自分を生きるたくさんのヒント

親ガチャハズレでも関係ない!一つ一つ丁寧に手放して、誰かが少しでもハッピーに生きるヒントになったらうれしいです^_^

親の価値観が全く理解できない

2021-11-25 18:48:00 | 兄弟
3.11のとき、両親は父親の単身赴任先で被災した。
幸い、大きな被害はなかったけれど、
よってしばらく自宅に戻ることはできなかった。

首都圏は交通が麻痺していて、あの日、やっとのことで帰ると、弟は荷物をまとめて夜のうちにどっかに行き、1週間以上音沙汰がなかった。

めちゃくちゃになった家を片付け、掃除し、電気や水がなかなか復旧しない中

わたしは一人でなんとかその時期を凌いでいた。

当時私が住んでいた地域は、上水道の復旧にえらく時間がかかり、生活は困難をきわめていた。
そんなとき、友達から
「うちに来たら?」と言ってもらえたので、

わたしは電車で2時間のそのお友達の家にやっかいになることにした。

身の回りの荷物をまとめて、友達のおうちに寄せてもらい、本当にありがたかった。

しばらくすると、弟から連絡が。

「上司に頼まれてとったチケットが背広の上着にあるから、家に入ってとらなくちゃならない。なぜ家にいない?早くあけろ」

弟はずっといなかったし、ああいう災害のときって治安が悪くなるからと、その時は鍵をおいてこなかった。

一体、、、、
あの混乱の中、どこで音楽会があるというのだ?

「かなり遠い友達の家にいるから無理」


すると、しばらくして、父親から怒鳴りの電話がかかってきた。

戻って家をあけろと。

なぜ?こんな時期に音楽会なんかないだろう?


明らかな嘘を咎めるでなく、やっと安心してひといきついたわたしを平気で怒鳴るのか?
私が避難しているのに、そのチケットがなぜ大事なのか?

無理だというと、ストーカーのように電話がかかってきて、見かねた友人が車で送ってくれた。
あの時気づくべきだった。
この家に私の人権は完全にないのだ。

なぜ、不要なことでわたしは私の周りの人に迷惑をかけなくてはならないのか?

弟は震災の日以降連絡もなく、ずっと家にいなかったくせに、
明らかな嘘を通すのか?
本当だったとしてわたしが戻る理由ってなんだ?
理論がめちゃくちゃ。

あのとき、わたしはこの家族を、捨てることを固く誓った。
あの時捨てればよかった。本当におかしい。

もう絶対におかしい。
その後音楽会の話なんてきいてないならどうせ嘘だ。

こんなことばかり起こる家だった。

これって普通??
私が悪かった?



何のお咎めもない弟

2021-11-25 18:37:00 | 兄弟
この家での絶対的な悪は私だから、弟は子供の時こそ、怒鳴られ、ひきまわされ、お風呂で水責めにされたり、

口に猿轡のように着物の腰紐を詰め込まれ、箪笥の取手にくくりつけられたりしていたが

↑これを虐待と言わず何というのか???

弟の身体がおおきくなったからだろうか?何をしてもあまり親に怒られている様子はなかった。

テストはいつも0点、物を盗んだ、何かを壊したと言っては警察沙汰になったり学校に呼び出されていたが、母は悩むことはあっても弟に何かを教育するようなことはなかった。

そしてやがてモンスターが出来上がるのだ。

父は単身赴任で、弟に何かあればははのせいにして

「お前がちゃんとみていないからだ!」と責任転嫁して母を責めた。

学校の勉強が全くできない弟をみて、
「何でお前が勉強を見てやらないんだ?」と、わたしに向かってキレたこともあった。

勉強は自分でするものなのだと弟に教える人は誰一人いなかった。

弟が入れそうな高校を探して親はつてをあたりまくり、おそらく多額の寄付金と共に弟は何とか高校生になった。

そして、おまけとして付属の大学にまで進むことができた。

もちろん、大学になど通わず、中退ではなく、【除籍】となった。
そのときも親にうるさく言われている様子はなかった。

当時社会人だったわたしは、弟が親に見捨てられてやめることになってしまったのでは?と、せっかく入った大学なのだから、お金出してあげるから留年して続けたら?と提案したが、ごにょごにょしてて話は進まず、、後に除籍だったことを知った。

