パキスタンのカシミール地方は旅したことがあって、僕にとって思い出深い土地です。とても美しく、人々が暖かい土地でありました。
そんな愛すべき土地が震災にあった。
此処に当時の日記や写真を公開して「救済募金」に少しでも協力できれば…。勿論!僕も少ない小遣いの中からなるべく沢山を捻出して募金します。
今回で「パキスタンを救いたい!」を終りにします。この中でカシミールに人たちが如何に愛らしい人々であるか表現出来たと思いますし、私が如何にこの地で楽しんだかも、多分!伝わったと思います。
僕の記憶が確かなら、この地方にはギルギットから、一車線の道を、急なカーブを何百も経て辿り着いたと思います。一車線のあの道路は恐らく今は寸断されていて、救援物資も届かないだろう思います。また、イスラマバードに抜ける山道も同じような状態と予測されます。
また、インドとの領有権で揉めているこの地方はパキスタン政府から「国民」として扱われておらず、自らをインド、パキスタン双方から独立した「バルチスタン人」としていました。この地で、被災者の数を特定するのは難しく、確認されていない少数の山岳民族も無数にあることから、被災者の数は報道を上回るものになることは必至です。
苦しんでいるお世話になった人たちに、最善の方法でお金を送ることは継続していきます。
2002年9月17日 Hushe→Kapule→Sukarudu
色々あったのに、書けなかったのでダラダラ思い出してダラダラ書こうと思う。
そう、バスとジープを乗り継いで、土砂に埋まるKandeを徒歩で横切りHusheに行ったんだった。K-2に向かう人の最後の村がHusheです。
結局、12日出発ではるか彼方の村を目指した。
話を飛ばして、ムハマンド・アリという山男に頼み最終的には3泊4日のトレッキングになったんだった。
「K-2を見たい!」という要求に応えてくれたのが、ムハマンド・アリ(この名前が如何に多いことよ、パキスタン…)「米と小麦粉を何キロ持って行く?」とか、「野菜は何を持って行く?」とか、「マッチを多めに買っていい?」とか「細木数子が偉いのかは知らないけど、確かに…肌の艶はいいよね?」とか「君の笑顔は僕の宝物だ!」とか「ココを押すだけで、いいんですよね?」とか「(痒くても)目は掻きません!」とか「ヒョードルを倒せるのは三沢だけだ!」とか「家内が最近冷たくて…」とか「皆様のご多幸を願いましてぇ!チアーズ!!」とか「美味いフランスパンには絶対に無塩バターでしょ?」とか「職場で虐められているんですけど、どうしたらいいでしょう?」とか「ITだか何だか知らんけど…」とか「神が、アッラーが!雪見大福を!1ケース、我らに与えた賜もぉた!!!!」とかを真剣にディスカッションして、よく分からんがK-2とは方向が逆のフンブロック・バレーって所を目指した。
*****
ここで!「イスラームクッキング」のお時間!
イスラーム風、炊き込みご飯(山男ムハマンド・アリ風)
① 油で玉ねぎをよく炒めます。
② ダル(茹でたもの)を入れ更に炒めます。
③ 火力を強めマサラ(箱には『SONY』の文字が!)を入れ一気に炒めます。
④ 油の加熱を止める水をカップ1杯入れます。
⑤ 米を入れ水分を適量加え、塩、マサラで味を整え蓋をして炊き上げます。
⑥ 食後は勿論、チャイを飲みます。
*****
Husheは良い村だった。子供たちは「ハロー!1ペン?」しか言わなかったけど、ペンが不足しているだけで、そんなに切迫しているわけでもなさそうだった。そして、山男たちは皆フレンドリーでいて屈強だ。多分、彼らは皆、標高5000m以上は経験しているのだ。
Husheは収穫の真っ最中だった。村人全員で小麦を運ぶさまは、何とも微笑ましい限りで、可愛らしい女の子も此方を向き「疲れたから、手伝ってよ」って感じのコトバを発していた。この村には電力があり、少ないながらも平地がある。Dassoなんかよりも明るい雰囲気だ。自給自足出来る強みは村人の笑顔から分かる。
そして、トレッキングGO!GO!
よく分からないうちに、初日のキャンプ・ポイント。女、子供が牛を飼っているHunborck Valley、3~4時間で着く。さえない天気。
山男の手際の良さに感動を覚えるが、よく考えたら「俺もここに生まれ育ったら、こんな男になったんだろうなぁ…」とリアルに妄想し思い直す。まぁ、そんなもんだ。
テントを設けて、チャイを飲む。「K-2見れるか?」と訊いても「インシャーラー…(神のみぞ知る…)」山男は希望的観測を決して言わない。インシャーラー…何かカッコイイ…。
*****
ここで!「イスラームクッキング」のお時間!
