すぜけうすサンマ豊漁記 ⑦

2006-02-07 18:51:40 | すぜけうすサンマ豊漁記
 垂直の海を渡って



 彼は蒸し暑さに目が覚めた。右隣の男が自分の腕に顔を押し付けて、うんうんうなされて眠っている。顔だけじゃない。男の体全体が自分と張り付いているみたいだ。二人を隔てるのは、互いの汗だけだった。
 この男だけではない。左隣にいる老女も、僅かな隙間を作って自分と他人との境界を保とうとしていた。幸いにも彼の背後は壁で夜にはじんわりと冷たさがあり、蒸し暑さを和らげてくれていたが、その前に広がる世界の、どこを見渡しても、みんなそうやって窮屈そうにしていた。自分自身を個人として存在たらしめようと必死だった。
 この狭い空間に、いったい何人が押し込められているのか。彼と反対側の壁際では、むずかる赤ん坊が泣き出してしまわないよう、若い母親が懸命にあやしていた。我が子が叫び出せば、誰かが苛立ち、その子を取り上げてどうにかされる恐怖に怯えながら。

「おい、このじいさんも、もう駄目だぜ」。

 入り口の方から、誰かがうめくように言った。「これで何人目だ」「あと何人死ぬんだ」「話が違うじゃないか」と悲嘆や憤慨などがごちゃ混ぜになった繰言が方々から聞こえてきた。
 今日で1週間。彼らはこの空間に押し込められている。ここは船の中なのに乗船以来、一度も海を見ていない。決して華々しい船出ではなかった。人目をはばかり、金を工面してようやっと乗り込んだ。はたから見れば、違法であり、敗走や都落ちだった。けれども、船の行き着く先には大きな希望と夢という名の未来が約束されているはずだった。
 密入国の危険は十分承知していた。船に乗るまでに計画が政府にばれる危険、船に乗ろうとした瞬間に捕らえられる危険、渡航中に海賊や政府に拿捕される危険、船を降りようとするその瞬間に入国先の政府に拿捕される危険、ブローカーが入国手続きを済ませる間に潜伏先が発覚して強制送還される危険…
 しかし、移動する船内で、船の内部でこんな危険が待っていると誰が予想しただろう。
 だいたい遊覧船か中型漁船に毛の生えたような船だ。いったい何人乗り込んだろう?!自分が最後かと思った人間が何人もいたはずだ。乗船は20人程度のグループに編成され、1グループが乗り込むごとに、海岸に潜んでいる別のグループがまた乗り込む。それが5、6度繰り返された。最低100人は乗っている。それは密入国者だけで、船員はほかにもいる。最初の方に乗り込んだと思われる彼が見た限りでは、とてもそんな人数など乗れるわけがなかった。
 一度部屋に押し込められると、その後は一切外に出ることが許されなかった。扉は日に一度、食事とも言えない粗雑な食べ物が寄越される時に開くだけ。便意を催せば、奥にある簡易トイレを使うように言われた。ダクトを通して海に直に流れる仕組みだが臭いがひどい。水道も付いてはいるが、1日の供給量は限られている。室内に窓はなく、外の様子をうかがい知ることもできない。嫌な腐臭と人いきれ、湿って澱んだ空気が漂っていた。
 最初のうちこそ互いに新しい国で自分がどんな生活を送るか語ったり、日照り続きだったこの夏で自分がどんな目に遭い、密入国をしようと決意したかのいきさつを話したりもした。それが、みんなで頑張って新しい国へ行こうと互いを励まし合い、次第に口数が減り、具合の悪くなる者が出て、年寄りや女性や子供たちが息を引き取っていった。死ねば腐る。一緒に乗船した仲間の哀願を振り払って、亡骸をトイレに流した。身体の大きい者は、その身をダクトが詰まらないように本当に折りたたんだ。糞尿以下の扱い。残された者は、衰弱するか、半狂乱になるか、踏みとどまって精神を落ち着かせるか。どちらにしても選択肢は限られていた。