何年生だったかも知らないけど、あの学習能力のやばさで、大学生になんてなれるわけないのだ。高校だっていくところなかったのに。

大学を除籍になった弟は、パチンコに狂った。

わたしのミスは、でっちあげられてでもツーカーだが、弟のことは秘密主義で何一つ私の耳に入ってこないので、一緒に暮らしていても何があったのかさっぱりわからなかったが

数年後、弟は父の強力なコネにより、社員になれる予定のアルバイトを始めた。

そのバイトは、早朝スタートの下積みだったのだが、毎日迎えに来るタクシーにあわせて、母が弟を起こしていた。

20代後半の男を。

起きられなかったら大変なので、母は毎日その時間まで(たぶん3:00〜3:30くらい)起きていたのだと思う。

父の顔に泥を塗らないようにしなくてはいけないからなのか?
弟のためを思ってなのか?←ためになってない

わたしには全く理解できないが、とにかくそうやってバイトをこなし、弟はめでたくそれなりの会社に社員として採用された。

わたし、こんな親がかりの男絶対に嫌だなぁ、、、、



 素敵な家庭の子に見られたかった

2021-11-22 17:49:00 | 家族
わたしも、もちろん、良い子だったわけではない。

家で泣き叫び、部屋中のものをばら撒いて怒りを訴えたりしていた時期もあった。(もちろん、自分の部屋)

耐えるに耐えられなくなって、そう言った行動にでてしまっていたのだが、けんかをふっかけ、わたしに言い返され、それに応じていくうちに、頭をつかっていないあちらは、早い段階で武器(言葉)がなくなってしまう。

そうすると、「このきちがいが!」「ああ、怖い。どっかおかしいからこんなことするんだ」と、大袈裟にこわがってみたり、大人のすることか?と思うのだが、押し入れに入ってでてこなくなったり(ウォークマンを聴いていた)逃げる。

そして後日、この押し入れに逃げ込んだことだけがフューチャーされて、親戚一同に報告される。

わたしが、いかに恐ろしい娘かを。自分はなんてかわいそうな被害者かを。

救いだったのは随分大人になってから、、親戚の一部の人たちが、そのことをわかっていたと言ってくれたことだ。

うそついて、私を加害者にしたてあげていることにきづいていたよと。

でも、ほとんどの親戚は母親の味方で、わたしはとんでもない娘というレッテルを貼られていた。

いまでこそ、そんなアホな親戚どうでもいい。もう、一生会うことはないだろう。

でも、当時のわたしは、みんなから好かれていなければいけないと、本気で思っていた。

両親に度々植え付けられる罪悪感。それは嘘によってうえつけられたものだったとしても、わたしは、この罪悪感を、どつしたらなくせるんだろう?わたしはなんでこんなに悪い子なんだろう?
いや?悪いのって本当にわたしか?ととてもとても悩んだ。

そして、いつのまにか世間的に素敵な家庭で育ったお嬢さんでありたいという無謀な幻想にくるしめられていくのだ。

誰にも親の正体など話さず、親がどんなに素敵かを語り、仲良し家族のふりをするようになっていた。

私の性格上、それは嘘であってはならないと思っていたので、嘘はつかなかった。
本当にあった素敵な出来事を大袈裟にとりあげて話しながら、本当に素敵な家族をつくりたいと奔走した、、、、、

素敵なお家から嫁がないと、わたしは幸せになれないと思った。

もともと、、結婚するには最低でも1000万貯金がないと無理と親にうえつけられていたので、自分は結婚できないと思って恐怖だった。

確かに、結婚式、新居、新しい生活、どれにもお金がかかる。なぜか、その全てを自分が一人ではらっていかなくてはならないような負担を感じていた。

親に援助してもらったり、二人でなんとかやりくりすればいいだけのことだなんて頭は若い頃は全くなかった。

とにかく、親が納得する人じゃないと連れて行けないし、その人にこんな家庭であることがバレてはいけないと心から思っていた。

だから、お付き合いをする人には家族仲が良いように振る舞っていた。

この価値観も私独自のものではないのだと気付けるまでにとてもじかんがかかった。




暴れるためならなんでもいい

2021-11-21 01:03:00 | 父親
酒乱、モラハラの父は、暴れるためなら何にだってケチをつけてくる。

なんで母は別れなかったんだろう、、、

母は好きなだけお金を使える生活をしていたけど、実際は、家中に目を光らせていて、真新しいものを見ると、いくらだったんだ?としつこく聞かれ管理されていた。

母も、テキトーに答えればいいのにおろおろするから、余計餌食になる。
普段インテリアなど、見向きもしないのに、突然一年も前に買った装飾品に気付き、豹変し、それをぶん投げて壊したこともあった。

