MS「多発性硬化症」と共に生きる

難病の「多発性硬化症」患者です。家での映画鑑賞とガーデニングが趣味でです。薔薇が好きになり信仰に支えらながらの毎日です。

とてもショックなこと

2024-10-06 17:40:00 | この頃
(現在のこと)
一つのことを書こうと思っていたら、それよりも重大なことが起こった。

この間の月曜日に朝起きて立とうとしたら、全然立てない。ハイハイしてトイレに行った。
転がって戻って来て、今日は診察だと思い、服を見つけて何とか着る。上着を着て一休み、ズボンを着て一休みで、そのまま暫く寝ていた。

訪問看護師さんが来るまでは、と思い、シャッターを何とか開けた。
看護師さんが来てことの次第を話し、これからどうしようということを話した。玄関からのタクシーまで肩を貸してもらわないと動けない。

取り敢えずヘルパーさんの事務所に連絡してヘルパーさんを探して貰った。暫くして電話があり、来れるとという。助かった。

病院に着き、車椅子で診察室まで運んでもらい、診察室に入った。
先生は立ってみて、とも言わず相変わらず診察をしない。以前、先生診察はしないんですか?と尋ねたが、カルテに書いてあるからそれを参考にしてして、診察はしない、と言った。今までの先生は皆んな力比べをして診察をしました、と言ってもダメだった。

そして私がこの間質問したことに答えた。先生、ご飯も食べられないんです、と言ったら介護保険に相談することも勧められた。

とにかく家族と力を合わせて、と言われて…虚しく感じた。甥達は日勤、夜勤で働いている。姉も義兄の癌の世話で大変だ。ご飯の時だけ、介助に来れる筈がない。

また一からのやり直しになるが、決断した。パルスをしてください、と自分から言った。少し良くなって、その間に自分で役所に行こう。誰にも迷惑はかけたくない。

パルスをして、ご飯の配膳までは出来るようになったが、それ以来立ち上がるのが怖い。夜寝る時、またなったらどうしようと不安になる。朝起きるのが怖いから寝てばかりいる。

まだ1週間しか経っていないからしょうがないか?やはり2次進行型に入って歩行がよくない上に、再発するとこういうことになるのか?
初めての体験で、胸が締め付けられるような感じがずっと続いている。
















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診察室にて

2024-09-20 12:45:00 | 現在
退院後、ゴロゴロしていたせいか、足の動きが悪くなって、歩幅が狭く買い物に行けなくなった。

ヘルパーさんにお願いして買い物に行ってもらった。
早い。やっぱり歩けるとスピードが全然違う。
その代わりお料理をする時間が無くなった。

仕方なく野菜を茹でることや、買ったキャベツの千切りをドレッシングで食べるしかない。

一昨日、神経内科の定期受診だった。主治医が患者に寄り添ってくれない、と不満に思っていた。
でも、寄り添ってくれるように祈っていた。

私の前に女性の患者さんがいて、あゝ、もう嫌だ、泣きたいくらい…と言っていたので、主治医の先生はどうですか?と聞いてみた。意外にも、いい先生ですよー、お話をよく聞いてくれるし…と言った。

病気は何ですかと聞くとてんかんやら何やら、と言った。それなら話を聞いてもらうしかないのだろう、そしてそれで満足なんだろうと思って、私の病気のことを話した。

すると聞くだけでその患者さんは大変な病気だと共感してくださった。私は病状を訴えても寄り添ってくれないんです、と愚痴を言った。その患者さんは何でも先生に話しなさいよ、と励ましてくださった。

私が診察に呼ばれた。歩幅が狭くなって歩きが悪くなったことを訴えた。先生、私、2次進行型に入ったんでしょ、と言って、
二次性進行型MS治療薬メーゼント|神経免疫疾患センター|北海道医療センター

二次性進行型MS治療薬メーゼント|神経免疫疾患センター|北海道医療センター

多発性硬化症の治療薬選択の参考としてお役立てください

 
を説明したビデオを見せた。先生はそのビデオを思いがけなく見てくださった。先生は多分知らなかったのだと思う。神経内科にかかっている患者で多発性硬化症の患者が何人いるだろうか?

