The Society of Helical Carbon ヘリカル炭素学会

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血液型と性格

2015-07-31 23:12:13 | 健康

血液型による性格診断は日本人が大好きな話題のひとつといえます。飲み会などで、「血液型は何型?」などと質問するのも定番の会話です。朝の情報番組では血液型占いが人気を集め、雑誌やウェブサイトなどでも必ずといっていいほど血液型に関するコーナーが見受けられます。

 

 おおまかには、真面目で融通が利かないA型、気分屋なB型、おおらかで騙されやすいO型、マイペースで二重人格なAB型などと性格を分類することが多いようです。それを基にして、「A型の男性とO型の女性は相性がいい」「B型同士は相性が悪い」という具合に相性診断する記事も古くから現在に至るまでよく見かけます。特に女性は、そのような話題を好きな人が多いようです。

 一方、医者や科学者の中には、「血液型による性格診断は科学的根拠がなく迷信だ」という否定的な見解が大勢を占めています。血液型は性格形成に影響を及ぼさないとする説明は、確かに論理的で一定の説得力があります。

 しかし、科学的根拠の有無はさておき、これだけ日本人の中で血液型による性格診断が市民権を得ているのは、当てはまると感じることが多いからではないでしょうか。実際、複数のアンケート調査で、6割以上の人が「血液型性格診断は当たっていると思う」と回答しています。

 多くの心理学者は、その要因をインプリンティング(刷り込み)だと説明します。つまり、「A型は真面目な性格」「O型はおおらかな性格」と広まることで、「自分はA型だから真面目」と無意識に思い込み、実際に真面目になっていくというものです。「日本人は真面目」などと国民性を語るのと似ています。成長する過程で、親や先生から「○○ちゃんは勉強ができる」と頻繁にいわれていると、成績がぐんぐん伸びるのも同様の効果です。

 確かに、血液型でたった4つに性格が分類するのは短絡的すぎで、お遊び感覚でしかないように見えます。とはいえ、血液型がまったく性格形成に影響を及ぼさないというのも暴論のように思えます。

 例えば、否定派の意見を見てみると、輸血の際にABO式やRH式によって分類する以外に血液型は意味をなさず、まるで血液型を決定付ける「血液型物質」が血液の中だけにしか存在しないように取り扱っています。しかし、実際には血液型物質は髪の毛から爪に至るまで、体中の細胞に行き渡っています。そのため、刑事事件などが発生した際、警察の鑑識によって髪の毛や体液などから犯人の血液型が割り出すことが可能なのです。

 つまり、血液型物質は単に血液の中を流れるだけではなく、体形成そのものにかかわっているのです。

東京医科歯科大学医学部名誉教授で人間総合科学大学教授の藤田紘一郎氏は、著書の『血液型の科学』(祥伝社)の中で、「血液型と性格は医学的に関係がある」と述べています。その理由として、次のように説明しています。

(1)血液型によって免疫力が異なる
(2)血液型ごとにかかりやすい病気とかかりにくい病気がある
(3)その結果、仕事の役割や生活スタイルが形づくられた

 例えば、A型は免疫力が弱く、病気にかかりやすいため、人間関係に用心深くなったというものです。また、A型のルーツは農耕民族であったと考えられ、計画的に穀物を育てる生活スタイルが几帳面な性格を形成したとしています。

 逆に、免疫力が最も強いO型は開放的でチャレンジ精神が旺盛な性格になったと考えられるといいます。また、B型も免疫力が強いためO型と似ているが、肺炎やサルモネラ菌に弱く、大勢の人の中には入らないようになり、独特な性格が形づくられ、AB型はA型以上に免疫力が弱く、人と会うことを避けるように暮らしたため、疑い深く内向的になったのではないかと推測しています。

 多少強引な感じは受けますが、血液型による性格診断に医学的根拠を与えた貴重な研究です。

 そもそも血液型と性格を結びつけたのは1927年、東京女子高等師範学校(現お茶の水女子大学)教授、古川竹二氏が自身の研究成果として『血液型による気質の研究』を発表したことが始まりといわれています。

 この研究は、その後の日本軍の組織にも大きな影響を与えたといわれ、血液型は性格形成に強く関連するということは日本全体に広まりました。その後も恋人との相性占いや仕事の向き不向きを診断するなど、多方面にわたって日本人の生活に浸透し、現在に至っています。

 性格は、家庭環境や家族構成、友人関係、健康状態など複数の要因が絡み合って形成されるため、単純に4つに分類できないというのは当然ですが、根本的に備わっている資質という点で、血液型が多少なりとも影響している可能性は否定できないのかもしれません。
http://biz-journal.jp/2015/07/post_10803_1.html


冷めたご飯

2015-07-31 22:35:14 | 健康

メタボを解消したいと思っても、食事制限や手間がかかる方法は長続きしませんよね。

そこでおすすめしたいのが“アイスごはん”。実は、温かいごはんではなく、冷めたごはんを食べることでダイエット効果が大幅にUPするんです。



■アイスごはんって何?

アイスごはん=冷えているごはん。ごはんが冷めると、一部のデンプンが“レジスタントスターチ”という成分に変化します。

このレジスタントスターチは、整腸作用やダイエット効果が高いとして注目されている成分。温かいごはんではなく、冷たいごはんを食べることで、若々しくスリムな身体を実現することができるんです。



■アイスごはんのダイエット効果

美容コンサルタントの平松由貴氏によると、アイスごはんにはこんなにうれしいダイエット効果が期待できるのだそうです。

(1)カロリーダウン

ごはんの主成分であるデンプンは1gあたり4kcal。これが冷めてレジスタントスターチに変化すると1gあたり2kcalにカロリーダウン。同じ茶碗1膳のごはんでも、アイスごはんにするだけで簡単にカロリーを抑えることができるんです。

(2)脂肪代謝がUP

アイスごはんのデンプンは大腸までたどり着くと、腸内細菌に食べられ、発酵します。そのときに作られる酸には脂肪代謝を改善するはたらきがあります。アイスごはんを食べるだけで自然と脂肪を排出しやすい体質をつくることができるんです。

(3)満足感もUP

温かいごはんをアイスごはんにすると、温かいものよりもGI値が下がります。GI値の低いいわゆる“低GI食材”は、血糖値の急上昇を抑え、満腹感を長持ちさせてくれます。

さらに、低GI食材を食べると、その後にとった食事でも血糖値の急上昇を抑える“セカンドミール効果”が期待できます。たとえば、朝にアイスごはんを食べると、ランチでの腹持ちもよくしてくれるということ。効果が長持ちするのが嬉しいですね。

(4)体脂肪をつきにくくする

アイスごはんには、脂肪を脂肪細胞に取り込むはたらきを促進するインスリンの分泌量を抑えるはたらきもあります。アイスごはんを食べることで、脂肪を溜め込みにくい体質をつくることができるんです。

(5)腸内環境を整える

アイスごはんは食物繊維と同じはたらきもしてくれるので、便秘の改善や腸の活性化にも効果的。また、栄養素が効率よく吸収できるようになるため、老化防止効果も期待できます。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150731-00064991-nkcareism-life

 

レーザー光出力2ペタワット、1トリリオン(兆)分の1秒

2015-07-31 18:49:45 | 知的財産権

中国メディアの参考消息は30日、英紙デーリー・メールの報道を引用し、大阪大学の研究チームが「LFEX(エルフェックス)」と呼ばれる設備を使用し、出力2ペタワット(1ペタワットは1000兆ワット)のレーザー光を出すことに成功したと報じた。

 記事は、研究者の話として、2ペタワットのレーザー光の出力は全世界の消費電力の1000倍相当に達すると伝えた。一方、出力は巨大であったものの出力の時間は1トリリオン(兆)分の1秒であったため、実際に使用したエネルギーは電子レンジを2秒ほど使った程度だったと紹介した。

