漂う蒸気は、肺をふやけさせ、緊張感を奪う。
雨だ。
高温の湯気が冷たい雨を受けて、大量の靄を発生させ、すべてを覆い隠していく。視界が閉ざされる。何も見えなくなっても、ここが自分の故郷だという現実に変わりはない。胸いっぱい呼吸がしたいとの思いは増すばかりだ。
靄が発生すれば、この町はすべての機能をストップするしかない。仕事が休みになる、なんて小学生みたいな悠長なことでは済まされない。
視覚としての故郷がなくなったとしても、実体としては何一つ変わるわけではない。雨が上がって靄が晴れたとき、
このまちの澱んだ空気がすべてなくなってくれたらどんなにいいか
このまちが全く別のどこかに生まれ変わっていてくれたら…
いつもそう思った。雨の止んだ翌日、きっと何も無かった様に晴れ渡る空を睨みつけるだろう。
小さい頃、親の目を盗んで、よくクレーターの中央に一人で遊びに行ったっけ。あれは何歳ぐらいだったか。靄に包まれたようにはっきりしないが、幾つかのピースを失ったパズルのような記憶だ。
ただ何となく強く放出される湯気を間近で見たいという思いと、親から「あそこは危険だから絶対に行っては駄目」と念を押されるから、余計に近付きたかったんだと思う。
湯気の危険が及ばない距離に近付くだけだ。そのはずだったが、しばらく通い続けるうちに、湯気の先に見えるゲシャ海に誰かが待っていて、自分を呼んでいると感じるようになった。湯気でその先は見えない。でも確かに、誰かが自分を待っていた。救いを求めている、そう直感した。根拠はない。それは野性的な勘だったかもしれない。
声が聞こえるわけでもなく、こっちへおいでと手招きする姿が見えるわけでもない。なのに、その距離は次第に縮まっていった。どれくらい時間をかけてそうしたのか。
少しずつのつもりが、一気に辿り着いてしまおうという思いが芽生え始めた。行動も大胆になった。依然として親の目を盗んでいたが、人目を忍ぶことはしなくなった。
あるとき、ゲシャ海に向かおうと決めた。自分を誘う主に導かれ、弾かれた様に一直線に湯気へ向かって歩いた。幼な馴染みが自分を制止する声も、捕まえようと握ってきた手もすべて振り払っていた。
噴き出す湯気の熱、しぶき。興奮状態で気付かなかった。そのまま速度を緩めず湯気柱群に差し掛かると、意を決してということもなくそこに手を伸ばした。
瞬間、遠くで自分の名前を呼ぶ声がした。とても懐かしく感じたが、それは耳に心地よく、遠い彼方で聞こえたものではなかった。同時に体がふわり、自分の力とは別のところで宙に浮いた。目指していた湯気の先がどんどん遠ざかっていく。抵抗することもなく、自ら遂げようと臨んだ行為が邪魔されていることに腹を立てるでもなく、熱や湯気のしぶきの感じない場所まで連れてこられ、地面に投げ出された。自分を放り投げた力点の発信源を見上げると、体をじっとりと湿らせ、肩で息をする父親が力なくへたりこんでいた。
反対に海の方向を振り返っても、自分を誘う主を感じることができなくなっていた。
ずっと忘れていた。思い出したのは成人する少し前。記憶では、大量の湯気を吸い込んだせいで、呼吸障害や脳への影響が心配だと大人たちが話していたが、その後もそれ以前と少しも変わらぬ日常を送ることができた。記憶に一部混濁や欠如があると医者は言ったようだが、失われたのは、その奇行の記憶だけだった。今それを思い出した。
再び、主が自分を手招きするようになった。幻覚なのかもしれなかったが、それは過去の記憶に符合し、現在進行形であるため実にリアルだった。
同時に、息苦しさを覚えるようになった。特に雨の日がそうだった。みんなにはあるのに、自分が吸うべき空気は別にあって、その供給が滞っているようだった。雨が止めば収まるが、別の渇望が頭をもたげてくる。
「海を渡るんだ」と。
湯気に直接触れることは危険だという刷り込みや固定観念に縛られ、欲望に自己規制を掛けることで苦しむようになった。子供の時、そんな苦痛はなかった。