チャパティ(山男アレンジ)
① 小麦粉、塩、水を合わせよくこねます。
② 多少寝かして伸ばし易くします。
③ 丸平にして、フライパンで両面焼けば…。
④ 出来上がり!油で揚げても美味しいよ。
*****
次の日、昼飯を食ってから第2キャンプへ。何だか凄いぞ!mtマシャブルン方向とは逆に谷を横に登って行く。この時、僕らが目指しているのは『Cherry View Point』と言う可愛いところだと知る。
第2キャンプ、高山病なんてへっちゃらだが標高はかなり上がった。テント設営は困難を極める。なんたって雨!更には水場も見つからない!まぁ…何とか一日滞在予定のキャンプは出来上がる。アイスアックスは頼もしい、一家に1本!是非!お勧めします。
=====
ここでキャンプ・ベースの作り方。
① アイスアックスを狂ったように振り回し、薄い酸素を探しながら石を掘りまくる。
② 薄い酸素を探しながらアイスアックスを横に使い土をならす。
③ 薄い酸素を探しながら、テントとキッチンがすっぽり入れば完成!
=====
翌日、噂のCherry View Pointへ。
(そういえば、前の日アイベックスの群れを見た気がする。アホみたいに目が利く自分が誇らしい。「産休ぅ…!」こんな風に生んでくれた母親に感謝する。)
Broad Peak(8047m)をウンザリする程見ること2時間…。雲がそこだけポッカリのいてK-2(8611m)登場!!彼は滅茶苦茶三角ね!やっぱ、遠目でも風格がある。白くないのは、強風で雪が飛ばされちゃうからだってさ。
しかし、恐るべしきアッラー! &俺…。
と言うことで、運良くK-2を拝めた。「いやぁ、実に楽しかった!アリガトウ!!」と謝意を表す私に対して、ガイドは言った「…腰が痛いよぅ!」…第1キャンプへ。
次の日、食料を食い切ってHusheへ帰りました。疲れを感じながらもHushe→Sukaruduと、ジープ&徒歩&バス&鼻歌ダッシュ等を駆使し戻り、贅沢にも中華を腹一杯食べましたよ。
5日間に渡る冒険でした。
そんな愛すべき土地が震災にあった。
此処に当時の日記や写真を公開して「救済募金」に少しでも協力できれば…。勿論!僕も少ない小遣いの中からなるべく沢山を捻出して募金します。
今回で「パキスタンを救いたい!」を終りにします。この中でカシミールに人たちが如何に愛らしい人々であるか表現出来たと思いますし、私が如何にこの地で楽しんだかも、多分!伝わったと思います。
僕の記憶が確かなら、この地方にはギルギットから、一車線の道を、急なカーブを何百も経て辿り着いたと思います。一車線のあの道路は恐らく今は寸断されていて、救援物資も届かないだろう思います。また、イスラマバードに抜ける山道も同じような状態と予測されます。
また、インドとの領有権で揉めているこの地方はパキスタン政府から「国民」として扱われておらず、自らをインド、パキスタン双方から独立した「バルチスタン人」としていました。この地で、被災者の数を特定するのは難しく、確認されていない少数の山岳民族も無数にあることから、被災者の数は報道を上回るものになることは必至です。
苦しんでいるお世話になった人たちに、最善の方法でお金を送ることは継続していきます。
2002年9月17日 Hushe→Kapule→Sukarudu
色々あったのに、書けなかったのでダラダラ思い出してダラダラ書こうと思う。
そう、バスとジープを乗り継いで、土砂に埋まるKandeを徒歩で横切りHusheに行ったんだった。K-2に向かう人の最後の村がHusheです。
結局、12日出発ではるか彼方の村を目指した。
話を飛ばして、ムハマンド・アリという山男に頼み最終的には3泊4日のトレッキングになったんだった。
「K-2を見たい!」という要求に応えてくれたのが、ムハマンド・アリ(この名前が如何に多いことよ、パキスタン…)「米と小麦粉を何キロ持って行く?」とか、「野菜は何を持って行く?」とか、「マッチを多めに買っていい?」とか「細木数子が偉いのかは知らないけど、確かに…肌の艶はいいよね?」とか「君の笑顔は僕の宝物だ!」とか「ココを押すだけで、いいんですよね?」とか「(痒くても)目は掻きません!」とか「ヒョードルを倒せるのは三沢だけだ!」とか「家内が最近冷たくて…」とか「皆様のご多幸を願いましてぇ!チアーズ!!」とか「美味いフランスパンには絶対に無塩バターでしょ?」とか「職場で虐められているんですけど、どうしたらいいでしょう?」とか「ITだか何だか知らんけど…」とか「神が、アッラーが!雪見大福を!1ケース、我らに与えた賜もぉた!!!!」とかを真剣にディスカッションして、よく分からんがK-2とは方向が逆のフンブロック・バレーって所を目指した。
*****
ここで!「イスラームクッキング」のお時間!
