小学校3年生の2学期、突然母に
「明日塾のテストを受けに行ってちょうだい」と言われた。
テストを受け、受かり(誰でも受かる)めでたく塾通いが始まった。
小学生のお勉強なんて、普通に学校に行っていれば簡単なものばかりなので、わたしは成績優秀のままお受験街道を突っ走ることになる。
四谷大塚、SAPIXと横道を行き、受験のための勉強ばかりさせられた。
そのこと自体は、今はとても感謝している。
中学受験のための勉強は、勉強のコツのようなものを学べたから。
しかし、地獄の日々だった。
なぜ行きたくもない私立の女子校を目指さなければならないのか?
行くなら共学がよかった。
わたしは偏差値も高く、成績も安定していた。
が、中学受験は失敗した。
今ならわかる。
学校選びに失敗しているのだ。
いや、日本一の秀才だったらそれでも合格したかもしれないけれど、、、
祖母、母の代からその学校に通っている人がほとんどみたいな本当に特殊な女子校ばかり受けた結果なのだ。
そして、自分の夢(田舎から憧れ続け、通いたかった私立女子校)を私に託し、夢破れた母はその瞬間から、もう、わたしを娘と思うことはやめたらしい。
一番母が通わせたかった学校に落ちた日の夕飯を私は今でも覚えている
あんなに勉強して来たのに一番の志望校(全く憧れのない学校だったが)落ちてショックなのはわたしなのに、母は
「これからどうすんの?あんな学校しか受からなくて恥ずかしい」
から始まり、
「いつも塾で話聞いてなかったんだろ」
「四谷大塚ではカンニングしてたから成績がよかっんだろう?」
「こんなにお金使ったのに無駄だった」
と、罵った。
お母さんの夢を叶えられない自分が情けなくて、ごめんなさいと泣くことしかできなかった。
でも、今ならわかる
子供にそんなこと言うクソババアのために泣くことはなかった。
試験に落ちて悔しくて泣くならわかるけど、あんなババアのために涙を流す必要はなかった。
そして、受験の失敗くらいで人間失格の烙印を押される必要なんてなかった。
また頑張ればよかった。
が、わたしは一旦そこで、無価値の判子を、押されてしまった。
あの日のわたしのところに、あの頃の母親より大人になったわたしが飛んでいって抱きしめてあげたい。
人生これからよ。あんなに頑張ったじゃない!って。
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