丘を越えて~高遠響と申します~

ようおこし!まあ、あがんなはれ。仕事、趣味、子供、短編小説、なんでもありまっせ。好きなモン読んどくなはれ。

人生の作り方

2008年02月15日 | 四方山話
 時々「人間というのはなんとも面倒くさい生き物やなぁ……。」などと思う事がある。
 例えば、仕事で関わる人たち。皆、人生の大先輩で多くの苦難を乗り越えてきた人たちばかりだ。それぞれがそれぞれの哲学や価値観を持ち、生きてきた。でも、だからといって、人間が出来ているかというと、これが案外そうでもない。認知症のない元気なお年寄りは、認知症の人を見ながら「ああなったら人間オシマイやな。」なんて事を平気で言うし、認知症のある方は自分よりも更に酷い症状の人に対して、「あれはアホや。頭がおかしい。」などと笑いながら言う。
 私達の前では実に温厚で人格者のようでも、家に帰ると強烈な態度で家族と衝突している人もいる。
 一見仲良しのようでも、「自分は苦労をした。アノ人は苦労知らずのお嬢様や。」と言って幼馴染みの陰口を叩く人もいる。
 八十年、九十年生きてきたからといって、全てを飲み込んで洗い流せるというものでもないらしい……。

 母とさっき父の話をしていた。
「お父さんの人生は三十六歳の時点で、半分終ったようなものやなぁ。そこからの二十八年はきっとつまらんかったんやろうなぁ。『しょうもない人生やった』って思ってるやろうなぁ。」
 そんな会話をしていたのだが、ふと気付いたことがある。父は二十八年間、誰も傷つけなかった。確かに知能はドカーンと地の底まで落ち、言葉も忘れ、記憶力も失くし、禁治産者になってしまった。でもそのせいで、彼の口から人を傷つけたり、喧嘩を売ったりするような言葉は出ることはなかった。彼は、見事なくらいに誰も傷つけることはなかった。そして、私達家族には多くのものを与えてくれた。普通の家族では味わえないような経験をいっぱいさせてくれた。その経験が今、どれだけ私達の身になっているか……。当時は正直、不便な思いもたくさんしたけれど、それ以上に得たものは本当にたくさんあった。今になって思えば「楽しかった。」と素直に思える。
 父はそれこそ、達磨のように二十八年という時間を送ったけれども、ある意味、ものすごい役目を果たして生きていたのかもしれない。そして笑って死んでいったのだから、凄いと思う。
 
 死に様には生き様が反映されるといつも感じている。昔から「最後に笑って死ねる人生を送る。」というのが一つの目標なのだが、そのために何が必要なのか。父の生き様はそれを静かに語っているように思う。嫌なことは長くこだわらない。つまらない見栄をはらない。全てを受け止め、自分の糧にしていく。人を愛する。人を受け入れる……。いやはや、なかなか大変そうだ。自分に出来るかどうかは甚だ疑問だが、とりあえず、努力はしてみよう。


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2 コメント

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気付いたときには水はない (カミュ)
2008-02-16 23:16:35
よく殺人事件とかで近所の人にインタビューする場面をみると「まさか、あの気さくでいい人が殺人なんてね」なんていうのをよくみる。人はいろんな面があって、その場その場で演じている。それが人間なのかなって思う。それでいいとも思うし。人生。最近は本当に短いと感じます(まだ20代ですが)あと、桜を70回見れるか、見れないかなんて思ったり。それほど人生はリアルに短い。お父さんという一人の人間の名も無き人生。なんと素晴らしいことか!!家庭と子を設けて与えられた人生を全うする。それができずに命を絶つ人もいるのですから。人生は一つの局面、場面では判断できないものなのかもしれません。スタンダールの墓碑銘は「ミラノ人アッリゴ・べイレ 生きた、書いた、愛した」ということが書いてあるみたいです。まさにこういう人生を送り、終えたいですね。
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生きた、書いた、愛した (ちえぞー)
2008-02-16 23:34:44
カミュさま
いらっしゃいませ。

「生きた、書いた、愛した」
……いいですね。
私はなんだろうな。
「生きた、弾けた、楽しんだ」
なんて、言えたら理想かなぁ(笑)。

世の中は名もなき小市民のささやかな人生の集合体。だからこそ、混沌としていて面白いのかもしれません。その混沌の中で小さいけれどキラリと光る存在というのが、これがまた、魅力的で……(笑)。自分がどっちかは謎ですが、それこそ死ぬ時にわかるのかもしれませんね。
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