ただの碁好きな麺や親父の雑記

麺や食堂爺のひねもすのたりのたりかな

光陰矢の如し

2018-05-04 23:36:11 | らーめん
我が店は初代が
昭和29年の暮れに喫茶、食事「ブラジル」として、本厚木駅の近くで始めました。
初代が第二次大戦中の15年に川崎大師の山門近くで喫茶店をやっていたのですが、
空襲のため、厚木に疎開してきて、
しばらくは田圃と畑を少し手に入れて、
百姓をして食料を調達しながら頑張っていたそうな。
そして世間が落ち着いてきた時に初めてたのです。
29年に始めた時の珈琲が25円でした。
今に比べて安かったですね、
珈琲豆は、東京に行かなければ仕入れが出来なかった。
浅草のカッパ橋の商店街の入り口に交番があり、
今でも有ります。
その交番のすぐ隣に国際珈琲という店でコーヒー豆を仕入れて使ってました。
当時の店の仕入れは殆ど浅草で買っていました。
蜜豆の寒天も、ソフトクリームのコーン🌽も、
仕入れが大変でしたね。
今いろいろ思い出しながら、書き出してみると、
懐かしくかんじます。
「光陰矢の如し」まさしくその通り
今麺や食堂として頑張っています。
先日6店舗の唐揚げ専門店「はっぴ商店」を平塚市東真戸に立ち上げました。
どうぞよろしくおねがいいたします