いっそ記憶にある過去の行為に再び挑戦してみてはどうだろう。あの時は父親に邪魔されたが、今ならできるかもしれない。あの時だって熱さを感じず、呼吸困難に陥ることはなかったじゃないか、と。むしろ今ここにいることこそが息苦しいのだ。このまちにいても同じなら、違う環境に身を投じれば、何か変わるかもしれない。湯気の内側から外側へ。もしかしたら湯気の外側からコアに向かうのかもしれない。
逡巡を繰り返すうち、ときどき記憶を失っている自分に気付いた。何て滑稽なんだ。記憶を失っていた時には起きなかった、心配された症状が、記憶が復元されると同時に発症するなんて。
耳鳴りのように脳裏で囁きが聞こえる
“自分は、自分を誘う主を救うんだ”
でも、自分に誰かを救うことなんてできない
自分を誰かが救えるなんて思ってもいないのに
誰も自分を救えない
神話を造ったオトコ
消えた人波が戻り始めるそんな気配がする。プレジャは時計を確認するわけでもなく店をたたむ準備を始めた。安酒場の宿命ともいえるが、ラストオーダーなんてものはここにはない。1日当たりの不充足感を安酒でなんとか埋め合わせたヤツラが消える時間が閉店時間になる。まだ、飲み続けているヤツラも居るが、それらは無視していい。彼らも察して、店じまいの手伝いをするはずだ。
通常の客1に対して、ここではホームレスが倍の2を占める。彼らは、ここでささやかな労働(灰皿の交換、椅子を直す、オーダーを取る等)と、死を避ける暖かさを得て店主の善意の浮いた安酒をあおっている。一般客の飲み残しも彼らの取り分になる。煙草などをせびる場合もあるが、余程のことがない限りプレジャは注意をしないことにしている。一般客に対して「酒を奢ってくれ」等の要求をすることは、ここではセーフだし、繁盛時の住み分けは完成されている。すべてこを心得ている彼らに自分が掛ける言葉はないだろう。現在時刻は分からないが、もう既に、少し先に向かって時間は進んでいる。
グラスを洗い終えたところで、小休止を決め、動かないオトコに目をやる。彼だけがここの空間で静止している。毎日のことではあるが、どうしても目を向けてしまう。生きているかどうかの確認かもしれない。
動かない老人は首だけを動かし、酷く可愛らしい笑顔をこちらに向けた。焦点を辿っても自分からは微妙にずれる気がするから、もしかしたら後ろの酒台に並ぶボトルを見ているのかも知れない。 彼は酩酊状態を何年?何十年続けているのだろうか、酷く可愛らしい笑顔からは、余りに壮大過ぎて時間的尺度を想像することは出来ない。酷い笑顔を固める数え切れない皺には想像を超えた何かが刻まれている。それが想像を超えて詰まらないものか、想像を超えて神聖なものか、想像を超えた汚いものか、またはそれらが入り混じったものなのか、または皮膚から排出されたアルコールのアセトンか、まちに漂う蒸気に混じる潤滑油が潤滑を失ったものか、それも想像を超えて分からない。
プレジャを含めたここで動く人間たちは、彼が動かない理由を知っている。この町に残る神話をでっち上げた人物が彼で、彼の時間の向かう方向は世界とは真逆になっていることを知っている。プレジャは、反応の鈍い黄色く濁るその目に視線を送るのを止める。やることはまだ沢山残っている…。
すぜけうすに住む人々は同胞意識や民族性といったものと無縁に生きている。ムラ社会を形成するために必要な、友情なき友情や、誇り、互助を促がす信頼は皆無である。ただ、すぜけうすには共有する一つの神話がある。
クレーターの衝突は観測を出来た時代の出来事である。死者などの犠牲者の数は特定されておらず、自然に暮らす動植物の他は無かったという見方が強い。人々が移り住むようになったのは、サンマたちと殆ど変わらない理由からであった、当時は今のサンマたちよりは安い理由だった。その後、人々を管理する役所が造られ、クレーターの変動を監視する灯台が建てられ、警察官何名かと保安官が派遣されて、すぜけうすは完成した。断るまでもないが、それは何十年も昔の話ではない。