 続けて、阪大の研究者は約100メートルのLFEXに取り付けたエネルギーを増幅させる特殊なガラスを通じて出力を高めたと紹介し、研究者の話として「世界中でレーザー光の性能競争が展開されており、大阪大学では将来的に出力10ペタワットを目指す」と紹介した。

 また記事は、米メディアの報道を引用し、5万ワットのレーザーによって1マイル(約1609メートル)の距離から無人機を撃墜させる実験が成功しているとしたうえで、「無人機を撃墜させた5万ワットのレーザーのパワーは、大阪大学で出力に成功したレーザーの100億分の1しかないものだった」と伝えた。

 大阪大学のレーザーエネルギー学研究センターによれば、LFEXレーザーは核融合のほか、相対論的プラズマ相互作用やレーザー核物理などへの応用が期待されるという。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150731-00000140-scn-sci


長寿日本 女性は世界1位 男性は3位

2015-07-31 17:12:09 | 健康

去年の日本人の平均寿命は、女性が86.83歳、男性が80.50歳と、いずれもこれまでで最も長くなり、女性は3年連続で世界1位に、男性も世界3位と、日本はトップクラスの長寿国となっています。

厚生労働省によりますと、去年の日本人の平均寿命は、女性が86.83歳、男性が80.50歳で、おととしに比べて女性は0.22歳、男性は0.29歳上回り、いずれもこれまでで最も長くなりました。女性と男性の平均寿命の差は6.33歳でおととしより0.07歳縮まりました。
平均寿命が公表されている主な国や地域と比べると、女性は3年連続で世界1位で、スペイン、フランスが続いています。男性はおととしよりも順位が1つ上がり、香港、アイスランドに次ぐ世界3位で、日本はトップクラスの長寿国となっています。
平均寿命が延びていることについて厚生労働省は、「医療技術の進歩で日本人の主な死因のがんや心臓病、それに肺炎などに対する効果的な治療ができるようになったことや、健康志向の高まりで元気なお年寄りが増えていることが背景にあり、今後、さらに平均寿命が延びる可能性はある」と分析しています。
 
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150730/k10010172101000.html

低ナトリウム血症

2015-07-31 17:06:19 | 健康

 低ナトリウム血症は、血液中のナトリウム濃度が極端に低くなった状態を指す。兆候は意識が遠のくような感じや、手足のむくみ、吐き気や頭痛など。放置すると錯乱など脳機能障害の症状が現れ、昏睡状態から時には死に至る。


 運動誘発性の低ナトリウム血症(EAH)は、アスリートが水やスポーツドリンクなどを必要以上にがぶ飲みしたときに発生しやすい。エクササイズ時間が4時間を超える運動や、軍事教練なみのジムワークのEAHリスクは高く、当然、耐久レース関係は最も症例報告が多い。

 ちょっと驚くのは、低強度のエクササイズでも油断は禁物であること。何と、ビクラムヨガ(いわゆる、ホットヨガ)もEAHリスクが高いのだ。発汗率が低いところにもってきて、生真面目に水分補給をし過ぎると体格の小さい女性はすぐに「がぶ飲み状態=低ナトリウム血症」に陥る。また、運動慣れしていない人の汗はナトリウム濃度が濃い、つまり体内からナトリウムが失われてしまうために、EAHリスクが高くなってしまうという。

 EAH新ガイドラインの勧告は至ってシンプルだ。いわく、「喉が渇いたときだけ、水分を補給するように心がけること」。渇く前の水分補給を指導された経験があると受け入れ難いかもしれないが、今の世界の趨勢は「渇いたら、飲む」である。

 さて、自分の給水が適正かを確認するには、いつもの給水付きで運動前後の体重を比較するといい。運動前より体重増なら給水過剰。適正な給水量は、体重減少量÷運動前の体重×100=脱水率(%)で2%程度だ。3%を超えるようなら、逆に給水不足である。
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20150731-00075546-diamond-soci


がん告知

2015-07-22 23:23:38 | がん

がんを告知された場合、患者が受ける心理的ショックは大きい。誰でも気持ちが滅入ってしまうことだろう。

がん告知を受け、手術を受けた後の患者の心理的対応に、その後の治癒の状態が大きく関わっているという研究がある。たとえばがんの術後状態が同じ場合、どちらの態度が「長生き」するのだろうか。

a.冷静に受け入れる
b.(がんであることを)否認し、怒る

日本人患者はaの態度を取り、医師に従順になる。しかし、痩せ我慢でなければ長生きするのはbらしい。

鹿児島大大学院の山中寛教授は、aのような態度を取れば、医師の言うとおりの長さの余命になるケースが多いのではないかと疑問を呈す。

「私たちは医師を偉い人と思っているので、従順になりがち。でも余命は誰にもわからない。医師に依存せず、喜怒哀楽を表出するタイプの人こそ長生き。そういう人を多く見てきましたし、私もその好例かもしれません」

山中教授は主体的にがんと向き合い、医師の余命宣告を大きく裏切って精力的に講演や執筆を行っている。

「2009年4月に大腸がんが見つかり、すでに肝臓に転移していました。医師の告知は淡々としていて、私の顔を見ずにMRIの画面を見ながら話す。患者の心情に寄り添わない態度に、失望しました(笑)。

まず大腸がんを切りました。次に3カ月~半年後に肝臓のがんを切除する予定でしたが、大腸がんの手術のときに薬の副作用が強くて、アレルギー反応や薬剤性肝炎などで死にかけました。それなのに、主治医は『手術は大成功』と言う。怒りが込み上げてきました。死にかけているのに、何が大成功だと。

でも、何も言わずに我慢した。すると症状はますます悪くなった。こういうときに怒りを表出する人が早く治るんですね。それに気づき、薬の副作用もあって肝臓がんの手術に踏み切れませんでした。抗がん剤も使わない、放射線治療も受けない、いわゆる標準治療をしない道を選択しました。『1年後には死にますよ』と医師は言った。淡々としたものです。その後、代替医療や祈り、食事や運動に注意するなどして、今でも生きている。がんは少しずつ大きくなっていますが、医師のバイオロジカルな見立てどおりにはいかない。ひとの命は不思議です」

そういった体験もあり、山中教授はがん患者の気持ちのあり方に興味を持ったという。

「イギリスの大学病院のキングス・カレッジというところで、乳がん患者の気持ちの持ち方が延命にどう影響するかを調べたデータがあります。同じ症状の患者に、術後3カ月の心理状態を確認すると、大きく4通りに分かれました。

・絶望している人
・冷静に受容する人
・(がんであることを)否認する人
・闘争心を持つ人

そういう分類をして、13年後まで追跡調査をした。

1番長生きしたのは闘争心を持つ人でした。がんなんかに負けないと思った人。2番目が否認する人。医師が間違っている、私はがんじゃないと思うような人です。日本人には冷静に受容しようとする人が多いのですが、そうするとわりと早く死にます。絶望している人も、もちろん長生きできません。

がんは自分の生き方がつくるもの。それまでの自分の生き方がストレスになってがんをつくる。手術はまだしも、抗がん剤や放射線治療など自分の体の存在自体を忌み嫌って傷つけることを、私はやめた。お利口だから大人しくしていて、という態度です。その代わり、昔の自分の生き方と戦う。がんの原因になったストレッサーを排除して、やさしく丁寧に生活する。この生き方が私には合っていたように思います」

統計によれば、日本人の2人に1人はなんらかのがんになるという。告知にどう心を構えるか、決して他人事ではない。気持ちの前向きさに、がんの進行が譲歩するのである。

がんは人生における最大級のピンチだ。しかし、それまでの悪弊を断ち切り、新たなライフスタイルを確立する大チャンスでもあるのだ。

http://president.jp/articles/-/15756?page=1


レントゲン検査

2015-07-22 23:05:07 | がん

タバコ、遺伝、肥満……さまざまな要因が取りざたされる発がんのメカニズム。実は、私たちが普段何気なく病院で行っている「レントゲン検査」が、日本人の発がん理由の4.4%を占めているとしたら……。『「先生が患者ならどうします? 」医師が自分のために選ぶクスリ・治療法』の著者であり、医学博士の岡田正彦氏にその実態をうかがいました。


● レントゲン検査を強制するのは 憲法違反? 

