の話に構わず、それ迄仕事が遅れていて不機嫌なお爺さんが、急に様変わりして機嫌を直し
「仕事どころじゃないわ」
「懐かしいお客さんが訪ねて来てくれたので、はよう、ご馳走を用意して、失礼の無い様に準備しろ」
と言い出し、皆が慌ててしまった。
美代子は予想外の出来事に母親に説明する言葉を失い、それまでの緊張していた気持ちが一挙に抜けて、上がり口の廊下に崩れる様に腰を降ろすと、看護師の朋子さんに肩を叩かれ
「美代ちゃん良かったわネ。先生は山崎社長から電話を貰うと、急にソワソワし出して、時計と睨みっこしながら待っていたのよ」
と事情を知らされると、やっと我に帰り気力を取り戻したが、心の中では、お爺さんは、やっぱり大助君が好きなんだなぁ。と、大助の本意が理解出来ないまま半ば嫉妬の気持ちで、昼間の出来事を思い出して、大騒ぎした自分が情け無くなってしまっった。