わたしも、もちろん、良い子だったわけではない。
家で泣き叫び、部屋中のものをばら撒いて怒りを訴えたりしていた時期もあった。(もちろん、自分の部屋)
耐えるに耐えられなくなって、そう言った行動にでてしまっていたのだが、けんかをふっかけ、わたしに言い返され、それに応じていくうちに、頭をつかっていないあちらは、早い段階で武器(言葉)がなくなってしまう。
そうすると、「このきちがいが!」「ああ、怖い。どっかおかしいからこんなことするんだ」と、大袈裟にこわがってみたり、大人のすることか?と思うのだが、押し入れに入ってでてこなくなったり(ウォークマンを聴いていた)逃げる。
そして後日、この押し入れに逃げ込んだことだけがフューチャーされて、親戚一同に報告される。
わたしが、いかに恐ろしい娘かを。自分はなんてかわいそうな被害者かを。
救いだったのは随分大人になってから、、親戚の一部の人たちが、そのことをわかっていたと言ってくれたことだ。
うそついて、私を加害者にしたてあげていることにきづいていたよと。
でも、ほとんどの親戚は母親の味方で、わたしはとんでもない娘というレッテルを貼られていた。
いまでこそ、そんなアホな親戚どうでもいい。もう、一生会うことはないだろう。
でも、当時のわたしは、みんなから好かれていなければいけないと、本気で思っていた。
両親に度々植え付けられる罪悪感。それは嘘によってうえつけられたものだったとしても、わたしは、この罪悪感を、どつしたらなくせるんだろう?わたしはなんでこんなに悪い子なんだろう?
いや?悪いのって本当にわたしか?ととてもとても悩んだ。
そして、いつのまにか世間的に素敵な家庭で育ったお嬢さんでありたいという無謀な幻想にくるしめられていくのだ。
誰にも親の正体など話さず、親がどんなに素敵かを語り、仲良し家族のふりをするようになっていた。
私の性格上、それは嘘であってはならないと思っていたので、嘘はつかなかった。
本当にあった素敵な出来事を大袈裟にとりあげて話しながら、本当に素敵な家族をつくりたいと奔走した、、、、、
素敵なお家から嫁がないと、わたしは幸せになれないと思った。
もともと、、結婚するには最低でも1000万貯金がないと無理と親にうえつけられていたので、自分は結婚できないと思って恐怖だった。
確かに、結婚式、新居、新しい生活、どれにもお金がかかる。なぜか、その全てを自分が一人ではらっていかなくてはならないような負担を感じていた。
親に援助してもらったり、二人でなんとかやりくりすればいいだけのことだなんて頭は若い頃は全くなかった。
とにかく、親が納得する人じゃないと連れて行けないし、その人にこんな家庭であることがバレてはいけないと心から思っていた。
だから、お付き合いをする人には家族仲が良いように振る舞っていた。
この価値観も私独自のものではないのだと気付けるまでにとてもじかんがかかった。
外観の良し悪しに縛られてはいけません。
私は、4人兄弟の三男の方と結婚したよ。
計算は一切無しです。
違憲の総意にはおおらかに赦してました。
二人だけのときは、夫を褒めることにっ徹しました。