たかが親子されど親子、そして兄弟そして夫婦そして自分

いづみかほるの様々な想い(世のファミリーをテーマにエッセイ風に綴っています)

マイケルの家族の悲しみ

2009-06-30 08:30:04 | エッセイ風
マイケルのこの世での喜びと悲しみ、そして想像を絶する晩年の辛い日々
今は、やっと安らかな状態になって下界を感じているに違いありません
人々に夢を与えるために生まれ、そして役目を終えて死んだのです
彼の家族の悲しみは計り知れない、でも人は亡くなってこそ、その魂は親しんだ方々の心の中で永遠に生き続けるのです
この世にいたとき以上に、常にそばにいるのです

公式HPはこちら いづみかほるのひとりごとサイトです。


作品あれこれブログはこちらです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

とんちんかん母ちゃん今日も行く

2009-06-29 22:01:27 | エッセイ風
自転車に乗った息子らしき青年を数メートル先で見かけた
似てるけど髪の色はもう少し茶色だし、Tシャツも模様が似てるけど色がもっと薄いはずだし、背負ってるリュックサックもちょっと違うな~
しかしbutしかし、その青年は私のほうをチラッとみて息子がいつも止めてる駐輪場に向かうのだ。
な~んだやっぱ息子なんだ
そう確信した母は、その青年を追いかけるようにその駐輪場に向かい、満面の笑みで青年と対面した
するとその青年はとてつもなく変な表情で去っていった。
やっぱ、息子じゃなかった

息子にいつもメガネをかけろと言われている。
その言葉をまた思い出した母であった


公式HPはこちら いづみかほるのひとりごとサイトです。


作品あれこれブログはこちらです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

家族の死

2009-06-28 09:06:23 | エッセイ風
父や母、妻や夫、息子や娘、愛する家族に、何の前触れもなく死が訪れることがあります
昨日まで、いや数時間前まで元気に会話していても、お別れの言葉もなく死はやってくることもあるのです
人には必ず死が来るのだからそれは受け止めなくてはいけないけど、せめて事件に巻き込まれる死は、残された家族にとって悲しみが倍増します

サリン事件から15年……

亡くなった方々のご冥福を祈ります。


公式HPはこちら いづみかほるのひとりごとサイトです。

作品あれこれブログはこちらです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

我子は親の為に天からおりてくる

2009-06-27 17:47:53 | エッセイ風
子は父母の為に天からおりてきたのです
手のかかるかからない、秀才凡才、器用不器用、背が高い低い、運動神経があるない、リズム感があるない、音感があるない、etc。

でもでもでも
どんな子もその親の為に生を受けているのです。
大切な大切な我子
手のかかる子でも凡才でも背が低くても運動神経がなくてもリズム感がなくても音感がなくても……そんなことどうでもいいのです。
自分たち親の為に誕生した我子をすっぽりと受け止めてあげることが大切ですね。


公式HPはこちら いづみかほるのひとりごとサイトです。

作品あれこれブログはこちらです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

家族に振り回されてこそ

2009-06-26 22:45:26 | エッセイ風
家族に振り回されていくのが家族の印かもしれませんね
みんながバラバラだったら振り回されることもありません
ひたすら自分のことばかりで日々過ごせばいいんですから
でも、振り回されてこそ家族なんだなという気がするものです

公式HPはこちら いづみかほるのひとりごとサイトです。

作品あれこれブログはこちらです。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

家族パワー

2009-06-25 08:45:40 | エッセイ風
家族パワーって不思議
薬に勝る治療法は家族団欒なんです
笑って語って食事タイムを楽しく過ごす
それも大切な治療法なんです

公式HPはこちら いづみかほるのひとりごとサイトです。

作品あれこれブログはこちらです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

しあわせなこと

2009-06-23 21:44:23 | エッセイ風
妻が夫が息子が娘が、みんな元気でいることってほんとうにほんとうにしあわせなことです

こうしているあいだにも、お身内の悲しい命の終りに立ち会っている人もいるのですから

でも、人はいつかは命の終りが来る
それを静かに受け止め、そっと送り出してあげるのも家族の役目

公式HPはこちら いづみかほるのひとりごとサイトです。

作品あれこれブログはこちらです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

何事も過ぎてはいけませんね

2009-06-21 21:51:46 | エッセイ風
子育てに基本形はあっても正解はありませんよね
ただ一つ言えることは、何事も過ぎてはいけませんね

公式HPはこちら いづみかほるのひとりごとサイトです。

作品あれこれブログはこちらです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

子供の決断と子供の意思

2009-06-21 20:48:06 | エッセイ風
「うちの子ったら自分から塾に行きたいって言うのよ
「あらそう、すごいわね!自分から?自分の意思なんだからいいんじゃない?親が 無理やりじゃないんだもの
ってな会話を良く聞く。

でも、この日本国の環境の中でむしろ塾に行きたくないって子のほうが少ないかもしれません

みんなが行ってる
みんなが行ってる
私だけが行ってない 僕だけが行ってない
みんなが……みんなが……
みんながしていることを自分がしてないことの不安
それが
「塾に行きたい」
なのだとしたら
それは、果たして自分の意思といえるのかどうか
そこを考えてあげるのも親も役目

大人になって社会の中で似たようなことがあります
みんなが右を向いたら右、みんなが左を向いたら左、同じことやっているのが一番安心なのだという

しかしbutしかし、みんなと意見は違っても自分の意思、考え方を持つような人間になってもらえたらいいですね。


公式HPはこちら いづみかほるのひとりごとサイトです。

作品あれこれブログはこちらです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

我子の臓器移植 もらえる立場とあげられる立場

2009-06-21 11:24:41 | エッセイ風
臓器をもられる立場、あげられる立場
それぞれの側に苦悩がある

瀕死の子を持つ親に
「あなたのお子さんは、臓器さえもらえれば助かりますよ」
っと言われたら、親であればそれにすがるのは当然の思いです。
でも、現実的には国の体制が十分でなく臓器をもらえず我子を亡くす親の気持ちを考えると切ないものです

一方で、
脳は機能なしでも心臓が動き続けている子を持つ親に
「あなたのお子さんは臓器をあげられる立場ですよ」
っと言われたら、親であれば悲しさが倍増するのは当然の思いです。
温かい我子を死人扱いされ、臓器提供可能者にされやりきれない親の気持ちを考えると切ないものです

文明が発展し医学も発展し、新しい治療法で昔よりはるかに沢山の命が助かっているのは嬉しいことです
でも、それによってもうひとつの命と大きく関わるこのケースについては、議論をもっともっとしてほしいと思うのです。
他国のシステムに無視はできないけれど、日本国の「命」という考え方を原点から考えてほしいとそう思うのです

この世の中の考えかたが、医学的や科学的でしかなくなったらもうおしまいと思っているのです。
人の「命」ってそんなものではないと思っているのです

ところで、臓器提供によって他人の命を助けられるという考え方に基づき、苦しい中でのお身内の臓器提供の決断をされた方々へは心より頭が下がります
このことと上記のこととはテーマが違っているのですが、あえて記させて頂きます



公式HPはこちら いづみかほるのひとりごとサイトです。

作品あれこれブログはこちらです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする