高桐院は、細川家に縁があるというのは、昨日書いたとおりです
ここで、悲劇の美女 細川ガラシャについて お話します
永禄6年(1563年)、明智光秀と妻・煕子の間に三女(明智 珠)として誕生し、
15歳の時に父の主君・織田信長のすすめで細川忠興に嫁ぎました
珠は美女だし、忠興とは仲良し夫婦で、子宝にも恵まれたのですが…
天正10年(1582年)、父の光秀が織田信長を本能寺で討って(本能寺の変)自らも滅んだため、
珠は「逆臣の娘」となってしまいます
忠興は珠を愛していたので離縁する気になれず、
彼女を丹後国の味土野(現在の京都府京丹後市弥栄町)に隔離・幽閉します
天正12年(1584年)、信長の死後に覇権を握った羽柴秀吉の取り成しもあり、
忠興は珠を細川家の大坂屋敷に戻し、厳しく監視しました
それまでは出家した舅・藤孝とともに禅宗を信仰していた珠でしたが、
忠興が高山右近から聞いたカトリックの話をすると、その教えに心を魅かれるようになりました
天正15年(1587年)、夫の忠興が九州出陣の際、
侍女数人に囲まれて身を隠しつつ教会に行きました
侍女たちを通じた教会とのやりとりや、教会から送られた書物を読んで、
珠は信仰に励みました
しかし、秀吉がバテレン追放令を出したので、珠は自邸で密かに洗礼を受け、
ガラシャ(Gratia、ラテン語で恩寵・神の恵みの意)という洗礼名を受けます
関ヶ原の戦いが勃発する直前の慶長5年(1600年)7月16日、
夫が徳川方につき上杉討伐のため不在となった隙に、西軍の石田三成はガラシャを人質に取ろうとしますが
ガラシャはそれを拒絶します
その翌日、三成が兵に屋敷を囲ませると、ガラシャは家老の小笠原秀清(少斎)に
槍で自分の胸を貫かせて、38年の生涯を閉じました
(キリスト教では自殺は大罪であり、天国へは行けないという教えが一般的なためです)
こちらが その墓所です

この石灯籠が欠けているのには、訳があります

もともとは利休が所有していましたが、秀吉が欲しがったため、
あえてキズものにしたとか…
こちらは、細川家代々の墓

元首相も お墓参りにみえるらしいです
通称「楓の庭」と呼ばれる、美しい庭です

一面の苔地の中にあるのは、忠興とガラシャ夫人の墓標の写しの春日灯籠です

「あ~ 美人に生まれると大変ね~」
「戦国時代に生まれなくて、つくづく良かったわ~」

なんて考えがら、お庭を眺めていたのですが
どこからともなく 猫の鳴き声が聞こえてきます
夫と必死で探したのですが

どうも この中から聞こえてくるんですよね
立ち入り禁止区域でしたが、ええい 猫の為だ
開けちゃえ~
戸を開けると、警報音とともに中から出てきたのは、
珊瑚そっくりの キジトラにゃんこでした

すぐに受付の方が飛んできましたが、キジトラにゃんは余裕です
まるで「勝手知ったる我が家」のように、楽しそうに駆け回ります

「住み着いてしまって、困ってるんです
しかも、どこから あそこに入ったんでしょう…」
と、受付の方はおっしゃってましたが、
実害が無ければ、面白いと思うんですけどね

怒られても、追い立てられても
部屋に戻ってくるキジトラにゃんでした
ちなみに、運が良ければ、この子は観光客のお膝にも乗るとの噂です
高桐院を出たら、あれ?またキジトラにゃんがいます

しかも、今度はカップルでした

イカ耳なのが♂、奥のあくびちゃんが♀でした

しかも このあくびちゃん、寄り目なんです

でも、美人ちゃんでした

こちらに住み着いているのは、キジトラファミりーのようです
細川ガラシャも、こんな風に猫を眺めて過ごせたら
幸せだったでしょうにね…
明日は、「お昼ごはん」編です
また 食べちゃった
お知らせです
「のび工房」さんが、東京 神楽坂で、原画展を開催されます

期間は7月26日(木)から7月31日(月)
11時~18時半(最終日は17時まで)
入場無料です
28日・29日は、作家増本智子さんと典子さんのサイン会も行われます
ご興味のある方は、是非 足を運んでみてくださいね
来場者プレゼントのお知らせ
期間中フライヤーをお持ちの方に
先着でオリジナルステッカー(非売品)をプレゼントします
このフライヤーを、たくさんいただいてきちゃいました
ご希望の方は、お譲りしますので コメント欄にお書きくださいませ
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ここで、悲劇の美女 細川ガラシャについて お話します