イスラーム風、炊き込みご飯(山男ムハマンド・アリ風)
① 油で玉ねぎをよく炒めます。
② ダル(茹でたもの)を入れ更に炒めます。
③ 火力を強めマサラ(箱には『SONY』の文字が!)を入れ一気に炒めます。
④ 油の加熱を止める水をカップ1杯入れます。
⑤ 米を入れ水分を適量加え、塩、マサラで味を整え蓋をして炊き上げます。
⑥ 食後は勿論、チャイを飲みます。
*****
Husheは良い村だった。子供たちは「ハロー!1ペン?」しか言わなかったけど、ペンが不足しているだけで、そんなに切迫しているわけでもなさそうだった。そして、山男たちは皆フレンドリーでいて屈強だ。多分、彼らは皆、標高5000m以上は経験しているのだ。
Husheは収穫の真っ最中だった。村人全員で小麦を運ぶさまは、何とも微笑ましい限りで、可愛らしい女の子も此方を向き「疲れたから、手伝ってよ」って感じのコトバを発していた。この村には電力があり、少ないながらも平地がある。Dassoなんかよりも明るい雰囲気だ。自給自足出来る強みは村人の笑顔から分かる。
そして、トレッキングGO!GO!
よく分からないうちに、初日のキャンプ・ポイント。女、子供が牛を飼っているHunborck Valley、3~4時間で着く。さえない天気。
山男の手際の良さに感動を覚えるが、よく考えたら「俺もここに生まれ育ったら、こんな男になったんだろうなぁ…」とリアルに妄想し思い直す。まぁ、そんなもんだ。
テントを設けて、チャイを飲む。「K-2見れるか?」と訊いても「インシャーラー…(神のみぞ知る…)」山男は希望的観測を決して言わない。インシャーラー…何かカッコイイ…。
*****
ここで!「イスラームクッキング」のお時間!
チャパティ(山男アレンジ)
① 小麦粉、塩、水を合わせよくこねます。
② 多少寝かして伸ばし易くします。
③ 丸平にして、フライパンで両面焼けば…。
④ 出来上がり!油で揚げても美味しいよ。
*****
次の日、昼飯を食ってから第2キャンプへ。何だか凄いぞ!mtマシャブルン方向とは逆に谷を横に登って行く。この時、僕らが目指しているのは『Cherry View Point』と言う可愛いところだと知る。
第2キャンプ、高山病なんてへっちゃらだが標高はかなり上がった。テント設営は困難を極める。なんたって雨!更には水場も見つからない!まぁ…何とか一日滞在予定のキャンプは出来上がる。アイスアックスは頼もしい、一家に1本!是非!お勧めします。
=====
ここでキャンプ・ベースの作り方。
① アイスアックスを狂ったように振り回し、薄い酸素を探しながら石を掘りまくる。
② 薄い酸素を探しながらアイスアックスを横に使い土をならす。
③ 薄い酸素を探しながら、テントとキッチンがすっぽり入れば完成!
=====
翌日、噂のCherry View Pointへ。
(そういえば、前の日アイベックスの群れを見た気がする。アホみたいに目が利く自分が誇らしい。「産休ぅ…!」こんな風に生んでくれた母親に感謝する。)
Broad Peak(8047m)をウンザリする程見ること2時間…。雲がそこだけポッカリのいてK-2(8611m)登場!!彼は滅茶苦茶三角ね!やっぱ、遠目でも風格がある。白くないのは、強風で雪が飛ばされちゃうからだってさ。
しかし、恐るべしきアッラー! &俺…。
と言うことで、運良くK-2を拝めた。「いやぁ、実に楽しかった!アリガトウ!!」と謝意を表す私に対して、ガイドは言った「…腰が痛いよぅ!」…第1キャンプへ。
次の日、食料を食い切ってHusheへ帰りました。疲れを感じながらもHushe→Sukaruduと、ジープ&徒歩&バス&鼻歌ダッシュ等を駆使し戻り、贅沢にも中華を腹一杯食べましたよ。
5日間に渡る冒険でした。
何とも思い出深い地です。気がついたらでいいんで、お願いします。