すぜけうすが産声を上げて何年か経った頃、今では共通認識となった神話が作られた。「何処かの王族の王子が、謀略によって追放させられ暗殺者の追っ手を逃れこの地に辿り着き、後で追いついた妃と共に切り開いた。ある日、開墾の手を休め、鍬を地に挿した時、蒸気が噴き出し、水の心配は無くなった云々…」などというくだらない純度120%の戯言ともいえる代物だが、共同体意識を欲したすぜけうすはこれを受け入れた。人々は、でっち上げの事実を暗黙の了解とし、それを守り続けることを一流のジョークと置き換えた。神話は、共同体意識の強い柱にはなれなかったが、周りから隔絶された町のシンボルになり機能している。実際、今でも初等教育段階で音読させられる。
何時の間にか後片付けの手が止まっている。「気だるい表情を引きずりながら開墾に邁進してる人々に彼は何を見てしまったのか?」開墾の他の何かに頼らなければ生きていけなかった彼に対して、多分…誰も手を差し伸べなかったのだろう。些細な妄想が、磨り減りながらキャッチーなシンボルになりつつある時に、彼はその愛情の欠いた、熱狂的な馬鹿馬鹿しさを嫌悪しただろう。そう、そこには誤った理解があった。そうして、ナイーブな彼は逆行を始めることを決意した…とプレジャは考えてみた。彼はすべてを遮断しつつ、安酒とボイラーの暖かさだけを受け入れている。
結果的に彼はこの町に留まった。明日(今日?)からも、ここと日替わりの寝床を往復するだけの世界を壊すことはない。そして、無意味な笑顔と塩辛い伝説を糧にして、もう少し生きる。
ブロンド好きの若いホームレスが、プレジャの手元から泡を残している皿を奪い取る、その最後の皿をすすぎ終えると、固まった笑顔のままテーブルに沈んでいる老人を肩に乗せ、挨拶もせずに、モーター音が静かに響きだした通りに出て行った。
雨だ。
高温の湯気が冷たい雨を受けて、大量の靄を発生させ、すべてを覆い隠していく。視界が閉ざされる。何も見えなくなっても、ここが自分の故郷だという現実に変わりはない。胸いっぱい呼吸がしたいとの思いは増すばかりだ。
靄が発生すれば、この町はすべての機能をストップするしかない。仕事が休みになる、なんて小学生みたいな悠長なことでは済まされない。
視覚としての故郷がなくなったとしても、実体としては何一つ変わるわけではない。雨が上がって靄が晴れたとき、
このまちの澱んだ空気がすべてなくなってくれたらどんなにいいか
このまちが全く別のどこかに生まれ変わっていてくれたら…
いつもそう思った。雨の止んだ翌日、きっと何も無かった様に晴れ渡る空を睨みつけるだろう。
小さい頃、親の目を盗んで、よくクレーターの中央に一人で遊びに行ったっけ。あれは何歳ぐらいだったか。靄に包まれたようにはっきりしないが、幾つかのピースを失ったパズルのような記憶だ。
ただ何となく強く放出される湯気を間近で見たいという思いと、親から「あそこは危険だから絶対に行っては駄目」と念を押されるから、余計に近付きたかったんだと思う。
湯気の危険が及ばない距離に近付くだけだ。そのはずだったが、しばらく通い続けるうちに、湯気の先に見えるゲシャ海に誰かが待っていて、自分を呼んでいると感じるようになった。湯気でその先は見えない。でも確かに、誰かが自分を待っていた。救いを求めている、そう直感した。根拠はない。それは野性的な勘だったかもしれない。
声が聞こえるわけでもなく、こっちへおいでと手招きする姿が見えるわけでもない。なのに、その距離は次第に縮まっていった。どれくらい時間をかけてそうしたのか。
少しずつのつもりが、一気に辿り着いてしまおうという思いが芽生え始めた。行動も大胆になった。依然として親の目を盗んでいたが、人目を忍ぶことはしなくなった。