永禄6年(1563年)、明智光秀と妻・煕子の間に三女(明智 珠)として誕生し、
15歳の時に父の主君・織田信長のすすめで細川忠興に嫁ぎました
珠は美女だし、忠興とは仲良し夫婦で、子宝にも恵まれたのですが…
天正10年(1582年)、父の光秀が織田信長を本能寺で討って(本能寺の変)自らも滅んだため、
珠は「逆臣の娘」となってしまいます
忠興は珠を愛していたので離縁する気になれず、
彼女を丹後国の味土野(現在の京都府京丹後市弥栄町)に隔離・幽閉します
天正12年(1584年)、信長の死後に覇権を握った羽柴秀吉の取り成しもあり、
忠興は珠を細川家の大坂屋敷に戻し、厳しく監視しました
それまでは出家した舅・藤孝とともに禅宗を信仰していた珠でしたが、
忠興が高山右近から聞いたカトリックの話をすると、その教えに心を魅かれるようになりました
天正15年(1587年)、夫の忠興が九州出陣の際、
侍女数人に囲まれて身を隠しつつ教会に行きました
侍女たちを通じた教会とのやりとりや、教会から送られた書物を読んで、
珠は信仰に励みました
しかし、秀吉がバテレン追放令を出したので、珠は自邸で密かに洗礼を受け、
ガラシャ(Gratia、ラテン語で恩寵・神の恵みの意)という洗礼名を受けます
関ヶ原の戦いが勃発する直前の慶長5年(1600年)7月16日、
夫が徳川方につき上杉討伐のため不在となった隙に、西軍の石田三成はガラシャを人質に取ろうとしますが
ガラシャはそれを拒絶します
その翌日、三成が兵に屋敷を囲ませると、ガラシャは家老の小笠原秀清(少斎)に
槍で自分の胸を貫かせて、38年の生涯を閉じました
(キリスト教では自殺は大罪であり、天国へは行けないという教えが一般的なためです)
こちらが その墓所です

この石灯籠が欠けているのには、訳があります

もともとは利休が所有していましたが、秀吉が欲しがったため、
あえてキズものにしたとか…
こちらは、細川家代々の墓

元首相も お墓参りにみえるらしいです
通称「楓の庭」と呼ばれる、美しい庭です

一面の苔地の中にあるのは、忠興とガラシャ夫人の墓標の写しの春日灯籠です

「あ~ 美人に生まれると大変ね~」
「戦国時代に生まれなくて、つくづく良かったわ~」

なんて考えがら、お庭を眺めていたのですが
どこからともなく 猫の鳴き声が聞こえてきます

夫と必死で探したのですが

どうも この中から聞こえてくるんですよね
立ち入り禁止区域でしたが、ええい 猫の為だ

開けちゃえ~

戸を開けると、警報音とともに中から出てきたのは、
珊瑚そっくりの キジトラにゃんこでした


すぐに受付の方が飛んできましたが、キジトラにゃんは余裕です
まるで「勝手知ったる我が家」のように、楽しそうに駆け回ります

「住み着いてしまって、困ってるんです
しかも、どこから あそこに入ったんでしょう…」
と、受付の方はおっしゃってましたが、
実害が無ければ、面白いと思うんですけどね


怒られても、追い立てられても
部屋に戻ってくるキジトラにゃんでした

ちなみに、運が良ければ、この子は観光客のお膝にも乗るとの噂です

高桐院を出たら、あれ?またキジトラにゃんがいます

しかも、今度はカップルでした


イカ耳なのが♂、奥のあくびちゃんが♀でした

しかも このあくびちゃん、寄り目なんです

でも、美人ちゃんでした


こちらに住み着いているのは、キジトラファミりーのようです
細川ガラシャも、こんな風に猫を眺めて過ごせたら
幸せだったでしょうにね…
明日は、「お昼ごはん」編です
また 食べちゃった

お知らせです

「のび工房」さんが、東京 神楽坂で、原画展を開催されます


期間は7月26日(木)から7月31日(月)
11時~18時半(最終日は17時まで)
入場無料です
28日・29日は、作家増本智子さんと典子さんのサイン会も行われます
ご興味のある方は、是非 足を運んでみてくださいね



期間中フライヤーをお持ちの方に
先着でオリジナルステッカー(非売品)をプレゼントします
このフライヤーを、たくさんいただいてきちゃいました

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