 がんは遺伝する、と思っていませんか? 
 遺伝するがんも確かにありますが、せいぜい全体の5パーセントくらいです。ほとんどのがんは、環境中、または生活習慣にその原因を見出すことができます。原因は、現時点で7割ほどが明らかになっていますが、そのランキングの第4位が、なんとレントゲン検査による放射線被ばくなのです。

 世界中の先進国を対象に行われた実態調査によれば、日本に限り、がんによる全死亡数のうち4.4パーセントがレントゲン検査によるものだ、と断定されています。
 なぜ日本限定かといえば、レントゲン検査の件数が他の先進国に比べて圧倒的に多いからです。CTの稼働台数が他の国々に比べて非常に多く、第2位を2倍以上も引き離しているという事実もあり、間違いはないでしょう。

 この意味で気になるのは、日本ですべてのサラリーマンに課せられている定期健診です。メタボ健診と兼ねて行われることも多いのですが、腹囲、血液検査、検尿、心電図などの検査とともに、胸部レントゲン検査が必須となっています。
 連載第1回目ですでに紹介したとおり、定期健診を受けないと雇用者(会社)が法律で罰せられる仕組みになっていて、実質的に強制されていることと同じなのです。
 このような法律は外国にはありません。

 過去、この法律を改定するチャンスは何度かあったようですが、国が招集した専門家会議で、健診業界の代表が、レントゲン検査を存続させるため必死になって低レベルの発言を繰り返すなど、あきれた実態も明らかにされています。
 日本国憲法には、『すべての国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する』と書いてあります。しかし、きわめて有害、かつ何ら利益を生むことのないレントゲン検査を国民に強制しているのは、重大な憲法違反であると僕は思っています。

● レントゲンでがんになるかどうかは、 宝くじに当たるか当たらないかと同じ? 

 ある講演会で、僕の話が終わったあと、一人のご婦人から、こんな質問を受けました。

 「私の子どもが、医師に勧められてCT検査を2回も受けてしまいました。大丈夫でしょうか? 」

 発がんの仕組みは複雑ですが、原因が作用してから、がん細胞が発生するまでの出来事は、比較的短時間に終了します(正確な時間は不明)。その際にがん細胞が発生せずにすんだのであれば、危機は完全に去ったことになり、あとでがんになることはありません。

 がんになる確率は、発がん原因に暴露した回数(たとえばレントゲン検査の回数)に比例して高まると考えればよいでしょう。
 その状況は、ちょうど宝くじを買う場合に似ていて、何回も繰り返し買っている人ほど、一生涯のうちに当たるチャンスも大きくなるのと一緒です。

 つまり質問にあったように、CT検査を2回受けた直後にがん細胞が発生していなければ、放射線被ばくを受けたことは忘れてしまって構わないことになります。ただし、がんになったかどうかは、潜伏期をすぎたあとでなければわかりませんから、「あとあと大丈夫か? 」という質問には誰も答えられないのです。

http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20150722-00075011-diamond-sci&p=1

近藤誠、放射線被曝CT検査でがんになる、亜紀書房(2011) ISBN 978-4-7505-1113-9 C0095

 


ベジタリアン

2015-07-13 22:09:27 | 健康

「野菜は低カロリーで栄養豊富。短期間で痩せるなら毎日野菜ばかり食べていればOK!」と考えている人、いませんか? そう考えているダイエッターは、むしろ太りやすくなってしまっているかもしれません……。

野菜は体内のはたらきを活性化させる栄養素が豊富。普段から高カロリーの食事をとっている人は、一部を野菜に置き換えることで効果的にバランスの良い栄養摂取やカロリーコントロールが可能です。

でも、野菜“ばかり”や野菜“だけ”はNG! むしろ太りやすい体質になってしまう危険性があるんです。

 

野菜だけで全ての栄養を摂取することは不可能

野菜にはカロリーが低いものが多く、消化や吸収をサポートしてくれるビタミンやミネラル類が豊富。健康な体を作るためにも、ダイエットのためにも効果絶大です。

ただし、いくら体内を活性化させる栄養素をチャージしても、エネルギー源である糖質が不足すれば、うまくはたらいてくれません。結果的に代謝が悪くなり、太りやすい体質に……! また、筋肉などの細胞をつくるたんぱく質が不足しては、身体をスムーズに動かすことも、筋量を増やしてボディラインを引き締めることもできません。

 

「肉や油=食べたら太る」は大間違い!

「コレステロール値が上がるから」「肥満の元凶だから」と肉料理や脂質の多い食材は何かと敬遠されがち。確かに食べすぎては太ってしまいますし、高血圧や糖尿病などの生活習慣病を招くことにもなりかねませんが、肉や魚、卵、乳製品、大豆製品から摂取するたんぱく質や脂質も重要な栄養源です。

骨や筋肉の材料を摂取しなければ運動機能が低下し、骨粗しょう症を招くことも。“食べなさすぎる”こともまた問題なのです。

唐揚げや天ぷらだって、1回食べただけで太ってしまうことはありません。油っこいメニューは週に2~3回程度にとどめ、普段は脂質の少ない肉や良質な脂質を含む魚や卵などをチョイスすることで、たんぱく質を食べながらスマートで健康な身体を作ることができます。

 

野菜と上手につきあう方法

野菜の健康パワーを上手に活かすためには、野菜だけに頼るのではなく、おかずやご飯の量を調節するためのツールとして活用するのがおすすめ。肉や魚、卵を使ったメニューは1回の食事に1品にとどめ(手のひら1枚分が理想です)、ご飯はお茶碗1杯まで。残りを野菜で埋め合わせて満腹感や不足している栄養素を補いましょう。

http://nikkancareism.jp/summary/archives/62964


朝カレー

2015-07-13 22:06:02 | 健康

薄着になったり、海やプールで水着になったりと、体を見せる機会も増えてくるこれからの季節。本格的な夏を迎えるまでにヤセたいと考えている人も多いのではないでしょうか。

そんな中、“カレーライス”によるダイエット法が、実は最近話題になってきています。

そこで今回は、成功している人も増えてきているという“朝カレーダイエットの実態”について紹介します。

 

ダイエット効果の高いスパイスがたくさん使われている

サニーヘルス株式会社が公開した『朝カレーダイエットのすすめ』によると、カレーには様々な種類のスパイスが入っており、どれも血行促進や発汗作用など代謝に関係するものばかりなため、ダイエット効果が高いと言えるようです。

具体的には、日本のカレーにもよく使われる“ガラムマサラ”、“クミン”、“ターメリック”、“コリアンダー”、“唐辛子”には、発汗、消化促進、代謝の活性化、血行促進、胃腸の働きを整えるなどの作用があります。

カレーを食べると体が温まったり、汗をかいたりするのは、スパイスの作用によるものです。しかも、複数のスパイスの相乗効果も得られます。

 

朝にカレーライスを食べた方がいい理由

眠りから目覚める朝は、副交感神経から交感神経へと切り替わる時間帯です。この時に血行促進効果の高いスパイスの入ったカレーを食べることで、交感神経への切り替えを速やかにします。すると体が活性化されてダイエット効率がアップするのです。

もう1つの理由はエネルギー消費です。カレーは基本的に高カロリーになりがちなメニュー。夜に食べるとエネルギー消費もせずにそのまま寝てしまうことになりますが、朝であれば一日活動することでエネルギーは消費されるので、太るリスクは減るのです。

 

朝にカレーを食べることで、代謝や血流がアップするだけでなく、カレーのスパイスで脳も体もしっかりと目覚めさせることもできますね。夏までにダイエットを成功させるためにも、朝食をカレーライスにしてみるのも良いのではないでしょうか。
http://nikkancareism.jp/summary/archives/63820


