ただの碁好きな麺や親父の雑記

麺や食堂爺のひねもすのたりのたりかな

桶狭間の後

2018-03-22 10:14:05 | 歴史
1560年永禄3年
家康は今川勢の一員として、先鋒を任され大高城に兵糧の補給をするのですが周りは織田信長軍勢が包囲しており、その囲みを突破しなければ兵糧を届けられないので家康の軍勢1000人と兵糧450俵を馬150頭それぞれ三俵づつ担がせてそれを50頭づつ3グループに分けてそれぞれ50人の兵を護衛につけて150名
その両側に100人づつの兵で守らせてた。
織田勢の囲みを破って大高城に無事に運び入れて
家康の軍勢は大した被害もなく引き上げました。
その翌日5月19日に支城のひとつ丸根砦を攻め落とし、大高城に居た時今川義元が討たれた為
撤退して菩提寺の大樹寺に入りそのあと、
今川が放棄した岡崎城に入り独自のの生き延びていく為の軍事行動をして、
1564年永禄5年今川と断交して織田信長と同盟を結んだ。
所謂清洲同盟
この頃から家康の戦国大名としての地固めが出来つつある。
名前も元康から家康に変えている。
歴史も後からいろいろな人が付け加えて物語にしている部分があるので、学ぶ楽しさがいいですね

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