あるとき、ゲシャ海に向かおうと決めた。自分を誘う主に導かれ、弾かれた様に一直線に湯気へ向かって歩いた。幼な馴染みが自分を制止する声も、捕まえようと握ってきた手もすべて振り払っていた。
噴き出す湯気の熱、しぶき。興奮状態で気付かなかった。そのまま速度を緩めず湯気柱群に差し掛かると、意を決してということもなくそこに手を伸ばした。
瞬間、遠くで自分の名前を呼ぶ声がした。とても懐かしく感じたが、それは耳に心地よく、遠い彼方で聞こえたものではなかった。同時に体がふわり、自分の力とは別のところで宙に浮いた。目指していた湯気の先がどんどん遠ざかっていく。抵抗することもなく、自ら遂げようと臨んだ行為が邪魔されていることに腹を立てるでもなく、熱や湯気のしぶきの感じない場所まで連れてこられ、地面に投げ出された。自分を放り投げた力点の発信源を見上げると、体をじっとりと湿らせ、肩で息をする父親が力なくへたりこんでいた。
反対に海の方向を振り返っても、自分を誘う主を感じることができなくなっていた。
ずっと忘れていた。思い出したのは成人する少し前。記憶では、大量の湯気を吸い込んだせいで、呼吸障害や脳への影響が心配だと大人たちが話していたが、その後もそれ以前と少しも変わらぬ日常を送ることができた。記憶に一部混濁や欠如があると医者は言ったようだが、失われたのは、その奇行の記憶だけだった。今それを思い出した。
再び、主が自分を手招きするようになった。幻覚なのかもしれなかったが、それは過去の記憶に符合し、現在進行形であるため実にリアルだった。
同時に、息苦しさを覚えるようになった。特に雨の日がそうだった。みんなにはあるのに、自分が吸うべき空気は別にあって、その供給が滞っているようだった。雨が止めば収まるが、別の渇望が頭をもたげてくる。
「海を渡るんだ」と。
湯気に直接触れることは危険だという刷り込みや固定観念に縛られ、欲望に自己規制を掛けることで苦しむようになった。子供の時、そんな苦痛はなかった。
いっそ記憶にある過去の行為に再び挑戦してみてはどうだろう。あの時は父親に邪魔されたが、今ならできるかもしれない。あの時だって熱さを感じず、呼吸困難に陥ることはなかったじゃないか、と。むしろ今ここにいることこそが息苦しいのだ。このまちにいても同じなら、違う環境に身を投じれば、何か変わるかもしれない。湯気の内側から外側へ。もしかしたら湯気の外側からコアに向かうのかもしれない。
逡巡を繰り返すうち、ときどき記憶を失っている自分に気付いた。何て滑稽なんだ。記憶を失っていた時には起きなかった、心配された症状が、記憶が復元されると同時に発症するなんて。
耳鳴りのように脳裏で囁きが聞こえる
“自分は、自分を誘う主を救うんだ”
でも、自分に誰かを救うことなんてできない
自分を誰かが救えるなんて思ってもいないのに
誰も自分を救えない
神話を造ったオトコ
消えた人波が戻り始めるそんな気配がする。プレジャは時計を確認するわけでもなく店をたたむ準備を始めた。安酒場の宿命ともいえるが、ラストオーダーなんてものはここにはない。1日当たりの不充足感を安酒でなんとか埋め合わせたヤツラが消える時間が閉店時間になる。まだ、飲み続けているヤツラも居るが、それらは無視していい。彼らも察して、店じまいの手伝いをするはずだ。
通常の客1に対して、ここではホームレスが倍の2を占める。彼らは、ここでささやかな労働(灰皿の交換、椅子を直す、オーダーを取る等)と、死を避ける暖かさを得て店主の善意の浮いた安酒をあおっている。一般客の飲み残しも彼らの取り分になる。煙草などをせびる場合もあるが、余程のことがない限りプレジャは注意をしないことにしている。一般客に対して「酒を奢ってくれ」等の要求をすることは、ここではセーフだし、繁盛時の住み分けは完成されている。すべてこを心得ている彼らに自分が掛ける言葉はないだろう。現在時刻は分からないが、もう既に、少し先に向かって時間は進んでいる。
