子どもの頃「杞憂」を抱いていた。環境の話しである。この環境は自然環境、教育環境、家庭環境を含めた意味である。
幼少期を横浜で暮らした。いつも吉田橋から河を覗き込み、その汚れを気にかけていた。たまに行く山下公園の岸壁から海を見て、醤油色の汚い海に幻滅を感じていた。
その頃お正月のお年玉として本をもらっていた。絵本や童話「桃太郎」「花咲爺さん」などである。その後私は、小学生になり少年期を銚子で暮らした。お正月のお年玉は相変わらず本であった。お年玉とは本のことだと思い込んでいた。普通、お年玉は現金をもらえるのだとは後に知った。小学二、三年生になると「少年読売年鑑」とか「朝日こども年鑑」をもらった。現在の広辞苑くらいの厚さの、ずっしりと重い箱入り本である。少年年鑑の内容は、今で言えば百科図鑑、イラスト百科事典である。これは実に素晴らしいものであった。
これを日々飽かず眺めていると、火山やマグマや海洋等、地球の科学や宇宙の知識が得られた。世界の成り立ちや世界中のことが知れた。赤道のことや、南極北極のことや、国々の名前や旗や、ピラミッドにスフインクスや凱旋門、エッフェル塔にエンパイヤステートビルのような有名な建物や、自動車や飛行機、コーヒーや砂糖黍やコプラやマニラ麻やバナナ等の各国の特産物も知れた。世界中の動物のことも知った。ここに書かれていることを全部覚えてしまうと、低学年でも学校一の物知り少年になれたのである。
「少年読売年鑑」や「朝日こども年鑑」は、「〇〇ができるまで」というイラストが何ページにも渡って掲載されていた。
例えば平べったい大きな船の絵があり、油槽船(タンカー)と書かれていた。これが中東から日本まで原油を運び、日本の原油タンクに貯蔵され、さらに精油所に入る。そこにはコンビナートと書かれていた。そこからいろいろな工場でナイロンになり、ビニールになりプラスチックになる。それがゴム靴になり、傘になり、ズボンやスカートのような洋服になる。まるで魔法のようである。これらのタンク、精油所、工場は海岸沿いにびっしりと整然と建ち並んで描かれていた。
工場はノコギリ屋根で、巨大な煙突が立ち並び、そこから灰色の煙が盛んに吐き出されていた。勢いよく吐き出される煙は、日本の復興の象徴だったのであろう。そこには得意気な解説が付いていた。そしてノコギリ屋根の各工場の排水管からは、醤油色の排水が河や海に注がれる様子が描かれていた。
私は横浜で見た河や海を思い出し心配になった。このままでは日本中の、いや世界中の海も川も空も汚れきってしまう。私はその懸念を母に話した。彼女は笑い、教えてくれた。
「大丈夫!海はすごく大きいの、空はとても広いの。自然にはジジョウサヨウというのがあって、自然にきれいに戻るのよ」
「ジジョーサヨー?」…後に「自浄作用」と書くことを知った。
それでも私の心配は晴れなかった。「毎日毎日、日本中世界中でこんなことを続けていたら、やっぱり汚れていくんじゃない?」と言う私の心配に対し、母は「そういうのをキユウって言うの。昔中国の人が、お空が落ちてくるんじゃないかって心配ばかりしていて、みんなから嗤われたのよ」と教えてくれた。…キユウとは「杞憂」と書くのだと後に知った。
母は「自浄作用」のことを教えてくれたが、私の「杞憂」は全く消えなかった。
やがて、毎夏家の裏に飛んでいた蛍が見られなくなった。向こうの高い松林に営巣していた白いサギの姿も消えた。カステラ山の砂の上に残される兎の足跡も見られなくなった。夜な夜な聞こえた雉や狐の声も聞かなくなった。
後年「公害」という言葉を頻繁に聞くようになった。少年時代の私は公害という言葉は知らなかったが、公害を予知していた。70年代の中頃にレイチェル・カーソンの「沈黙の春」を読むずっと以前から、私はそうなることを予知していた。
大人たちは子どもの「杞憂」や直感を馬鹿にしてはいけない。子どもは鋭いのである。そして、私の杞憂は当たっているのである。
この一文は2007年の1月27日に書かれたものである。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます