昨日は終戦記念日でしたね
。
悲しい日でしょうか?
嬉しい日でしょうか?
悔しい日でしょうか?
いろんな思いがあると思います。
日本国にとっては再生のスタートの日ですから、良い日と受け止めることが大切だと思うのですが、その時代を生きたそれぞれの人の心の中では、空しくやりきれない思いもあることでしょう。
どうか、心静めてお休み下さい。
さて、今日は8月16日
。
私にとってこの日ほど複雑な日は無いのです。
父の倒れた日、母の死にかけた日、祖父の亡くなった日。
ですが、私たち夫婦の結婚記念日でもあるのです
。
母は、私たち夫婦が悪い日を良い日にしてくれたのだと言います。
私たちは結婚式はしておりませんので、結婚記念日とは入籍した日のこと。
当時忙しかった私たちは、出張所に行く時間もありませんでした。
そんなわけで、何日か?どんな日か?と把握もせずに、その日は無意識に何者かに引っ張られるように出張所に出向いたというわけです。
これはきっと何かがあるのだろうと、私はずっと思っているのです。
ひたむきに生きる、ただそれだけですね。
母や父や祖父や祖母、果てしない祖先から今の自分の命がつながってきていることをしみじみと感じるこの日です
。
公式HPはこちら いづみかほるのひとりごとサイトです。
作品あれこれブログはこちらです。

悲しい日でしょうか?
嬉しい日でしょうか?
悔しい日でしょうか?
いろんな思いがあると思います。
日本国にとっては再生のスタートの日ですから、良い日と受け止めることが大切だと思うのですが、その時代を生きたそれぞれの人の心の中では、空しくやりきれない思いもあることでしょう。
どうか、心静めてお休み下さい。
さて、今日は8月16日

私にとってこの日ほど複雑な日は無いのです。
父の倒れた日、母の死にかけた日、祖父の亡くなった日。
ですが、私たち夫婦の結婚記念日でもあるのです


母は、私たち夫婦が悪い日を良い日にしてくれたのだと言います。
私たちは結婚式はしておりませんので、結婚記念日とは入籍した日のこと。
当時忙しかった私たちは、出張所に行く時間もありませんでした。
そんなわけで、何日か?どんな日か?と把握もせずに、その日は無意識に何者かに引っ張られるように出張所に出向いたというわけです。
これはきっと何かがあるのだろうと、私はずっと思っているのです。
ひたむきに生きる、ただそれだけですね。
母や父や祖父や祖母、果てしない祖先から今の自分の命がつながってきていることをしみじみと感じるこの日です


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親側も子側も、それぞれの視点で理屈的に間違いのないことを必死に主張することがありますよね
。
でも、人間には理屈を越える感情というものを持っています。
ましてや、親子はお互い複雑な思いを抱きます
。
だから特に解決しにくいし、厄介だったりするんですね。
親の子への思いは、子へは理屈的には理解できても、微妙な気持ちまでは伝わりにくいのです
。
子は、有り難いと感じたり負担と感じたりです
。
親は、無償でありながらも時に空しく感じる時がありますね
。
子は子で、親に対して常に思いやりを持っていたとしても、その気持ちをわかりやすい表現で親に投げられない時もあるようです
。
だから親は、子が投げている思いやりに気付きにくいのです。
でも、子はそのわかりにくい投げ方の問題よりも受け取れない親側にその怒りをぶつけてしまったり……それが甘えなんですよね。
そして親も、受け取れない自分の問題よりも子の投げ方の不器用さを嘆いてしまったり……それもある意味子への甘えなんですよね。
そもそも、甘えを受け止めあうことこそも親子だと思うのです
。
でも、時には甘えが過ぎたり、受け止める側の許容に隙間がなかったりの場合もあるんですよね。
そしてそんな時、相手の甘えや許容のなさを責め、自分の視点での理屈を繰り返して解決を図ろうとしてしまう、それが人間ですね。
しかしbutしかし……
そんなことを繰り返しながらも、親子は成長し絆を深めるんでしょうけど
。
親と子はいつも甘えと無意識に戦っているようです
。
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でも、人間には理屈を越える感情というものを持っています。
ましてや、親子はお互い複雑な思いを抱きます


だから特に解決しにくいし、厄介だったりするんですね。
親の子への思いは、子へは理屈的には理解できても、微妙な気持ちまでは伝わりにくいのです

子は、有り難いと感じたり負担と感じたりです


親は、無償でありながらも時に空しく感じる時がありますね

子は子で、親に対して常に思いやりを持っていたとしても、その気持ちをわかりやすい表現で親に投げられない時もあるようです

だから親は、子が投げている思いやりに気付きにくいのです。
でも、子はそのわかりにくい投げ方の問題よりも受け取れない親側にその怒りをぶつけてしまったり……それが甘えなんですよね。
そして親も、受け取れない自分の問題よりも子の投げ方の不器用さを嘆いてしまったり……それもある意味子への甘えなんですよね。
そもそも、甘えを受け止めあうことこそも親子だと思うのです


でも、時には甘えが過ぎたり、受け止める側の許容に隙間がなかったりの場合もあるんですよね。
そしてそんな時、相手の甘えや許容のなさを責め、自分の視点での理屈を繰り返して解決を図ろうとしてしまう、それが人間ですね。
しかしbutしかし……
そんなことを繰り返しながらも、親子は成長し絆を深めるんでしょうけど


親と子はいつも甘えと無意識に戦っているようです


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