一応…、前のお話。 すぜけうすサンマ豊漁記
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奇行への手順
蒸気に覆われた沼地を動く影を追う。
僕がその影の存在に気付いたのは、灰色の景色に慣れきった頃だった。動く影は僕の好奇心によって色を持ち、今では労働の合間に眺める灰色に映えるようになっている。ひどく人間的な挙動に対し、僕は親近感を覚え、その正体に心を囚われた。疲労感の中で、就労時間の終わりと影の消える時間が合わないことが昨日判明し、今日それを追うことを消極的に決意した。ロッカーを強めに閉め、急いで影を追った。その危険性に気付いたのは、ずっと後だったが、それも直ぐに忘れてしまった。
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追われていることに気付かない影は、何時ものように蒸気の吹き上げる沼地を彷徨っている。気付くはずはない。黄色と黒の危険色を使った標識すらない直感的に危険を予測させるこの沼地に、人など居るはずもなかった。そして、そんな常識を突き破る崇高な使命によって動く影は動いていた。
熱を代表とするエネルギーをソリッドに飾った吹き上げる蒸気の柱。その蒸気が半ば森林のように振舞う一帯を、動く影は更に彷徨い続ける。時間を決めているわけではないが、気の済むまで歩き続けることが日課であり、彼にしか分からない崇高な生産活動の源になっている。
動く影は、吹き上げる蒸気にいちいち声を上げ反応している。「DAA!」…殺傷能力さえある高温の蒸気に対していささか失礼ともとれるリアクションである。吹き上げる蒸気の度合い(強さ)、またはタイミングによって「DAA!」は「DA!DA、DAA!」になる。勿論、動く影が意識的にこれらを使い分けているわけではない。
数年に数人の割合で遭難者すら出るこのような過酷極まりない沼地で、彼が毎日自分の寝床に帰っていることは、もはや奇跡といえる。何故なら、動く影は『戻ってくる』という意識を持たないまま、出発し、『彷徨う』という自覚もないまま、結果的に夕暮れ時には、寝床に帰ってきているのだから。
動く影を手足をかすめるに留まっている噴出す蒸気の面目は連戦連敗で潰れ続けている。
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何百回といちいち声を上げているうちに、声は枯れ、陽は傾き、蒸気の森を抜けていた。そして、寝床である小屋に戻って来た。冷蔵庫から冷えたビールをとり、設計図のようなものが描かれたキャンバスに向かい合って座る。少し悩んで、1,2本、線を加えたところで、ゆっくりと煙草を吸い、まだビールを開けていないことに気付き、プルタブに手をかけた。その時、コンコン…と、鳴らない筈のドアが鳴った。
不審に思い、玄関先の手帳を開いた。ページをめくり今月のスケジュールを確認する。今日の日付にサンマを匿うことを意味する星印は無かった。今日は雨も降っていない。「何かの勧誘か?」と思い、ビールを片手にドアを開ける。と、そこに一人のオトコが立っていた。
好奇心を5倍に薄めたような表情をたたえたオトコは、無防備に頭を下げている。このことから、この国の人間ではないことが分かる。「サンマか…?」いったん、頭をよぎったが、顔つきや身なりを見てそれを打ち消した。流暢とは言い難いコトバでオトコが喋り出した。いったん背後を気にし、隠すべきものは隠していることを確認し、最初の部分を聞き落とす。
自分にそんな素振りがあったのか?それとも、単にこのオトコが図々しいだけのか?いつの間にかオトコは上がり込んでいる。時々それっぽい感嘆詞らしきコトバを発し、立て掛けてある設計図を見ている。目は安っぽい豆電球の様に輝いている。
「見て歩き回る、とりあえずそれ以上の目的はなさそうだ…」そう思い、ビールを片手に薬缶を火にかけた。コーヒーを淹れ、悪意と落ち着きの無いオトコを座らせる。たどたどしいコトバから、自分の行動(蒸気が吹き上げる沼地を彷徨うこと)の意味を尋ねられているのだと、分かった。それに、どう答えるかを考える…。結構な長さの沈黙が続いたが、オトコは答えを待つ姿勢を崩さない。考えを巡らせる間に、何となくビールを一本飲み干した。
「分かりやすいコトバで、分かりにくいことを説明しなければならないのか…」目の前のオトコに気付かれぬよう早口で呟いて、苦笑いし、…分かりにくいコトバで話し始めた。
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奇行への手順
蒸気に覆われた沼地を動く影を追う。
僕がその影の存在に気付いたのは、灰色の景色に慣れきった頃だった。動く影は僕の好奇心によって色を持ち、今では労働の合間に眺める灰色に映えるようになっている。ひどく人間的な挙動に対し、僕は親近感を覚え、その正体に心を囚われた。疲労感の中で、就労時間の終わりと影の消える時間が合わないことが昨日判明し、今日それを追うことを消極的に決意した。ロッカーを強めに閉め、急いで影を追った。その危険性に気付いたのは、ずっと後だったが、それも直ぐに忘れてしまった。
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追われていることに気付かない影は、何時ものように蒸気の吹き上げる沼地を彷徨っている。気付くはずはない。黄色と黒の危険色を使った標識すらない直感的に危険を予測させるこの沼地に、人など居るはずもなかった。そして、そんな常識を突き破る崇高な使命によって動く影は動いていた。
熱を代表とするエネルギーをソリッドに飾った吹き上げる蒸気の柱。その蒸気が半ば森林のように振舞う一帯を、動く影は更に彷徨い続ける。時間を決めているわけではないが、気の済むまで歩き続けることが日課であり、彼にしか分からない崇高な生産活動の源になっている。
動く影は、吹き上げる蒸気にいちいち声を上げ反応している。「DAA!」…殺傷能力さえある高温の蒸気に対していささか失礼ともとれるリアクションである。吹き上げる蒸気の度合い(強さ)、またはタイミングによって「DAA!」は「DA!DA、DAA!」になる。勿論、動く影が意識的にこれらを使い分けているわけではない。
数年に数人の割合で遭難者すら出るこのような過酷極まりない沼地で、彼が毎日自分の寝床に帰っていることは、もはや奇跡といえる。何故なら、動く影は『戻ってくる』という意識を持たないまま、出発し、『彷徨う』という自覚もないまま、結果的に夕暮れ時には、寝床に帰ってきているのだから。
動く影を手足をかすめるに留まっている噴出す蒸気の面目は連戦連敗で潰れ続けている。
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何百回といちいち声を上げているうちに、声は枯れ、陽は傾き、蒸気の森を抜けていた。そして、寝床である小屋に戻って来た。冷蔵庫から冷えたビールをとり、設計図のようなものが描かれたキャンバスに向かい合って座る。少し悩んで、1,2本、線を加えたところで、ゆっくりと煙草を吸い、まだビールを開けていないことに気付き、プルタブに手をかけた。その時、コンコン…と、鳴らない筈のドアが鳴った。
不審に思い、玄関先の手帳を開いた。ページをめくり今月のスケジュールを確認する。今日の日付にサンマを匿うことを意味する星印は無かった。今日は雨も降っていない。「何かの勧誘か?」と思い、ビールを片手にドアを開ける。と、そこに一人のオトコが立っていた。
好奇心を5倍に薄めたような表情をたたえたオトコは、無防備に頭を下げている。このことから、この国の人間ではないことが分かる。「サンマか…?」いったん、頭をよぎったが、顔つきや身なりを見てそれを打ち消した。流暢とは言い難いコトバでオトコが喋り出した。いったん背後を気にし、隠すべきものは隠していることを確認し、最初の部分を聞き落とす。
自分にそんな素振りがあったのか?それとも、単にこのオトコが図々しいだけのか?いつの間にかオトコは上がり込んでいる。時々それっぽい感嘆詞らしきコトバを発し、立て掛けてある設計図を見ている。目は安っぽい豆電球の様に輝いている。
「見て歩き回る、とりあえずそれ以上の目的はなさそうだ…」そう思い、ビールを片手に薬缶を火にかけた。コーヒーを淹れ、悪意と落ち着きの無いオトコを座らせる。たどたどしいコトバから、自分の行動(蒸気が吹き上げる沼地を彷徨うこと)の意味を尋ねられているのだと、分かった。それに、どう答えるかを考える…。結構な長さの沈黙が続いたが、オトコは答えを待つ姿勢を崩さない。考えを巡らせる間に、何となくビールを一本飲み干した。
「分かりやすいコトバで、分かりにくいことを説明しなければならないのか…」目の前のオトコに気付かれぬよう早口で呟いて、苦笑いし、…分かりにくいコトバで話し始めた。
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