この家は狂っている。

父の機嫌の悪い時など、どうみても人間として扱われていなかった。

そのうち、母は買い物で憂さ晴らしをして、それを隠すようになった。
クローゼットの、奥には封を切っていない買ったまま包み紙のブランド品がたくさんある。

もっとつかいまくってやればいいのに。

っていうか、そのお金貯めて別れればいいのに。

もし、父が稼げない人だったら、おそらく、借金して買い物していたんだろう。

完全な依存症だった、、、、



お前の世話にはならないと何十年も主張していた愚かな母

2021-11-20 09:55:00 | 母親
わたしが小さな頃から母親はヒステリックで、
両親はしょっちゅう派手な夫婦喧嘩をしていたし、

わたしと弟も、
なぜそこまでぎゃんぎゃん狂えるのか?というくらい些細なことでしつこく怒鳴られ、怒られていた。

そうしたときに本当に何千回と聞かされた台詞がある。

「お前の世話になんかならない」

最初のほうこそ、突き放されたような気持ちになって悲しくなったが、何度も言われるとそのセリフのおかしな点に気づく。

『世話なんかしないよ!!』

そう。そんなことまでも、すでに当たり前に親の支配下なのである。

大人になっても争いは絶えなかった。

変わらず繰り返される理不尽を、子供の頃のように受け止めず、私が決して許さなかったからだ。(このあたりのことは、追ってまた書きます。大事な出来事だったので)

時がたっても同じセリフを繰り返して馬鹿にするしかない愚かな母

「あんたなんか大嫌いだ。産まなきゃよかった。早く家を出て行け。一生顔も見たくない」

大人になると、母親には不思議なことに「ブス」とは言われなくなった。(父親には言われた)


あぁ、そうだ。産まなきゃよかったとは一体どれだけ言われたことだろう。

子供の頃は本当に悲しくて悲しくて、、、


大人になってからのわたしは違う。

全ての理不尽に全力で対峙した。
人生で最も無駄だったと思う時間。本当に多くの時間を無駄にしてしまった。

でも、何か言われてポンと言葉を言い返せなかった最初の頃、じっと耐え、一人悲しみ、でも、絶対に負けないと歯を食いしばり、そして自分は何に傷つき、何に違和感を感じているのか考え、おかしいのはわたしじゃないと、ぐらぐら崩されそうになりながらもなんとか自分を保った。

この工程を長きに渡り頑張れた自分のことは、本当に褒めてあげたい。


「あんたなんか大嫌いだ。産まなきゃよかった。早く家を出て行け。一生顔も見たくない」

と言われれば

「私だって嫌いだ。勝手に産んでそんなセリフ吐くような母親は母親失格だ。こんな母親のもとに産まれてきて不幸だ。出て行きたくても先立つものがないからここにいる。顔を見たくないのはお互い様なんだから、静かに顔を合わせないように生活すればいい。かき乱さないで!」

と叫んだ。叫ばないと通じないのだ。聞いてるのか聞いてないのかわからない。言い逃げは許さない。
わたしは必死だった。わかってほしかった。どんなに嫌か。どんなに悲しいか。

それは完全に無駄な行為だったのだけど。

「安心しろ、お前の世話にはならない」と誇らしげに言う母に

「へぇ。絶対に世話になるなよ。そもそも、子供が親の世話するって誰が決めた?葬式にも出たくないわ。」


毎回叫びながら思ってた。

母親の真似をして、母も嫌な気持ちを味わえば、きっと私の悲しさがわかってわもらえると。
キツい言葉は辛いと。

わたしはこんなことが言いたいわけじゃないのに、、、、

わたしは、こんなふうにヒステリックに叫んで人にものを伝えたいと思ってないのに、、、

同じようにしても何も伝わらないのに、、、




そして、言い返されて逃げ道がなくなるとお得意の

「あんた、頭おかしいんじゃないの?精神病院に入れ!!!」

で終わる。

実は、母親も、こんなことが言いたいわけではないのに苦しんでいるかもしれないと思った。

のちのち

母親は、全くそんなことはなく、
暴言のすべては心からの本音だったことがわかり、わたしは存在の意味を全否定されて心の底から衝撃をうけるのだけど、、、、、