 「なんでこんなことになっちまったんだ」「国に帰してくれ」「本当に新しい生活を始められるのか」。去来する疑念や不安が、絶望や恐怖へと進んでいくようだった。

 彼はどう感じているか。彼はじっと耐えていた。こんなこと、国にいた時に比べれば造作もないことだ。事実、そうだった。死んでゆく者にも、ことさらに他人に攻撃的な人間にもならなかった。狂乱も、絶望も無かった。
 垂直の海の先へ渡れば、新たな世界が待っている。そこに彼の会いたい人がいる。そのためにどんな困窮や飢えも、屈辱や搾取にも耐えてきた。再会の瞬間を思うと、この船内でさえ、執行の日に人生最良の日の夢を見て目覚め、現実に連れ戻された死刑囚の悲劇のようだとは思わないのだ。いや、思ってはいけないのだ。
 彼の夢想を遮るように、先ほどの赤ん坊が声を上げて泣き始めた。四方のコンクリートの壁にそれが共鳴して、ここにいる者たちの剥き出しになった精神を脅かし始めた。
 「いい加減にしろっ、もう我慢できん。そのガキをこっちに寄越せ。俺が始末してやる」。親子とはす向かいに座っていた男がむくりと立ち上がり、大きな声でわめいた。中から賛同する者も出てきた。加勢に押されたか、その男は人ごみをかき分けて親子に向かっていった。かき分けられた者達は、うめいたり、制止を求めたり、黙ってされるがままを決め込んだりしていた。男は母親の腕から赤ん坊を引ったくろうとした。
 「いや、私の赤ちゃん。だめっ」。母親は男の手を払いのけ、我が子をくるむように身をよじり、男に背を向けた。その勢いに男は一瞬面目を失ったようになったが、
 「こんなところにいて、ガキにワーワーぎゃ-ぎゃ-わめかれちゃ、みんなたまんねぇんだよ」。男は後ろ向きになっている母親に顔を近づけて罵声を浴びせた。「そいつももう長くねぇ。耐えられるわけがねぇ。大人だって死んじまってるんだ」。周囲からも賛同する言葉が漏れそうになったが、死という言葉に母親が過敏に反応し、赤ん坊の泣き声よりも大きな金きり声を上げて遮った。男はなおも続けた。「一人でも多く生き残るには、弱い者には遠慮してもらうより道はねぇ。お前さんだって分かるだろう」。最後は説き伏せるようだった。
 しばらく沈黙が続き、母親はようやく顔を上げ、男の目をじっと見据えた。目は赤く充血し、両の頬に涙が伝っていた。
 そしてひと言。「嫌です」とゆっくり口を開けた。
 男は何かしようか、言おうかしたようだったが、力なく手をだらりと下ろし、大きく肩で息をした。きびすを返して元いた場所に戻った。
 母親は先ほどと同じ姿勢で身を固めていたが、やがて重しが外れたように、身体がわなわなと震え、天井を見上げながらさめざめと涙を流した。誰も彼女に声を掛ける者はいなかった。いつの間にか泣き止んでいた赤ん坊だけが母親を求めるように彼女の顔の前で手を懸命に泳がせていた。母親は我が子を見つめて言った。

 「垂直の海の向こうは、自由の国なんだからね」。あまりにも力無かった。

 彼は、それは幻想ではないかとの思いがよぎった。ほんの一瞬そう思って、頭の中で必死に打ち消した。



 左手が痛い、動かない時間が欲しい。

 地表に降り立った雨がボウフラに恩恵を与える間を持たず、空に舞い上がって行く。当然のように視界を遮られる中を、バスは疾走している。絶え間なくクラクションを鳴らしているのは、何か起こることを未然に防ぐ為の紳士的な行為といえる。そのバスの中で私は最後部の座席に身を沈め、ひたすらに確かなことだけを思い出している。厳密に言えば、過去の遠い記憶を順を追って思い出しているのだが、バスが急なカーブに差しかかり、カーブを抜け、タイヤのグリップが戻った瞬間に今までの緩い追憶はユジャとの対峙の場面に固定された。リスタートを強いられ機嫌こそ良くはないが、実際、悪路と運転手に過失はない。

 それは当然私が作り出した映像だった。あの時、ユジャの表情を浮かび上がらせるほどの明かりはなかった。しかし、日常の殆どの時間を私は彼と共にしていたわけで、過去に共にした風景と、彼の口から話された生い立ちという情報を 想像力で増幅させ作り得た映像?が脳裏に焼き付いているだけなのだと思う。確かなことだけを思い出す、これに合うかどうか、あれを記憶とするか幻覚の部類に入れるかは、先程から激しく揺れ始めた車内で判断することはできない。

「ユジャ」と私は説明を求めるように言った。しかし、彼の目から発せられる光はそれを拒否していた。鈍く光る得体の知れない器具を見られたせいなのか、何もかも私には分からなかった。その目には、新鮮な意思が宿り同時に古ぼけた羞恥心が見え隠れする、出会ったことのない類の切なるものがあり、しかもそれは私の思考を停止させる力を秘めていた。

 説明?それに私は何を求めたのだろう。目的を共にするという妙な親近感などは幼稚で軽薄なもので、目的を目的たらしめるベクトルを各々独自に持っていて当然なのだ。激しく揺れる車内で自分の幼稚さを恥じる。私は彼を尊重したことすら、一度たりともなかったのではないか。唯ひたすら、私にとって有益な機能を持つ物体として彼を扱ってきたではないか。そこに、それを拡張するヴッチが現れると、それを卑しくも増長させた。気付いていたのか、それとも気付かない振りをしていたのか、結果的にこれまで私は私の真の目的を盾に、それを頑強に推し進めてきた。彼らの切実さに応える、もしくは近づくことは私の範疇から先に先に追い出してきた。それは行為として冷酷とも受け取れるし、私自身それを冷酷だと思う。


 
 このバスは私をユジャから適正な距離まで運んでくれるに違いない。そして、新しいベッドで横になり、優先すべきことは何かを、私は考えなければならない。
 その場所で、我々が見送ることになった漁船のキャタピラの音とアルコールを多量に含んだペンタが共鳴するその場所で、私は静かに自分の意思の重さを測るだろう。

 


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