胆管腫瘍

2015-07-13 16:32:22 | がん
任天堂の岩田聡社長が13日、「胆管腫瘍」で亡くなったとの発表がありました。岩田社長は2014年にも胆管の腫瘍の手術を受けていましたが、静養を経て決算発表などの公の場に復帰していました。まだ55歳という若さの同氏を死に追いやった胆管腫瘍とはどのような病気なのでしょうか?
◆悪性の胆管腫瘍は致死的

胆管腫瘍(胆管がん)とは、胆管に生じる悪性腫瘍のことです。胆管は肝臓と十二指腸をつなぎ、肝臓で生成された胆汁を運ぶ役割を持つ管です。胆管がんは日本で増加傾向にあり、発症したら致命的と言われています。

手術の難易度が高く、術後の再発率も低くありません。さらに、抗がん剤や放射線治療でも効果がでにくいタイプのがんのため、難治性のがんと言えます。厚生労働省によれば、2013年の胆のうがん・胆管がんによる死亡数は約1万8200人で、がん死亡全体の5%近くを占めます。

◆腫瘍の位置によって症状が出にくいことも

胆管は、肝臓から十二指腸までの胆汁の通り道です。胆のうは、肝臓で生成した胆汁を一時的に溜めておく袋(嚢)で、食べたものを消化する際に分泌されます。胆管は、肝臓内ではたくさん細い管に枝分かれしており、それが肝臓から出る部分で合流して太くなり、1本の総胆管となります。

胆管は、太いところでも直径7mm程度と細いため、生じた腫瘍(がん)が小さくても胆汁をせき止めます。胆管の根元が詰まると胆汁が十二指腸に流れなくなってしまい、黄疸(おうだん)の症状が出ます。これに対し、肝臓内の細い胆管にがんが生じた場合は黄疸は出にくく、発見が遅れる場合があります。

◆岩田氏の世代に多く発症

胆管がんの発症年齢は、40代後半~50代ごろから徐々に増え、60歳代で最も多く初症します。胆管がんは、胆管の上皮(胆管内側の表面を覆う粘膜)から発生する悪性腫瘍で、発生部位により「肝外胆管がん」と「肝内胆管がん」に分けられます。前者が狭い意味での「胆管がん」です。

さらに、肝外胆管がんは、腫瘍ができた位置が胆のう管より上か下かによって、「肝門部領域胆管がん」と「遠位胆管がん」に分けられます。また、肝内胆管がんは、肝がんの一種として扱われます。岩田氏がどのタイプの胆管がんだったかは明らかにされていません。

◆考えられる原因

胆管に原因不明の慢性炎症を起こす、「原発性硬化性胆管炎」という病気があります。これは約10%の確率で胆管がんと合併します。最近は、肝炎ウイルスも胆管がんの原因のひとつとして考えられるようになってきました。

加えて、肥満の人、高カロリー摂取の人にも胆管がん発生の可能性が指摘されています。予防としては、果物や野菜を積極的に摂取することが発生を低下させると考えられます。

◆胆管がんの主な症状

胆管がんは、胆道に沿ったどの部位でも起こる可能性があり、特に肝臓の外の小腸に入る位置でよく発生します。脂肪肝、肝硬変、原発性硬化性胆管炎などを合併することがあります。

胆管がんは、浸潤性発育といって、インクが紙に染み込むように周辺の組織へ拡がるケースが多く見られます。また、胆管の内側がきのこのような形に盛り上がることもあります。

総胆管にがんができると、胆汁が流れにくくなり、胆汁が胆管から逆流して血管の中に入るようになります。すると胆汁の主成分であるビリルビンが血液中に含まれるようになり、閉塞性黄疸(へいそくせいおうだん)の症状が見られます。

黄疸になると皮膚や白目が黄色になり、尿が茶色っぽく、便は白くなり、全身にかゆみが生じます。黄疸が軽いと気がつきにくいのですが、便が白っぽいことで気がつくこともあります。

肝内胆管にがんができた場合は、黄疸の症状は出ず、初期は自覚症状がほとんどありません。がんが大きくなってから、食欲不振、体重減少、発熱、右上腹部の鈍痛などが現れます。

◆検査と診断

胆管が詰まると肝機能に異常が出ますが、腫瘍マーカーでは数値が上がらないこともあるため、早期診断はあまり役立ちません。胆管の閉塞に他の原因が見当たらない場合、特に原発性硬化性胆管炎を患っている人は、胆管がんが疑われます。

胆管の腫瘍は、腹部超音波診断という画像検査で発見できます。また、がん自体は画像に映らなくても、拡張した胆管によって病気が見つかることもあります。胆管がんが疑われた場合は、CTやMRIによって病気の広がりを確認します。

◆胆管がんの治療

現代の医療をもってしても、ほとんどの胆管がんは致死的です。手術をする場合もありますが、腫瘍を完全に除去できないケースが多いのです。手術する際は、肝臓や膵臓の一部、場合によっては胃や十二指腸まで切除することもあるため、患者が手術に耐えられないような場合は、化学療法や放射線治療を行います。

◆異変に気づいたら

黄疸や原因不明の高熱などの症状が出た場合は、速やかに内科や外科を受診して、検査を受けてください。黄疸の症状が出ている場合、手術はもとより抗がん剤治療も行えません。そのため、まずは黄疸を解除するためにチューブを体内に埋め込む措置がとられます。胆管がんでなくとも、黄疸を放置すると肝臓や腎臓に重大な障害をもたらします。また、胆管へのウイルス感染は死につながることもあるので、決して自己判断せず、医師の診察を受けましょう。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150713-00010004-mocosuku-hlth&p=1


睡眠の質

2015-07-13 16:24:29 | 健康

2015年6月24日、良好な睡眠と運動の習慣にはたいへん密接な関係があることがわかった。とはいっても、睡眠の質をあげるためにどんな運動をしても効果があるというわけではない。ペンシルバニア大学の研究では、ジョギング、サイクリング、ヨガ、ガーデニングをしている人は、まったく運動をしない人に比べて質の高い睡眠をとっているという。中国メディア・網易(NETEASE)が伝えた。

【その他の写真】

研究は成人40万人を対象として行われた。1日の睡眠時間と過去1カ月間に行った運動の相関関係を調べている。研究を率いたペンシルバニア大医学大学院のマイケル・グランドナー教授は、「単純なウォーキングでもいい。何かしらの運動を行うと、1日に7~8時間の良質な睡眠をとることができる。ジョギングやヨガなど、散歩よりも意識的に身体を動かすものならさらによい」としている。

また、すでに運動をしている人で、「自分はよく眠れない」と感じている人がいたら、そこであきらめずに運動の習慣を継続すべきだという。睡眠の質に明らかな効果が出るには数カ月を要することもある。なお、体力を使う活動といっても、家事や育児などはかえって睡眠の質を下げるという。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150713-00000037-rcdc-cn


コレステロール

2015-07-08 20:44:00 | 健康

最近、日本や米国でコレステロールの摂取制限を設けないとするガイドライン(指針)が発表されている。食事から取ったコレステロールの量と、体の中のコレステロール値との関連を示すエビデンス(根拠となる研究結果)が不十分なためで、メディアは「コレステロール摂取制限は不要」と大きく報道している。しかし、日本動脈硬化学会は5月1日、東京都内で記者会見を開き、コレステロール制限不要は「全ての人に当てはまるわけではなく、解釈には注意が必要」と説明した。

◆制限すべき人もいる

米国では、2013年発表の「心血管疾患リスク低減のための生活習慣マネジメントのガイドライン」、今年2月発表の米国民食事ガイドラインに関する諮問委員会の報告書で相次いで「コレステロール摂取の制限を設けない」との新たな推奨を発表。日本でも、今年5月発表の「2015年日本人の食事摂取基準」で同様の推奨をしている。
この方針転換は話題となり、「食事からのコレステロール摂取上限が撤廃」「(コレステロールを多く含む)卵を何個食べても大丈夫」などと大きく報道された。

