自転車に乗った息子らしき青年を数メートル先で見かけた。
似てるけど髪の色はもう少し茶色だし、Tシャツも模様が似てるけど色がもっと薄いはずだし、背負ってるリュックサックもちょっと違うな~
しかしbutしかし、その青年は私のほうをチラッとみて息子がいつも止めてる駐輪場に向かうのだ。
な~んだやっぱ息子なんだ。
そう確信した母は、その青年を追いかけるようにその駐輪場に向かい、満面の笑みで青年と対面した。
するとその青年はとてつもなく変な表情で去っていった。
やっぱ、息子じゃなかった。
息子にいつもメガネをかけろと言われている。
その言葉をまた思い出した母であった。
公式HPはこちら いづみかほるのひとりごとサイトです。
作品あれこれブログはこちらです。
似てるけど髪の色はもう少し茶色だし、Tシャツも模様が似てるけど色がもっと薄いはずだし、背負ってるリュックサックもちょっと違うな~
しかしbutしかし、その青年は私のほうをチラッとみて息子がいつも止めてる駐輪場に向かうのだ。
な~んだやっぱ息子なんだ。
そう確信した母は、その青年を追いかけるようにその駐輪場に向かい、満面の笑みで青年と対面した。
するとその青年はとてつもなく変な表情で去っていった。
やっぱ、息子じゃなかった。
息子にいつもメガネをかけろと言われている。
その言葉をまた思い出した母であった。
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「うちの子ったら自分から塾に行きたいって言うのよ」
「あらそう、すごいわね!自分から?自分の意思なんだからいいんじゃない?親が 無理やりじゃないんだもの」
ってな会話を良く聞く。
でも、この日本国の環境の中でむしろ塾に行きたくないって子のほうが少ないかもしれません。
みんなが行ってる
みんなが行ってる
私だけが行ってない 僕だけが行ってない
みんなが……みんなが……
みんながしていることを自分がしてないことの不安
それが
「塾に行きたい」
なのだとしたら
それは、果たして自分の意思といえるのかどうか
そこを考えてあげるのも親も役目
大人になって社会の中で似たようなことがあります。
みんなが右を向いたら右、みんなが左を向いたら左、同じことやっているのが一番安心なのだという。
しかしbutしかし、みんなと意見は違っても自分の意思、考え方を持つような人間になってもらえたらいいですね。
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「あらそう、すごいわね!自分から?自分の意思なんだからいいんじゃない?親が 無理やりじゃないんだもの」
ってな会話を良く聞く。
でも、この日本国の環境の中でむしろ塾に行きたくないって子のほうが少ないかもしれません。
みんなが行ってる
みんなが行ってる
私だけが行ってない 僕だけが行ってない
みんなが……みんなが……
みんながしていることを自分がしてないことの不安
それが
「塾に行きたい」
なのだとしたら
それは、果たして自分の意思といえるのかどうか
そこを考えてあげるのも親も役目
大人になって社会の中で似たようなことがあります。
みんなが右を向いたら右、みんなが左を向いたら左、同じことやっているのが一番安心なのだという。
しかしbutしかし、みんなと意見は違っても自分の意思、考え方を持つような人間になってもらえたらいいですね。
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臓器をもられる立場、あげられる立場
それぞれの側に苦悩がある
瀕死の子を持つ親に
「あなたのお子さんは、臓器さえもらえれば助かりますよ」
っと言われたら、親であればそれにすがるのは当然の思いです。
でも、現実的には国の体制が十分でなく臓器をもらえず我子を亡くす親の気持ちを考えると切ないものです。
一方で、
脳は機能なしでも心臓が動き続けている子を持つ親に
「あなたのお子さんは臓器をあげられる立場ですよ」
っと言われたら、親であれば悲しさが倍増するのは当然の思いです。
温かい我子を死人扱いされ、臓器提供可能者にされやりきれない親の気持ちを考えると切ないものです。
文明が発展し医学も発展し、新しい治療法で昔よりはるかに沢山の命が助かっているのは嬉しいことです。
でも、それによってもうひとつの命と大きく関わるこのケースについては、議論をもっともっとしてほしいと思うのです。
他国のシステムに無視はできないけれど、日本国の「命」という考え方を原点から考えてほしいとそう思うのです。
この世の中の考えかたが、医学的や科学的でしかなくなったらもうおしまいと思っているのです。
人の「命」ってそんなものではないと思っているのです。
ところで、臓器提供によって他人の命を助けられるという考え方に基づき、苦しい中でのお身内の臓器提供の決断をされた方々へは心より頭が下がります。
このことと上記のこととはテーマが違っているのですが、あえて記させて頂きます。
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それぞれの側に苦悩がある
瀕死の子を持つ親に
「あなたのお子さんは、臓器さえもらえれば助かりますよ」
っと言われたら、親であればそれにすがるのは当然の思いです。
でも、現実的には国の体制が十分でなく臓器をもらえず我子を亡くす親の気持ちを考えると切ないものです。
一方で、
脳は機能なしでも心臓が動き続けている子を持つ親に
「あなたのお子さんは臓器をあげられる立場ですよ」
っと言われたら、親であれば悲しさが倍増するのは当然の思いです。
温かい我子を死人扱いされ、臓器提供可能者にされやりきれない親の気持ちを考えると切ないものです。
文明が発展し医学も発展し、新しい治療法で昔よりはるかに沢山の命が助かっているのは嬉しいことです。
でも、それによってもうひとつの命と大きく関わるこのケースについては、議論をもっともっとしてほしいと思うのです。
他国のシステムに無視はできないけれど、日本国の「命」という考え方を原点から考えてほしいとそう思うのです。
この世の中の考えかたが、医学的や科学的でしかなくなったらもうおしまいと思っているのです。
人の「命」ってそんなものではないと思っているのです。
ところで、臓器提供によって他人の命を助けられるという考え方に基づき、苦しい中でのお身内の臓器提供の決断をされた方々へは心より頭が下がります。
このことと上記のこととはテーマが違っているのですが、あえて記させて頂きます。
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