カメラ大好きおばあちゃん

極々近場を一人気ままにウロウロし、目に留まった光景を投稿しています。

ビリケンさんを知っていますか?

2014年09月16日 | その他
愛嬌のある顔と足を投げ出して座った、ふてぶてぶてしい姿をご存知の方も多いと思います。「あ、知ってる!大阪の妖怪だっけ?」なんていう方も結構多いかもしれませんが、実はビリケンさん、れっきとした神様なんです。
大阪の通天閣に置かれた木像が有名ですが、ビリケンさんは庶民の味方として、古くから世界中で愛されてきたのです。あなたの知らないビリケンさんのこと、少しだけ紹介します。きっとあなたもビリケンさんに逢いたくなるはずです。
その発祥には諸説ありますが、1908年、アメリカの女性芸術家 フローレンス・ブリッツが「夢の中で見た神様」をモデルとして制作した作品が起源と言われています。
その後、シカゴの企業・ビリケンカンパニーが、ビリケン像などを制作、販売し、「幸福の神様」として全世界に知れ渡りました。
1911年(明治44年)、大阪の繊維会社、神田屋田村商店(現・田村駒)が商標登録を行い、1912年、大阪・通天閣に併設された遊園地、「ルナパーク」にビリケン堂が作られます。以来、火災や戦禍を乗り越え、現在では三代目となるビリケン像が、通天閣から人々の生活を見守っています。
大きく突き出したビリケンさんの足の裏は、撫でるとご利益があると言われ、大阪のシンボル的な神様として、多くの人々が足の裏を撫でに通天閣を訪れています。
また商店や民家にビリケン像が祀られていることも多く、手を伸ばせば届く距離にいつも居てくれる、身近な福の神として市民の生活に根付いています。
初代ビリケンさんが大阪に登場したのは明治45年(1912)。新世界に通天閣とともに開業した遊園地「ルナパーク」にあったホワイトタワー内に設けられた「ビリケン堂」で展示されていたという。
昭和54年に二代目ビリケンさんが登場。通天閣の展望台に鎮座し、御利益があるとして“足の裏”をなでる人が後を絶たず“足の裏”のすり減りなどが進んだため、平成24年5月、通天閣並びに新世界100周年を記念して新たに三代目ビリケンさんが新調された。三代目ビリケンさんの中には金のビリケンさんでビリ金さんも納められている。
(幸運の神様ビリケンさん公式サイトより)






大阪あそ歩 (てんのじ村から新世界へ)

2014年09月15日 | 写真
大正から昭和にかけて娯楽の聖地として賑わった新世界、付近の「てんのじ村」には日本全国各地から芸人たちが集住して、昭和20~30年代の最盛期には300人以上もの芸人が暮らしていました。あなたが好きだった、思わずマネをした、なつかしの大阪芸人達の思い出に浸る、こんなまち歩きはいかが?(あそ歩資料より)

2012年7月にそんなまちを歩きました。

新世界稲荷神社 新世界誕生と同時期に、商売繁盛や新世界の繁栄を願って造られました。


釣鐘屋本舗 明治33年(1900)、地元有志から四天王寺に大梵鐘が奉納され、その奉納記念に釣鐘の形を模した饅頭を、四天王寺の門前で売り出したのが「釣鐘饅頭」のはじまりです。


ギャラリー再開(非公開) 昭和28年(1953)に建築家・石井修氏の設計で純喫茶「再開」として建てられたものです。「再開」の美しさに惹かれて、往年の銀幕のスターたちもよく遊びに来ていたそうです。2006年12月には国の登録有形文化財と、なりましたが現在は喫茶店としての営業はしていません。


朝日劇場 明治43年(1910)創業の100年近い伝統と歴史を誇る大衆演劇専門劇場で、過去には曾我廼家鶴蝶、宮城まり子、ミヤコ蝶々、藤山寛美、ディック・ミネ、といった錚々たる大物役者を育てたことで非常に有名です。現在でも、歌あり、芝居あり、トークありの約3時間ものエンターテイメントショーが、連日繰り広げられています。




ジャンジャン横丁 正式名称は「南陽通商店街」。通天閣から遊郭に向かう客に向かって、鳴り物の三味線で「ジャンジャン」と呼び込みをやったのが、名前の由来といわれています。新世界の名物串かつ屋をはじめ、レトロな将棋場がならんでいます。




上方演芸発祥之地「てんのじ村記念碑」 この付近が直木賞作家・難波利三氏の小説で有名になった「てんのじ村」の舞台です。道頓堀・千日前・新世界などの演芸街に近かったため、最盛期には300人以上もの芸人が集住していた。戦災にあわなかったため、戦後も古い長屋が残っていましたが、阪神高速松原線の建設や再開発によって取り壊され、当時の面影は殆ど残っていません。記念碑は上方を代表する漫才作家秋田實の筆で、台座部分には「大入り」と描かれています。