しかし、本当にコレステロールを気にしない食事をしてよいのか―。体の中のコレステロール値は動脈硬化などに大きく関わるが、日本動脈硬化学会の佐藤靖史理事長(東北大学加齢医学研究所教授)は、一連の報道について「断片的で、誤解を招く部分があった」と指摘。いずれの指針も、健康に問題のない人が主な対象とされているためだ。
同学会の武城英明理事(東邦大学医療センター佐倉病院臨床検査部部長)は「学会として、健康な人の脂質摂取に関わる記載には賛同する」としつつ、報道などによって悪玉コレステロール値が高い人(高LDLコレステロール血症)にもコレステロール制限が必要ない、との誤解が広がることに懸念を示す。

◆悪玉コレステロール値高い人は平均以下を

体の中のコレステロール値は、食事から反映されるのは2割に過ぎず、8割は体の中で合成されるという。その一方で、食事からのコレステロールの吸収率は、人によって20~80%と、個人差が大きいことも指摘されている。食事からのコレステロール量と体の中のコレステロール値との関連を示すエビデンスが「不十分」と判定されているのは、このためだ。

しかし、ハワイに移住した日本人や沖縄県での研究などで、体の中のコレステロール値が高いことと心臓病になる危険性との関連も指摘されている。また、余分なコレステロールは運動で燃焼されることなく、血液の中や血管などにたまっていき、動脈硬化の進行につながる。

そのため同学会は、悪玉コレステロールの値が高い人の食事について「個人差を考慮し、日本の平均摂取量を下回るようにすることで、薬の治療を始める前に生活習慣の改善による効果を確認すること」などが望ましいと強調。健康な人に対する「摂取上限なし」は、必ずしも当てはまらないとの立場を改めて示した。

◆玄米などがオススメ

なお、同学会の丸山千寿子評議員(日本女子大学家政学部教授)は「太っていて脂肪細胞を多く持っていることそのものが、コレステロール値の上昇を招く。コレステロール値が高い人は、体の中でコレステロールを合成する能力も高まっている」と説明。そのため、コレステロールや脂肪を多く含む食品を控えるのが望ましく、例として「1日に卵黄を2~3個以上食べることなどは勧められない」とした。
一方で、脂質異常症の人に勧められる食事として、以下の点をポイントとして挙げている。

・伝統的な日本食(The Japan Diet)は動脈硬化性疾患の予防に有効
・過食を抑え、標準体重を維持する
・肉の脂身、乳製品、卵黄の摂取を抑え、魚類、大豆製品の摂取を増やす
・野菜、果物、未精製穀類、海藻の摂取を増やす
・食塩を多く含む食品の摂取を控える
・アルコールの過剰摂取を控える
・食習慣・食行動を修正する
・食品と薬物の相互作用に注意する

丸山評議員は、中でも「未精製の穀類は余分なコレステロールを体の外に出す水溶性の食物繊維が豊富。そのための一品を新たに準備しなくても、白米から切り替えるだけでよいので負担が少なく、有効性も高い」と助言。ただし、果物については「中性脂肪が上昇する人がいるので、日常生活で楽しむ程度が望ましい」と述べた。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150708-00010010-mocosuku-hlth


ココア

2015-07-07 06:51:49 | 糖尿病

体内でアルコールを分解する場所と言えば、肝臓です。解毒の他には、タンパク質、糖、脂肪をエネルギーに変える代謝機能や、胆汁の生成、分泌を行う臓器でもあります。たくさんの血管や胆管があり、心臓、小腸、十二指腸につながっています。「肝臓が痛む」といった症状はめったに聞きませんよね。肝臓は一部の機能に異常があっても症状が現れにくく、自覚症状が出たときには遅かったりするゆえに、「沈黙の臓器」を呼ばれています。そして糖尿病患者の死亡原因は、肝疾患が17.5%です(日本糖尿用学会の調査結果より)。肝機能の低下を防ぎ、糖尿病に効果がある食材が、スイーツに使われるまさかの食材から発見されたのです。


◆糖尿病のメカニズム
糖尿病は高血糖が続いた状態を言います。血液中にエネルギーとして活用されないブドウ糖が溜まると血糖値が上昇。糖尿病には1型と2型があり、生活習慣病など不摂生な生活による糖尿病は主に2型で、糖尿病患者の95%を占めると言われています。ブドウ糖をエネルギーに変える橋渡し役であるインスリンの作用不足によるものです。

インスリン作用不足には、インスリンの分泌量低下とインスリン抵抗性の2つが考えられます。
血液中のブドウ糖はインスリンによって肝臓を経由し、筋肉、脂肪など、インスリン受容体のある細胞に結合し、エネルギーとして取り込みます。この受容体がインスリンに鈍くなっている状態を「インスリン抵抗性」と呼びます。


◆肝機能低下と糖尿病を予防するスイーツって?
スペイン高等科学研究員の研究グループによると、「ココア」に糖尿病を防ぐ効果があるというのです(栄養分子生物学専門誌2015年7月号)。まだマウスによる実験段階ですが、ココア10%を含むエサと普通のエサを与えて比較したところ、ココアを含むエサを与えたマウスは、体重、血糖値、インスリン抵抗性レベルが下がったと報告しています。名付けてココアリッチダイエット。

ココアが血糖値を抑制すると考えられるのは、糖の合成、糖の活用促進、糖をエネルギーに変えるタンパク質の働きなど、肝臓で糖をコントロールする働きを見せたからだと発表されています。


◆ココアって糖じゃないの?
ココアとチョコレートは、同じカカオ豆が主原料です。カカオは、片手で持てるくらいの大きさで黄色っぽい果実です。その中の種が、カカオ豆です。カカオ豆を焙煎、摩砕したものをカカオマスと言い、チョコレートの原料になります。カカオマスから脂肪分を除き粉砕したものを「ココアパウダー」と呼びます。

市販されているココアはピュアココアに砂糖やミルクを入れて甘くしています。健康のためにココアを取るなら、なるべくピュアココアがオススメ。
冬のイメージが強いココアですが、夏にもアイスココアとして冷たいまま取り入れると良いかもしれませんね。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150706-00010006-mocosuku-hlth


