私の目の前にいる彼女。話しかけても反射的に、それも衛生中継のような時間差でうなずくだけ。話しかけられている言葉の恐らく98%は理解できていない。視線もほとんど合わせられない。彼女の脳みそは入ってくる刺激のほとんどを受け取る事が出来ない。もうすでに、ご飯を食べる事も忘れてしまった・・・。
私はこっそり溜息をつく。こうなることを避けるために色々やってきたはずなのに・・・。
多少の認知症はあったけれど、もともとリハビリなんて必要ないほど元気なバアサマだった。威勢が良すぎて他の人とよく衝突するのがたまに傷だったけれど、世話好きな元気なバアサマだったのだ。その元気よさが災いして、ある日転倒した。そして大腿骨頚部骨折、入院、手術というお決まりのパターンを踏襲することとなる。
担当になる前からヘルパー主任から相談を受けていた。「認知症、ひどくなるやろか。」「ほっといたらあっという間ですよ。」そんな会話を主任と繰り返す日々。退院してきてケアホーム(老人ホーム)に帰ってきてすぐにリハビリを開始できるよう手はずを整えた。
週一回三十分程度の訪問リハでは効果はあまり期待できない。ケアマネージャーに直談判してリハビリのサービスのあるデイサービスを入れてもらい、ホームにやってくる柔整師にもお願いしてリハビリをやってもらうようにした。認知症の進行との競争なのだがひどくなる前に歩けるようになってもらいたかった。その一念で早急に、出来る限りの手を打ったのだが・・・。
一度坂道を下り始めた脳みそは、どんなにブレーキをかけても転がる事を止めなかった。スピードは少しは緩まったのかもしれない。でも結果としては行き着く所まで留まることなく、ひたすら転がり落ちていってしまった。
重苦しく敗北感が頭の上にず~ん・・・と居座っている。出来た療法士とは全く思っていないが、それにしてもほとほと無力な私・・・。
あぁ、がっくし。
私はこっそり溜息をつく。こうなることを避けるために色々やってきたはずなのに・・・。
多少の認知症はあったけれど、もともとリハビリなんて必要ないほど元気なバアサマだった。威勢が良すぎて他の人とよく衝突するのがたまに傷だったけれど、世話好きな元気なバアサマだったのだ。その元気よさが災いして、ある日転倒した。そして大腿骨頚部骨折、入院、手術というお決まりのパターンを踏襲することとなる。
担当になる前からヘルパー主任から相談を受けていた。「認知症、ひどくなるやろか。」「ほっといたらあっという間ですよ。」そんな会話を主任と繰り返す日々。退院してきてケアホーム(老人ホーム)に帰ってきてすぐにリハビリを開始できるよう手はずを整えた。
週一回三十分程度の訪問リハでは効果はあまり期待できない。ケアマネージャーに直談判してリハビリのサービスのあるデイサービスを入れてもらい、ホームにやってくる柔整師にもお願いしてリハビリをやってもらうようにした。認知症の進行との競争なのだがひどくなる前に歩けるようになってもらいたかった。その一念で早急に、出来る限りの手を打ったのだが・・・。
一度坂道を下り始めた脳みそは、どんなにブレーキをかけても転がる事を止めなかった。スピードは少しは緩まったのかもしれない。でも結果としては行き着く所まで留まることなく、ひたすら転がり落ちていってしまった。
重苦しく敗北感が頭の上にず~ん・・・と居座っている。出来た療法士とは全く思っていないが、それにしてもほとほと無力な私・・・。
あぁ、がっくし。
実は、昨日、義母の四十九日法要を終えました。座敷には、まだ、形見分けの最中で、人生80年間分の衣類やら鞄やらが店を広げてる最中です。「もったいない」が口癖だったので、新品のまま、しまい込んであったものも多く、なんかしみじみしてしまいます。
発病と認知症とが同時進行したような感じで、昨年1年間、自宅で介護し、1月に亡くなりました。
孫娘(わたしの長女)がヘルパー2級を取ったばかりだったので、勤める前に、自宅でおばあちゃんに、実習させてもらったようなものでした。その娘も、グループホームに勤め始めました。
連れあいを亡くした義父が、ぼけないように、気をつけようと思っております。
また、寄らせて頂きますね。
いらっしゃいませ。御贔屓にして頂いていたのですね。
お義母様のこと、ご愁傷さまです。在宅介護は大変ですよね、本当にお疲れ様でした。こればかりは経験した者でないとわからない事が多いですよね・・・。OTなんて仕事をしていますが、同業者でも若い子は多分実感としてはわからないと思います。うちの実父も在宅介護進行形でして、かれこれ十年を越えました。(娘さんではないですが、私も父を実験台にして学生時代を乗り切りました(笑))
お疲れのでませんように。また遊びに来てくださいね。