私はメーゼントを使いたい、と言った。それと電動車椅子を申請したいと思っていることを言うことが出来た。後で身震いする思いだった。あの患者さんが背中を押してくれなかったら言えなかった。神の助けと思わずにはいられなかった。

先生は1人では決められないから、部長と相談して、その結果を早急に知らせると言ってくださった。

希望の光が見えたような気がした。


私の朝昼食



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梨状筋症候群?

2024-09-04 17:44:00 | 現在
数ヵ月前から、右臀部の筋肉が固くなって痛く、その痛みが足の神経に作用して痛くて歩けなくなった。
臀部の固まりをを拳でほぐすと痛みが消え、歩けるようになる。
多分MSからきているとばかり思っていた。訳の分からないことは全部MSで片付ける癖がついていた。

ふと思いつき、何か出てくるかとググったら梨状筋症候群という病名が出てきた。梨状筋なんて聞いたこともない。でも、症状はそっくりだし、素人でも診断出来ると書いてあった。

整形外科に入院しているから、ついでに診てもらえないかと先生に相談したら、MRIが空いてないからダメだと言う。看護師長さんに相談すると、入院している間は他の先生や他科には罹れないと言われた。そう言ってくれたら納得するのに、言葉足らずの先生だ。

今は毎日カロナールをもらって飲んでいるからいくらかいい。それまではシャワーを浴びている時も痛みが勝って集中できない、本を読んでも集中出来ない…これが治るのならQOLがかなり改善される。

外反拇趾とこの病気とMSの三重苦だと思った。今一番きついのはこの病気。改善の余地があるのもこの病気だ。

退院してからでも、出来るだけ早く診断と治療が欲しい。先生にそう伝えたけど、私の思いは伝わっただろうか?先生の一番の関心は手術した外反拇趾のところだから…。







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入院4日目

2024-08-30 14:57:00 | この頃
外反拇趾の手術のあとの抜釘のた
め、入院してから4日が経った。
手術は順調に終わり、この間のように高熱が出ることもなかった。

手術当日、予定では全身麻酔と硬膜外麻酔をすることになっていた。
硬膜外麻酔をするために身体を海老のように曲げた時、ある思いが蘇った。先生に必死で言った。私の話しを聞いてくださいと訴えた。先生の手が止まった。

以前硬膜外麻酔をして手術したあと、暫くの間足の感覚がなくなってとても怖い思いをしたのを思い出したのだ。そのことを話すと、硬膜外麻酔は中止となった。

前回の手術の外反拇趾の手術の時も全身麻酔だけだったから大丈夫だと思った。まさに危機一髪の判断だった。

手術は無事終わり、病室に戻ってきた。快適とも言えないが、毎日が過ぎてゆく。

今日で最後の抗生剤の点滴が終わる。
あとはリハビリ生活が始まるのだろうか…。

















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地球温暖化

2024-08-21 11:29:00 | この頃
連日の暑さで、庭の葉物は枯れてしまったものが多い。
野菜やお米も不作が続いている。
これだと葉物はもう植えられなくて、木ものしか生きていけない状態だ。

今、庭の大がかりな工事をしているが、散水器の話が出て設置することにした。朝と夕方にスプリンクラーのように水が出るらしい。いくらかかるかは聞いてないが、これからどんどん暑くなるのだから、庭を守るにはこれしかない。

ちょうどバラ屋敷にしようと半分冗談で思っていたが、薔薇は木ものなので丁度よかった。

この炎天地獄ほはいつまで続くのだろうか。そして来年も再来年も続くのだろうか?

地球温暖化のことは随分前から会議が持たれていたのに(COP)、何も実行されなかった。人類は愚かだ。

私達に出来ることは何だろうか。教えて欲しい。








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