グラスを洗い終えたところで、小休止を決め、動かないオトコに目をやる。彼だけがここの空間で静止している。毎日のことではあるが、どうしても目を向けてしまう。生きているかどうかの確認かもしれない。
動かない老人は首だけを動かし、酷く可愛らしい笑顔をこちらに向けた。焦点を辿っても自分からは微妙にずれる気がするから、もしかしたら後ろの酒台に並ぶボトルを見ているのかも知れない。 彼は酩酊状態を何年?何十年続けているのだろうか、酷く可愛らしい笑顔からは、余りに壮大過ぎて時間的尺度を想像することは出来ない。酷い笑顔を固める数え切れない皺には想像を超えた何かが刻まれている。それが想像を超えて詰まらないものか、想像を超えて神聖なものか、想像を超えた汚いものか、またはそれらが入り混じったものなのか、または皮膚から排出されたアルコールのアセトンか、まちに漂う蒸気に混じる潤滑油が潤滑を失ったものか、それも想像を超えて分からない。
プレジャを含めたここで動く人間たちは、彼が動かない理由を知っている。この町に残る神話をでっち上げた人物が彼で、彼の時間の向かう方向は世界とは真逆になっていることを知っている。プレジャは、反応の鈍い黄色く濁るその目に視線を送るのを止める。やることはまだ沢山残っている…。
すぜけうすに住む人々は同胞意識や民族性といったものと無縁に生きている。ムラ社会を形成するために必要な、友情なき友情や、誇り、互助を促がす信頼は皆無である。ただ、すぜけうすには共有する一つの神話がある。
クレーターの衝突は観測を出来た時代の出来事である。死者などの犠牲者の数は特定されておらず、自然に暮らす動植物の他は無かったという見方が強い。人々が移り住むようになったのは、サンマたちと殆ど変わらない理由からであった、当時は今のサンマたちよりは安い理由だった。その後、人々を管理する役所が造られ、クレーターの変動を監視する灯台が建てられ、警察官何名かと保安官が派遣されて、すぜけうすは完成した。断るまでもないが、それは何十年も昔の話ではない。
すぜけうすが産声を上げて何年か経った頃、今では共通認識となった神話が作られた。「何処かの王族の王子が、謀略によって追放させられ暗殺者の追っ手を逃れこの地に辿り着き、後で追いついた妃と共に切り開いた。ある日、開墾の手を休め、鍬を地に挿した時、蒸気が噴き出し、水の心配は無くなった云々…」などというくだらない純度120%の戯言ともいえる代物だが、共同体意識を欲したすぜけうすはこれを受け入れた。人々は、でっち上げの事実を暗黙の了解とし、それを守り続けることを一流のジョークと置き換えた。神話は、共同体意識の強い柱にはなれなかったが、周りから隔絶された町のシンボルになり機能している。実際、今でも初等教育段階で音読させられる。
何時の間にか後片付けの手が止まっている。「気だるい表情を引きずりながら開墾に邁進してる人々に彼は何を見てしまったのか?」開墾の他の何かに頼らなければ生きていけなかった彼に対して、多分…誰も手を差し伸べなかったのだろう。些細な妄想が、磨り減りながらキャッチーなシンボルになりつつある時に、彼はその愛情の欠いた、熱狂的な馬鹿馬鹿しさを嫌悪しただろう。そう、そこには誤った理解があった。そうして、ナイーブな彼は逆行を始めることを決意した…とプレジャは考えてみた。彼はすべてを遮断しつつ、安酒とボイラーの暖かさだけを受け入れている。
結果的に彼はこの町に留まった。明日(今日?)からも、ここと日替わりの寝床を往復するだけの世界を壊すことはない。そして、無意味な笑顔と塩辛い伝説を糧にして、もう少し生きる。
ブロンド好きの若いホームレスが、プレジャの手元から泡を残している皿を奪い取る、その最後の皿をすすぎ終えると、固まった笑顔のままテーブルに沈んでいる老人を肩に乗せ、挨拶もせずに、モーター音が静かに響きだした通りに出て行った。
余計な?凄く!楽しいこと!!も舞い込む日々に…やっぱり、混乱しているのです。
珍しい…!?