大震災や原発事故のような激甚被害をもたらす災害のみが、非常事態なのではない。癌細胞のように静かに進行し、あるいは転移、あるいは空中に浮遊蔓延するような非常事態もある。
参院選、都知事選で明らかになった本質は、国政・都政にかかわらず、有権者がいま日本の政治や社会に迫っている問題の深刻さを、さほどとは思っていないと言うことだ。一般有権者・市民にとって大事なのは「先ず経済、景気」「税金を無駄に使うな」となる。
だから野党各党が「安保法制を廃案に」「壊憲反対」「TPP反対」「特定秘密保護法を廃案に」「原発反対」と聞いても、それが何のことか分からない。
与党もそれをいいことに、対案を出せ、対案もなく反対ばかりと批判すると、有権者の多くがそうだそうだ、反対ばかりするのではなく、対案を示して議論すればいい、となる。中国や北朝鮮やテロの脅威を思えば、安保法制やスパイ防止法や、いざという時の実情にそぐわない憲法改正も止むを得ないし、多少息苦しい世の中になるかも知れないが止むを得ない。それより何とかして欲しいのは「景気と経済」。
その図が続く限り、リベラルに未来はない、リベラルには魅力がない、リベラルにはリアリティがない。したがって、誰も現自公政権・安倍官邸の暴走を止めることができない。
いや、なぜ止めなければならないのか、理解できない。世界情勢の緊迫化、不安定化を見ても、政権の選択肢は現政権にしかない。
新しい選択肢が必要なのだろう。それは、いま日本の政治や社会に迫っている問題の深刻さを、諄々と説く以外ないと思うが…。
先日紹介した松谷みよ子さんの言葉をもう一度繰り返す。
「いま、なにかが水面下で不気味にふくれあがりつつある。…
一つ、一つの事件、それはごく小さく、とるに足りぬもののように見える。しかし、その小さな出来事が積み重なることによって、私たちの感性はいつしか馴らされ、気がついてみれば戦争への道をふたたび歩いている。そういうことがないとどうしていえようか。「ねえ、あのとき、どうして戦争に反対しなかったの?」子どもたちにそう問われることのないように、私たちは、常にするどく、感性を磨かねばと思う。卵を抱いた母鳥のように。」
例えば特定秘密保護法、例えば安保法制、誰ももう問題視すらしていないかに見える。例えば当然のように語られ始めた改憲論。
選挙では自民党議員たちのいささか逸脱した暴言は問題にもならず忘れられていく。稲田防衛相のこれまでの極右的発言も、日本会議メンバーであることも。そして小池都知事が日本会議メンバーであり、日本会議国会議員懇談会副会長であることも、その発言が極右的であったことも、選挙では誰もが問題視すらしなかった。彼女はさっそく極右思想の野田数を知事の特別秘書官にした。野田は憲法を停止し、明治憲法に戻すという運動をしていた男である。憲法停止とは、ほとんどクーデターではないか。彼を選んだ小池新知事も、ほとんど同類と思うべきである。
民進党も改憲案を出すと言う。本当に改憲が必要なのか。
そもそも、70年間にわたって日本が平和でいられた現憲法を、変える必要があるのか? 蓮舫も「対案を出せ」という相手の挑発に乗ってどうするのだ? もとより改憲論者だったのか? 対案は「現行憲法を守る」で、何か問題があるのか? やはり民進党は再分党したほうがいい。
大分県で警察が政党関連の敷地に侵入し監視カメラを取り付けていた。監視社会、パノブティコンはここまで進行していた。自民党は全国の教育現場に密告を推奨した。「子どもたちを戦場に送るな」→偏向しているので密告してください。「原発はよくない」→偏向しているので密告してください。もう社会の癌細胞はここまで進行しているのだ。
安倍昭恵さんが名誉理事長の幼稚園では、園児たちに「五箇条の御誓文」「教育勅語」を斉唱させ、「軍艦マーチ」を合唱させる。昭恵夫人は大感動! もうここまで進行しているのだ。
シールズに対抗し、そして18歳からの選挙権を意識して、安倍総理の親戚が組織した高校生たちの一団は、近い将来ヒトラー・ユーゲントのようになる可能性もあるだろう。ご存知のようにヒトラー・ユーゲントは政権反対者狩り、ユダヤ人狩りを果たした。中国の紅衛兵にも似た存在である。
自民党は右派の日本会議、神道政治連盟などに乗っ取られたようである(※)。右派というより時代錯誤の極右だろう。
(※ 2022年7月8日 安倍晋三元総理が銃撃され死亡するという事件から、もう一つの闇が明るみに曝されることになった。安倍や細田衆院議長をはじめ、政界特に自民党の過半が旧統一教会に乗っ取られていたのである。地方議会議員はもっと乗っ取られているらしい。
「ツッコミック 「ヤマガミ、アベ的なるものを撃て!」も併せてお読みいただきたい。)
安倍官邸・自民党の応援団、支援団体というよりその走狗は「放送法遵守を求める視聴者の会」なるものを組織し、特定のテレビメディア、特定のジャーナリストたちを狙い撃ちし、結局その全員を番組から降板させることに成功した。
恐れをなし萎縮したテレビ局は、代わりに安倍官邸から飼い馴らされた狗のようなジャーナリストを起用することにし、権力の広報機関に徹することにしたらしい。ジャーナリズムの萎縮、言論の自主規制がはじまったのである。権力への批判精神をなくした報道機関は、もはや存在価値はない。この視聴者の会なる言論圧力団体は、権力に、これからの言論統制の成功の方法論を提供した。
また池上彰氏によれば、第二次安倍政権以降、自民党は全テレビ局の番組を録画し、毎日のようにクレームをつけてくるそうである。このような政権は過去になかったという。テレビ局はうんざりし、もう自民党からクレームを受けないような、当たり障りのない番組しか作らなくなった。さらに安倍に餌付けされた寿司友—ズの番組起用である。報道番組は「報道しなくなった」と言っていい。もう事態はここまで進行しているのだ。
大学も科学の研究機関も、成長戦略として組み込まれた「産学協同」、さらに軍事産業との「軍学共同」で金を稼げと言われ、経済成長に役立つか否か、成長戦略に組み込めるか否かの視点しかなく、成長戦略にも組み込めぬ文系は不要となる。
障害者施設虐殺事件も、政治家たちが社会に蔓延させた空気のような意識が、犯人の狂気の思想を培ったのである。自民党の改憲草案も「個人」を消し、「公」に役立て、公に役立つか否か、「効率」的か否かという視点のみで、社会ダーウィニズム思想や優生思想の弱者切り捨ての意識が、日本の社会に底通する差別と排除の観念となって露出したものであろう。自民党の議員たちは、腹の中で犯人に拍手喝采しているのではないか。
こうして、すでに戦前の翼賛体制が、空中を飛び交う黴の菌の胞子のように、日本の空気として蔓延し始めているように思える。
そしてそれらの政治的空気が、選挙で問われることもない。誰も日本の事態をそこまで深刻には受け止めていないということなのだ。
この日本の空中に霧のように浮遊する黴の胞子は、暗い時代錯誤の埃の中から舞い立ち、戦前回帰、さらに明治維新時の復古を目指しているのである。