通天閣 明治36年(1903)開催の第5回内国勧業博覧会会場の跡地に、明治45年(1912)にパリのエッフェル塔と凱旋門を模した、初代通天閣が建設されました。東洋一の高さを誇りましたが、昭和18年(1943)直下の映画館の火災により強度不足となり、軍需用鉄材として解体されました。現在の2代目通天閣は昭和31年(1956)に完成したもので、高さ103m。設計者は名古屋テレビ塔、東京タワーを手がけた内藤多仲です。










進化止めたガラケー人気 (シンプル・低価格)

2014年09月14日 | その他
「ガラパゴス携帯(ガラケー)」と呼ばれる従来型の携帯電話が根強い人気だ。高精細カメラなどの高級志向はスマートフォンに譲り、シンプルなつくりと低価格路線にかじをきった。これまで機能の進化をきそってきたガラケーが、“退化”に生き残りをかけている。
NTTドコモが最新カタログで「ドコモ ケータイ」として紹介する従来型携帯は4機種ある。カメラの画素数が1000万を超えるのは1機種しかなく、機能を絞った。一活払い中心の価格は3万円前後と、従来よりも、割安だ。広報担当者は「ハイスペックな端末より購入価格を抑えたいという要望が強い」と話す。
2012年春発売のモデルを今でも扱うのは、ソフトバンクモバイル。機能の進化が止まった古い機種でも通話やメールの使用が中心なら、用途を十分満たすためだ。KDDI(au)がサイトで案内するのは3機種。京セラ製しか取り扱いがないが、「多くの方のニーズをカバーできている」(広報部)という。
14年の総務省の情報通信白書によると、従来型携帯の保有率は28,7%で、米英や韓国など世界6カ国の中で最高だった。高齢者を中心に依然として利用者が多い。
製造する国内の端末メーカーにとっては、スマホのように安売り競争に巻き込まれにくいという利点もある。東京都内の販売店の担当者は、従来型携帯について「数は出ないけど、求める層がピンポイントでいるからあまり値引きしない」と話した。
(毎日新聞 2014.8.24より)
私もガラケーだ!!95%以上メールに使っているので、他社どこにでもメール(写メールも)は無料の、料金設定を利用している。

大阪クラシック (大阪)

2014年09月12日 | 写真
大阪フィルハーモニー交響楽団の桂冠指揮者・大植英次が、プロジューサーとなり2006年から毎年開催しているクラシック音楽の祭典「大阪クラシック」。
大阪のメインストリート御堂筋沿い及び水の都大阪を象徴する中之島界隈に立地するオフィスビルの一角やカフェ、ホテルのロビーを主な会場として用い一部公演を除いて、大半が無料で観覧できます。
クラシック音楽を普段あまり聴かない方でも気軽に楽しめる内容で、例年5万人規模の入場者数を動員する大阪初秋の風物詩として定着しました。今年も中央公会堂大集会室でのオープニング公演を皮切りに、81公演を実施いたします。
出演は大阪フィルハーモニー交響楽団、関西フィルハーモニー管弦楽団、大阪交響楽団、日本センチュリー交響楽団、大阪市音楽団
会場は大阪市中央公会堂、大阪市役所玄関ホール、中之島ダイビル、大阪ガスビル、ANAクラウンプラザホテル大阪、本願寺津村別院北御堂等全28ヶ所
(大阪クラシックパンフレットより)



5日目の9月11日午後1時半からの、本町ガーデンシティの会場へ行きました。クラリネットとハーブの演奏でしたが、写真撮影は禁止でしたので演奏終了後に写しました。指揮者の大植氏が居合わせ、お話を聞くことも出来ました。ハーブという楽器を初めて間近に見ました。














続いて京阪電車なにわ橋駅アートエリアB1へ、本町から淀屋橋まで歩き中之島公園に入りましたが、少々時間がかかりました。ここではヴァイオリン、ヴィオラ、チェロの演奏を聴きましたが、演奏が済むと直ぐに退場されたので…












満月 (大阪城公園)

2014年09月10日 | 写真
9月8日は十五夜仲秋の名月ですが、9月9日の方が本当の満月が見られると知り、大阪城公園まで出かけて行きました。途中あまりきれいな色ではなかったが、夕焼けも撮ることが出来ました。辺りは薄暗くなり人も疎らで、一人だったので少々心細くなって来たが、肝心のお月様が見当たらない。お城の天守閣辺りばかり探していたが、雲に隠れているのか出てない。諦めて帰りかけた時、お月さんあっちに出てるよと、声をかけてくれた人がいたが全く方角違いで博物館の裏側だった。慌ててその方へ行くと、大きなきれいなお月様が輝いていた。何とか1枚写したが、直ぐ雲がかかり隠れてしまった。





ここにお月様が欲しかった…


大きなパネルがありました




本命のお月様








帰宅後我が家の物干しからのお月様です。わざわざ出かけて行くことなかったかな?