もう何年か放置していたブログなので、これまであった出来事の色々を書けておりませんが、
その書けていなかったことの一つが「ラルの死」です。
ちょうど一年前の今日でした。
初めての命日を迎えたことになります。
ラルのこと実はリアルな知り合いなどには話していません。会社の人たちでも知っているのは2人くらいかな。
言いたくないんですよね。言えば誰もが口を揃えて「ラルは幸せだったはずよ」「ラルは感謝してると思うよ」って言ってくれます。
それはそうかもしれないけど、そうやって私とラルのことを総括されたくないんです。
Twitterやインスタなどで私とラルを見守ってきてくれた人々がそう言ってくれる分には「ほんとにそう思っていいのかな」って思うんですけどリアルな知り合いたちは、ラルのこともほとんど見たこともない人が大半なのにそういう人たちにラルのことを、さもありなんとばかりに語って欲しくない。
一年前、ラルは早朝6時過ぎごろ入院先の動物病院から亡くなったと連絡を受けました。
その前日、所用があって仕事を休んでいた私。
普段の仕事が終わるよりは早めに帰宅した私に母が言いました「なんか今日は一日ラルの様子がおかしくて、寝ることがなくてずっと誰かについてまわるし息も苦しそうにしてるから病院行ってみたほうがいいんじゃない?」と。
その後、「わかった」と返事をしてトイレに入った私をラルはそのドアの前で出てくるまで待っていました。
確かに息が荒く感じます。
病院へは車で向かうので、後部座席のドアを開けたらいつものように慣れた調子で自分で乗り込みましたし、到着してからもドアを開けたら自分で降りました。
病院待合では、いつものようにお利口さんで(当時迷子のシェルティの保護主さんとの)メールのやり取りをしている私の足元でじっと待っていました。
診察室に入り、状態を説明しつつ診察を受けていると先生の表情が曇り「これはあまり良くないかもしれません」と言われました。
そして奥の部屋で検査しますねと連れて行かれた後、暫くしてまた呼ばれ言われたことは
「肺炎を起こしている。細菌性の肺炎か、ウィルスか、真菌かはまだわからないけどこれから点滴をしながら酸素室に入院して効果があれば一週間くらいで帰れますでも、今日明日がヤマでしょう。」そう言われました。
いつもはにこやかな先生に、深刻なこと顔でこんなことを言われているのに、なんだかあっけにとられてポカンとして聞いていて、息苦しそうではあっても、何でもいつも通りにできてここまで一緒に来たラルが、今日明日がヤマと言われても、にわかには信じられないのです。
「このまま入院となります。緊急の際に連絡する電話番号はお変わりありませんか?」 頷きながらも、そんな電話あるわけない、今まで何度か手術したときにだって携帯は鳴らなかったそんな思いに支配されながら病院を後にしました。
帰りは一人で乗る車に、絶望感でいっぱいになります。
そしてここに来て「私、ラルにがんばれって言ってない」と気づきました。でも、酸素室にいるラルに会いたいと戻って言うのはなんとなく憚られ、
また、それこそが今生の別れになってしまいそうな予感もあって出来ずに家へ戻りました。
帰ってから家族に話して「今日明日がヤマって言われた」と言ってもあの状態のラルがそんなに早く逝くなんて誰も信じられなく、もう会えないなんて誰も思えなくて、今日明日のヤマを乗り越えて帰って来るって思い込もうとしていたんだと思います。
当時、Twitterにラルの状況をツイートしました。
シェルレスの代表に「(私の)匂いのついた布とかを持っていくといい、安心するから」って言われて車で使っている膝掛けを用意し、明日の面会のときに持って行こうと思っていました。
翌朝、6時半ごろ携帯が鳴りました。
動物病院名が表示されていました。
目の前が真っ暗になる思いで出た電話で先生が言いました「6時過ぎに見に来たときには、昨夜と変わった様子はなく眠っていて、6時20分頃見たらもう…でも、点滴やシーツなんかに乱れはなくて苦しんだ様子は感じられなかったので、そのまま逝ったんだと思います」
そういうニュアンスで言われたように思います。
その後連れ帰ったラルは、それまでに間に病院で綺麗にしてもらったようでふわふわの毛はツヤピカで、とても死んだ犬のものとは思えず、体もあまり硬直が強くなくて、どこを触っても関節も曲がりました。
翌日荼毘に付した時に、用意していた膝掛けを掛けてあげました。途中火葬の機械が一度止まり、斎場の人によれば「脂の多い場合、高温になりすぎて安全装置が働くため止まる」のだそうです。脂が多い…ラルらしくて、こんな時なのに少し笑えるね…
山の中で木々の間からこぼれてくる光の中、煙はゆっくり昇っていきました。
その時何気なくとった写真でしたが、のちのち見返すと…
2頭のシェルティが空へ向かっているように見えませんか?
聡明で思慮深く、優しく美しいトライのシェルティだったラル。
家族以外は受け入れなかったけど、怒ることも過剰に何かを怖がる性格でもなく、おうちが一番幸せだと知っていたラル。
熊本地震も体調崩すことなく乗り越えてくれたラルの優しさに甘えて、甘えて、甘え続けて、いつかはまたうさぎ達ともみんなで暮らしたいと願っていたけど、ラルもそう思っていたかもしれないけど、叶えてあげる事が出来なかった…
この時という死の間際にしてもそうでした。
私たち家族に介護もさせず、長い闘病生活で経済的負担を強いることもなく、暑くも寒くもないタイミングの日に、開封済みのドッグフードを食べきるタイミングの時を選んで、家族が揃っている日に旅立つことを選んだラル。
出来過ぎている。お利口がすぎる。
もっとわがままでよかったのに。もっと甘やかしてあげたかったのに。
ラルを思うと、ありがとうとごめんねと大好きがずっと頭の中を渦巻いていて、
そういった事は、心の表面では考える事が出来るのですが、もう会えない二度と会えないんだという事実を思う時は心の中心から悲しみという感情がドロドロと流れ出て涙が止まらなくなってしまうので、日頃は心の表面でしか考えることをしていません。
中はジュクジュクの茹で玉子みたいな感じ。
表面は大丈夫なんだけど、中はまだ全然っていう、そんな感じ。
先日、初めてまともに夢にラルが出て来てくれました。
待ち望んでいたことだったので、さぞや幸せな気持ちになれるかと思っていたら、逆で…夢の中でモフモフのラルに
「これはきっと夢だってわかってるけど、ラル会いたかったよ、大好きだよ」って言い聞かせていました。
目が覚めてから「やっぱり夢だったんだな」って思うのと同時に、ただただ虚無感というか、脱力感だけが残りました。やっぱりラルはもういないのだと、改めて知らしめられた感じがしました。
あの時、最後に病院でラルに「頑張るんだよ」って言って頭を撫でてあげられてたら、ラルはもっと頑張れたんじゃにないか、
あの時が最後だったとしても、携帯は置いといてラルだけに集中してあげられたら結果は違ったかもしれないとか…
そんな風にも考えてしまって…
本当はそんな事はなくて、事実は変わらず、ラルは自然を受け入れて逝ったとわかっているけど、そう思わずにいられません。
それは一年経った今も。。。
1年経って、やっとここで皆さんにご報告できる心の用意が出来ました。
今までラル(と私)を応援してくださっていた方には本当に感謝しています。
ありがとうございました。
この一番下に、ラルの最期の写真を貼ります。
苦手な方はここで引き返してくださいませ。