病院死

2015-07-06 16:15:34 | 健康

● 「終末期」の対応が 大きく遅れている日本
 「東京圏の高齢者は地方に移住を」と提言して物議を醸している日本創生会議の座長、増田寛也・元総務相が、「延命治療の議論を」と呼び掛けている。昨年「消滅可能性都市」を挙げ、その後、名指された自治体が少子化対策に熱を入れだすなど、政策へ大きな影響を及ぼしているだけにその発言に注視したい。
 増田さんは、5月24日の毎日新聞のコラムで「終末期医療のあり方」を論じた。そのなかで、「終末期の人工栄養による延命は、世界的にみると必ずしも当たり前のことではない」「むしろ非倫理的であるとさえ認識されている国がある」と、穏やかな表現ながら、延命治療への再考を喚起している。
 介護の現場からは「ご本人の終末期の対処法が曖昧なので困る」という声はよく聞かれる。やっと、終末期に焦点が当たり出した。「素人」なだけに直感が働くことは多く、増田さんの発言は正鵠を射ている。死というゴールを見据えて初めて、高齢者の医療と介護は成り立つはずである。
 日本の病院や施設では、口から食べられなくなったので鼻や静脈からチューブを通じて、あるいは胃に穴を開けて栄養を与えられている高齢者をよく見かける。手足の関節が固まって寝返りを打てない寝たきりの人も。自分で呼吸できなければ人工呼吸器が装着される。気管切開されているため、痰の吸引やチューブの交換の際に苦しみもがく姿も見られる。認知症などを抱え、全く言葉を発しないままの人も。
 無理に栄養分を注入するため、消化されず、体中がむくんで目も当てられない様子になってしまうこともある。人間としての自然な死とは縁遠い、こうした延命治療が終末期に待ち受けている状況には、ぞっとさせられる。
 高齢者ケアへの取り組みは先進諸国の共通の課題である。それは、(1)「終の住処」を何処に求めるか (2)認知症ケアの手法 (3)終末期・看取りのあり方―――という3つの課題に集約されるだろう。 
 このうち、(1)は「脱病院、脱施設」という合言葉に象徴されるように、最期の時を迎える場として「生活の場」への転換が進んでいる。自宅の延長である「ケア付き住宅」をできるだけ自宅の近辺に求める考え方である。 
 国際的には「Ageing in Place」と言われる。即ち「年老いても同じ地域で住み続けましょう」という意味だ。同じ内容を日本では、「地域ケアシステム」と名付けた。これは、Community-based Care System(地域住民のためのケア体制)とIntegrated Care System(包括的なケア体制)を合体させたCommunity-based Integrated Care Systemの日本語訳である。
 「包括」は日常用語でなく分かり難いが、「総合」「まるごと」のこと。異なる要素が一緒になって、という意味で、異業種連携であり、高齢者だけでなく障害や子育てなどを大きく含んで一緒に、と理解すればいいだろう。
 それから(2)は、先ごろ東京で認知症ケアの国際サミットが開催されたように、先行組に追い付こうとの意気込みが表れ、政策として結実しつつある。精神科病院問題など、まだ出遅れた分野を抱えてはいるが、欧米諸国と同じ方向に舵を切りつつあるのは確かだ。
 つまり、(1)と(2)は国際レベルへの引き上げを目指して、一応路線は敷かれてきた。ところがである。(3)になると日本だけが大きく取り残されている。日本の常識が世界の非常識、とみても過言ではないほどの状況だ。
● 日本は80%が「病院死」
 それを端的に示しているのが、死亡場所の数値だ。病院と施設(欧州では実質的にケア付き住宅)、自宅の3ヵ所に分けた比率を見ると、欧州諸国では病院死が50%前後である。最も低いのは30%台のオランダだ。
 病院死が少ないのは、訪問診療や訪問介護が充実していて、入院しなくても自宅や近辺のケア付き住宅で最期まで過ごすことができるからだ。各国の共通施策である「在宅重視」の成果が、病院死比率の多寡で判定できる。
 では、日本はどうか。なんと病院死は80%近い。欧州諸国とこれほどに大差がついた「生活指標」は珍しい。出産と死亡は、あらゆる生物が同様に体験する自然な現象だろう。決して「病」ではない。ライフスタイルの一環でもある。
 パソコンや携帯電話のICTをはじめ、スポーツや音楽、映画、食文化、ファッション、インテリアなど日々の生活を彩り、欠かせない生活諸要素のひとつが、出産であり死亡・看取りであろう。日本人は、パソコンやレストランなど他の要素はほぼ世界レベルの水準を持ち、その便宜性や快適性を共有している。だが、死の文化だけが、日本は他国とまるっきり異なり、それが数字に表れている。
 「歴史や文化が地域や国によって異なるのだから、違いがあっても不思議はない」という指摘がよくある。確かに、地域性は欠かせない。生活の潤いには必要である。だが、方言を使う場が時にはあっても、ほとんど標準語で会話が成り立っているのが現実だろう。大きな流れは、一定の方向への収斂だ。快適性や合理性、それに一定の倫理観に基づいて希求すべき方向が地球規模で絞られていく。
 では、死についてはどうか。なぜ、日本だけが病院死比率が高いのか。
● 医療や病院、医師への 盲目的な受け入れは日本の特徴
 医療提供者だけにその理由を問うのは当たらないだろう。医療だけでなく国民一般の意識が大きな影響を与えている。それを辿ると、日本の今の急激な「豊かさ」をもたらした多くの要素と重なってくる。

 医療や病院、医師への盲目的な受け入れは、「信仰」に近い。欧州諸国には見られない信頼であり、すがりようだ。モノの獲得を通じて豊かな生活を目指してきた発想そのものに通じる。家電製品やマイカー、新幹線など最新技術への礼賛は、病院や医療にも通じる。
 豊かさは、総中流意識を醸成して全国民が加入する皆保険システムも誕生させた。医療が低価格で使える手近な存在になったことも、医療信仰に拍車がかかった。
 心身に少しの支障が生ずると、すぐに診療である。通院から入院への回路は短い。日本人の受診率や入院期間はずば抜けて高く長い。
 受け入れる医療の側では、治療には熱心ではあるが、ほぼ治療を終えたに近い慢性期の高齢者には別の手立ては持ち合わせない。年齢にかかわりなく、受診に来た高齢者には病名を付け、診療報酬を受け取る。
 老衰による細胞劣化が全身で進行していても、高齢者は病名を求め、薬を欲しがる。これまでの医療のメカニズムに、高齢者と医療側がたやすく乗ってしもまう。老衰を「古いもの」「役に立たたないもの」として認めたがらない。新しいモノが「豊かさ」を生み、それを一心に追い求めてきた。老衰を嫌うのはその弊害であるが、自身は気付かない。
 患者の刻印を押されれば、手術や薬で手を打ち、また元の状態に戻ることができると願う。その「錯覚」に手を貸す医療側の責任は当然問われる。
だが、日本の医療教育では、「死」は教科書の対象になっていない。死への自然のプロセスを学ぶことはない。ギリシャのヒポクラテス以来の「医療者にとって死は敗北」という信条に絡め取られたままだ。
 生物は必ず死ぬ。人間も生物に過ぎない――そんな当たり前の事実から目を背けたいのだろうか。
● 「高度医療の投入は 必ずしも最善ではない」
 「死は苦しいもの」という世間の誤解を解くのは医療者の責務でもある。実は、終末期になると脳内麻薬と言われるβエンドルフィンと血中のケトン体が分泌されて、極めて楽な状態で生を閉じることができるのは医療界の常識。
 自然の摂理はうまくできている。枯れるような死である。人工栄養などの延命治療を施すとその放出が止まり、苦しみを味わうことになる。
 栄養補給の胃瘻などの延命治療を「高度な医療技術」としてきた医療者たちではあるが、見直し機運も実は高まりつつある。日本老年医学会が2012年1月に「高度医療の投入は必ずしも最善の選択肢ではない」と、胃瘻の中止を容認したのが好例だ。
 生活の質(QOL)を第一とする考え方を尊重したのである。
 病院死が多い理由の一つに、意思表明を鮮明に打ち出さない日本独特の精神風土と家族主義が影響していることは間違いないだろう。
 最期の段階を迎えた時に、本人は「家族に任せる」と言い淀み、振られた家族は「専門的なことは分からないからお医者さんにお任せします」となる。医師は回復の見込みがなくても、医療を続けることしか教育されていないから、当然、延命措置に走る。
 もし、本人が「十分に生きた。治療を止めてほしい」と事前に周囲に話していても、その時に意思疎通ができなければ、家族が正反対の方向に動くこともある。「親の死を自分が決めたくない」という心情からだ。本人よりも、家族の心が優先されてしまう。
 医療側にも延命治療に向かわざるを得ない理由もある。
 医療保険制度では、長期入院になると診療報酬が下がる。患者に早く退院して介護施設に移ってもらいたいが、施設側からは「嚥下障害のある方の入所は難しい。胃瘻を作ってもらえば、介助が楽になるのでOKです」と言われ、やむなく胃瘻を増設するケースが多い。
 こうした構造を断ち切らないと病院死は減らない。では、欧米ではどうか。
 まず、死生観が違う。食べられなくなるのは、死への一歩を踏み出したことだから、余計な治療をしない。人生は楽しむためにある。楽しみを奪われて生き続けることに価値があるのだろうか。胃瘻は、後で外すことを前提にしか付けない。延命手段とはしていない。
 日本の医師たちが欧米に視察後、「ろくろく治療もしないで患者を見殺しにしている」と語る光景に出くわしたことが一度ならずある。相当のギャップである。
 これからも病院死が多いままなのか。否。必ずや変わっていくことは間違いないだろう。
● これから始まる 死に対する「自己決定」
 まず、「お任せ主義」からの離脱が進むはずだ。自身に起きた障害をきちんと把握し、その治療法を選択し、最期の時の迎え方も選び取る。こうした自己決定は団塊世代の少し上の世代から始まるだろう。
 インフォームドコンセントやセカンドオピニオンは自然と身に付いている。戦後教育や企業人としての社会生活で常に状況選択を迫られ、実行してきたからだ。
 近年のエンディングノートの普及はその表れのひとつである。元気なうちから、要介護状態を想定して自分の意思をはっきりと表明する。食べ物や音楽、スポーツなどの好き嫌いが書かれていれば、認知症ケアには相当役立つ。延命治療についても、そのひとつひとつ、点滴をはじめ中心静脈栄養、胃瘻を含む経管栄養、人工呼吸器などの可否を記し、葬儀の内容まで具体的に描く例も出ている。
 自己決定による自己責任は、制度としても介護保険で実現されている。介護サービスの提供に際して、家族の有無や収入・資産の多寡などへの配慮は原則としてなく、本人の心身の障害だけで判断される。それまでの措置制度と大きく変わった。
 最近は、認知症ケアの要諦は「本人の意向を聞いてから」と認識されだした。国がこの1月に決めた認知症ケアの基本方針「新オレンジプラン」でも、「本人の意向を踏まえ」と書かれている。

 * *
 ところで、本人本位について余談をひとつ提供したい。
 厚労省内で本人本位の考え方がまだ徹底していないのか、失態が演じられている。高齢者ケアの基本戦略である「地域包括ケアシステム」を分かりやすく描いた通称「植木鉢モデル」のことだ。
 5つの要素を巧みに表現し、互いの連携が必要と訴えている。まず、植木鉢に相当する「すまいとすまい方」。中に盛られた土の「生活支援、福祉サービス」。そこから上空に伸びた3枚の緑色の葉が「介護・リハビリ」「保健・予防」「医療・看護」である。
 この植木鉢の下に皿があり、それは「本人と家族の選択と心構え」だ。つまり5つの要素の土台、出発点を成すのが皿というわけだ。問題はこの表現にある。
 本人と家族を同列視してはならない。介護保険の理念に反する。正しくは「本人の選択と家族の心構え」であろう。まず、本人の自己決定ありきだ。
 終末期を迎える場所が病院でない時代は、遠からず実現するだろう。今まで続けてきた暮らしの場で、穏やかに幕を閉じるのが自然の摂理であるからだ。そうなれば、冒頭の「高齢者移住構想」も消えてしまう可能性が高い。

 とうのも、現在の病床数(一般90万床、療養33万床)に対して、東京圏の必要数が足らないことが提言の前提にあるが、終末期を病院外で迎える高齢者が増えて行けば、必要数は相当に少なくていいからだ。
 看取りの場所が、特養や有料老人ホーム、それに急増中のサ高住(サービス付き高齢者向け住宅)であれば、病床不足はなくなってしまう。
 増田さんが期待する終末期医療の議論が盛んになればなるほど、同じ増田さんが唱える「高齢者移住構想」は不要となるはずだ。
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20150624-00073755-diamond-soci&p=1


病院死

2015-07-06 16:15:04 | 健康

● 「終末期」の対応が 大きく遅れている日本
 「東京圏の高齢者は地方に移住を」と提言して物議を醸している日本創生会議の座長、増田寛也・元総務相が、「延命治療の議論を」と呼び掛けている。昨年「消滅可能性都市」を挙げ、その後、名指された自治体が少子化対策に熱を入れだすなど、政策へ大きな影響を及ぼしているだけにその発言に注視したい。
 増田さんは、5月24日の毎日新聞のコラムで「終末期医療のあり方」を論じた。そのなかで、「終末期の人工栄養による延命は、世界的にみると必ずしも当たり前のことではない」「むしろ非倫理的であるとさえ認識されている国がある」と、穏やかな表現ながら、延命治療への再考を喚起している。
 介護の現場からは「ご本人の終末期の対処法が曖昧なので困る」という声はよく聞かれる。やっと、終末期に焦点が当たり出した。「素人」なだけに直感が働くことは多く、増田さんの発言は正鵠を射ている。死というゴールを見据えて初めて、高齢者の医療と介護は成り立つはずである。
 日本の病院や施設では、口から食べられなくなったので鼻や静脈からチューブを通じて、あるいは胃に穴を開けて栄養を与えられている高齢者をよく見かける。手足の関節が固まって寝返りを打てない寝たきりの人も。自分で呼吸できなければ人工呼吸器が装着される。気管切開されているため、痰の吸引やチューブの交換の際に苦しみもがく姿も見られる。認知症などを抱え、全く言葉を発しないままの人も。
 無理に栄養分を注入するため、消化されず、体中がむくんで目も当てられない様子になってしまうこともある。人間としての自然な死とは縁遠い、こうした延命治療が終末期に待ち受けている状況には、ぞっとさせられる。
 高齢者ケアへの取り組みは先進諸国の共通の課題である。それは、(1)「終の住処」を何処に求めるか (2)認知症ケアの手法 (3)終末期・看取りのあり方―――という3つの課題に集約されるだろう。 
 このうち、(1)は「脱病院、脱施設」という合言葉に象徴されるように、最期の時を迎える場として「生活の場」への転換が進んでいる。自宅の延長である「ケア付き住宅」をできるだけ自宅の近辺に求める考え方である。 
 国際的には「Ageing in Place」と言われる。即ち「年老いても同じ地域で住み続けましょう」という意味だ。同じ内容を日本では、「地域ケアシステム」と名付けた。これは、Community-based Care System(地域住民のためのケア体制)とIntegrated Care System(包括的なケア体制)を合体させたCommunity-based Integrated Care Systemの日本語訳である。
 「包括」は日常用語でなく分かり難いが、「総合」「まるごと」のこと。異なる要素が一緒になって、という意味で、異業種連携であり、高齢者だけでなく障害や子育てなどを大きく含んで一緒に、と理解すればいいだろう。
 それから(2)は、先ごろ東京で認知症ケアの国際サミットが開催されたように、先行組に追い付こうとの意気込みが表れ、政策として結実しつつある。精神科病院問題など、まだ出遅れた分野を抱えてはいるが、欧米諸国と同じ方向に舵を切りつつあるのは確かだ。
 つまり、(1)と(2)は国際レベルへの引き上げを目指して、一応路線は敷かれてきた。ところがである。(3)になると日本だけが大きく取り残されている。日本の常識が世界の非常識、とみても過言ではないほどの状況だ。
● 日本は80%が「病院死」
 それを端的に示しているのが、死亡場所の数値だ。病院と施設(欧州では実質的にケア付き住宅)、自宅の3ヵ所に分けた比率を見ると、欧州諸国では病院死が50%前後である。最も低いのは30%台のオランダだ。
 病院死が少ないのは、訪問診療や訪問介護が充実していて、入院しなくても自宅や近辺のケア付き住宅で最期まで過ごすことができるからだ。各国の共通施策である「在宅重視」の成果が、病院死比率の多寡で判定できる。
 では、日本はどうか。なんと病院死は80%近い。欧州諸国とこれほどに大差がついた「生活指標」は珍しい。出産と死亡は、あらゆる生物が同様に体験する自然な現象だろう。決して「病」ではない。ライフスタイルの一環でもある。
 パソコンや携帯電話のICTをはじめ、スポーツや音楽、映画、食文化、ファッション、インテリアなど日々の生活を彩り、欠かせない生活諸要素のひとつが、出産であり死亡・看取りであろう。日本人は、パソコンやレストランなど他の要素はほぼ世界レベルの水準を持ち、その便宜性や快適性を共有している。だが、死の文化だけが、日本は他国とまるっきり異なり、それが数字に表れている。
 「歴史や文化が地域や国によって異なるのだから、違いがあっても不思議はない」という指摘がよくある。確かに、地域性は欠かせない。生活の潤いには必要である。だが、方言を使う場が時にはあっても、ほとんど標準語で会話が成り立っているのが現実だろう。大きな流れは、一定の方向への収斂だ。快適性や合理性、それに一定の倫理観に基づいて希求すべき方向が地球規模で絞られていく。
 では、死についてはどうか。なぜ、日本だけが病院死比率が高いのか。
● 医療や病院、医師への 盲目的な受け入れは日本の特徴
 医療提供者だけにその理由を問うのは当たらないだろう。医療だけでなく国民一般の意識が大きな影響を与えている。それを辿ると、日本の今の急激な「豊かさ」をもたらした多くの要素と重なってくる。

 医療や病院、医師への盲目的な受け入れは、「信仰」に近い。欧州諸国には見られない信頼であり、すがりようだ。モノの獲得を通じて豊かな生活を目指してきた発想そのものに通じる。家電製品やマイカー、新幹線など最新技術への礼賛は、病院や医療にも通じる。
 豊かさは、総中流意識を醸成して全国民が加入する皆保険システムも誕生させた。医療が低価格で使える手近な存在になったことも、医療信仰に拍車がかかった。
 心身に少しの支障が生ずると、すぐに診療である。通院から入院への回路は短い。日本人の受診率や入院期間はずば抜けて高く長い。
 受け入れる医療の側では、治療には熱心ではあるが、ほぼ治療を終えたに近い慢性期の高齢者には別の手立ては持ち合わせない。年齢にかかわりなく、受診に来た高齢者には病名を付け、診療報酬を受け取る。
 老衰による細胞劣化が全身で進行していても、高齢者は病名を求め、薬を欲しがる。これまでの医療のメカニズムに、高齢者と医療側がたやすく乗ってしもまう。老衰を「古いもの」「役に立たたないもの」として認めたがらない。新しいモノが「豊かさ」を生み、それを一心に追い求めてきた。老衰を嫌うのはその弊害であるが、自身は気付かない。
 患者の刻印を押されれば、手術や薬で手を打ち、また元の状態に戻ることができると願う。その「錯覚」に手を貸す医療側の責任は当然問われる。
だが、日本の医療教育では、「死」は教科書の対象になっていない。死への自然のプロセスを学ぶことはない。ギリシャのヒポクラテス以来の「医療者にとって死は敗北」という信条に絡め取られたままだ。
 生物は必ず死ぬ。人間も生物に過ぎない――そんな当たり前の事実から目を背けたいのだろうか。
● 「高度医療の投入は 必ずしも最善ではない」
 「死は苦しいもの」という世間の誤解を解くのは医療者の責務でもある。実は、終末期になると脳内麻薬と言われるβエンドルフィンと血中のケトン体が分泌されて、極めて楽な状態で生を閉じることができるのは医療界の常識。
 自然の摂理はうまくできている。枯れるような死である。人工栄養などの延命治療を施すとその放出が止まり、苦しみを味わうことになる。
 栄養補給の胃瘻などの延命治療を「高度な医療技術」としてきた医療者たちではあるが、見直し機運も実は高まりつつある。日本老年医学会が2012年1月に「高度医療の投入は必ずしも最善の選択肢ではない」と、胃瘻の中止を容認したのが好例だ。
 生活の質(QOL)を第一とする考え方を尊重したのである。
 病院死が多い理由の一つに、意思表明を鮮明に打ち出さない日本独特の精神風土と家族主義が影響していることは間違いないだろう。
 最期の段階を迎えた時に、本人は「家族に任せる」と言い淀み、振られた家族は「専門的なことは分からないからお医者さんにお任せします」となる。医師は回復の見込みがなくても、医療を続けることしか教育されていないから、当然、延命措置に走る。
 もし、本人が「十分に生きた。治療を止めてほしい」と事前に周囲に話していても、その時に意思疎通ができなければ、家族が正反対の方向に動くこともある。「親の死を自分が決めたくない」という心情からだ。本人よりも、家族の心が優先されてしまう。
 医療側にも延命治療に向かわざるを得ない理由もある。
 医療保険制度では、長期入院になると診療報酬が下がる。患者に早く退院して介護施設に移ってもらいたいが、施設側からは「嚥下障害のある方の入所は難しい。胃瘻を作ってもらえば、介助が楽になるのでOKです」と言われ、やむなく胃瘻を増設するケースが多い。
 こうした構造を断ち切らないと病院死は減らない。では、欧米ではどうか。
 まず、死生観が違う。食べられなくなるのは、死への一歩を踏み出したことだから、余計な治療をしない。人生は楽しむためにある。楽しみを奪われて生き続けることに価値があるのだろうか。胃瘻は、後で外すことを前提にしか付けない。延命手段とはしていない。
 日本の医師たちが欧米に視察後、「ろくろく治療もしないで患者を見殺しにしている」と語る光景に出くわしたことが一度ならずある。相当のギャップである。
 これからも病院死が多いままなのか。否。必ずや変わっていくことは間違いないだろう。
● これから始まる 死に対する「自己決定」
 まず、「お任せ主義」からの離脱が進むはずだ。自身に起きた障害をきちんと把握し、その治療法を選択し、最期の時の迎え方も選び取る。こうした自己決定は団塊世代の少し上の世代から始まるだろう。
 インフォームドコンセントやセカンドオピニオンは自然と身に付いている。戦後教育や企業人としての社会生活で常に状況選択を迫られ、実行してきたからだ。
 近年のエンディングノートの普及はその表れのひとつである。元気なうちから、要介護状態を想定して自分の意思をはっきりと表明する。食べ物や音楽、スポーツなどの好き嫌いが書かれていれば、認知症ケアには相当役立つ。延命治療についても、そのひとつひとつ、点滴をはじめ中心静脈栄養、胃瘻を含む経管栄養、人工呼吸器などの可否を記し、葬儀の内容まで具体的に描く例も出ている。
 自己決定による自己責任は、制度としても介護保険で実現されている。介護サービスの提供に際して、家族の有無や収入・資産の多寡などへの配慮は原則としてなく、本人の心身の障害だけで判断される。それまでの措置制度と大きく変わった。
 最近は、認知症ケアの要諦は「本人の意向を聞いてから」と認識されだした。国がこの1月に決めた認知症ケアの基本方針「新オレンジプラン」でも、「本人の意向を踏まえ」と書かれている。

 * *
 ところで、本人本位について余談をひとつ提供したい。
 厚労省内で本人本位の考え方がまだ徹底していないのか、失態が演じられている。高齢者ケアの基本戦略である「地域包括ケアシステム」を分かりやすく描いた通称「植木鉢モデル」のことだ。
 5つの要素を巧みに表現し、互いの連携が必要と訴えている。まず、植木鉢に相当する「すまいとすまい方」。中に盛られた土の「生活支援、福祉サービス」。そこから上空に伸びた3枚の緑色の葉が「介護・リハビリ」「保健・予防」「医療・看護」である。
 この植木鉢の下に皿があり、それは「本人と家族の選択と心構え」だ。つまり5つの要素の土台、出発点を成すのが皿というわけだ。問題はこの表現にある。
 本人と家族を同列視してはならない。介護保険の理念に反する。正しくは「本人の選択と家族の心構え」であろう。まず、本人の自己決定ありきだ。
 終末期を迎える場所が病院でない時代は、遠からず実現するだろう。今まで続けてきた暮らしの場で、穏やかに幕を閉じるのが自然の摂理であるからだ。そうなれば、冒頭の「高齢者移住構想」も消えてしまう可能性が高い。

 とうのも、現在の病床数(一般90万床、療養33万床)に対して、東京圏の必要数が足らないことが提言の前提にあるが、終末期を病院外で迎える高齢者が増えて行けば、必要数は相当に少なくていいからだ。
 看取りの場所が、特養や有料老人ホーム、それに急増中のサ高住(サービス付き高齢者向け住宅)であれば、病床不足はなくなってしまう。
 増田さんが期待する終末期医療の議論が盛んになればなるほど、同じ増田さんが唱える「高齢者移住構想」は不要となるはずだ。
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20150624-00073755-diamond-soci&p=1