なにをするにも、「これをしていいのだろうか?」 「それをしてはいけないのではないだろうか?」と
考えながら過ごすのは、たいへんにつらい。
〜ほぼ日の糸井重里さんのエッセイ「今日のダーリン(5月14日付」から拝借〜
新型コロナウィルスの感染拡大防止に伴う緊急事態宣言が39県で解除された今日、
職場で外部団体の方とお話をする機会に恵まれた。(もちろん、3密には十分気をつけた上で!)
その会の後、僕はモヤモヤしてしまった。
このモヤは何なのかなと考えていた帰路の電車内で「ほぼ日」糸井氏のエッセイを見かけ、
思わず「うんうん」と頷ずいていた。
僕はこの4月、新しい職場に異動となった。
これまでとは少し異なる顧客のいる職場だ。(そして僕は、この職場での自分に戸惑っている。)
職場では、他の関係機関と例年開催している、とある共催イベントがある。
今日はその打合せだった。
緊急事態宣言が延長されているエリア内では、当然のことながら集客イベント実施の見通しが立たず、
何か従来と異なるアイデアを出し合ってみましょうかと、いうブレストを行ったのだが、
外部の方の、前を向こうとする姿勢・言葉に刺激をいただいた。
公的機関である僕たちは、どうしても「公共性」と「責任」から物事を考えてしまう。
「ブレスト」のはずが、うかつに発言してしまうことで物事が勝手に進む可能性もあるため、
慎重な発言が続くのだ。
ある意味、やむをえない。
でも、ワクワクはしないよね。
そんな僕らの応対も、想定していたのだろう。
担当の方は、二の矢三の矢を射ってきた。
そちらのご事情はちゃんとふまえますよ〜、と。
素敵だった。
こんな社会情勢でも、日々考え、進もうとしている人はイイですね。
「あれやっちゃダメかな?」と考えすぎてしまうと、疲れてくる。
判断の目的が、本筋とズレてくるのだ。
自分の感覚が麻痺してくる。
日々の自分の感情に鈍感になってしまうようだ。
今年度、新しい職場で40過ぎの初心者となった僕は、
通常業務がこなせない中、周りを「見すぎた」結果、いつの間にか心が疲れてしまっていたようだ。
そんな時に、今日の出会いがあった。ありがたい。
糸井氏は先のエッセイでこう締めている。
・・・いまは特に「じぶんの頭で考える」ことのリスクが、どんどん大きくなっているような時代だ。
だけどさぁ、じぶんのことをもっと信じたいよね。
僕は、その言葉通りの「じぶん」を持つ人と話せたようだ。
再び「うんうん」と頷いた。
う〜ん・・・なんだろう。
こんな支離滅裂な文章を書きたくなってしまうくらい、コロナ疲れがあるのかな?
世の中多くの皆さんもきっとそうでしょうね。
まあ、そんな時は素敵な「じぶん」から少し勇気をもらっちゃおう。
そうだ、Amazonで自分と同じ誕生日の方の電子書籍を購入!
考えながら過ごすのは、たいへんにつらい。
〜ほぼ日の糸井重里さんのエッセイ「今日のダーリン(5月14日付」から拝借〜
新型コロナウィルスの感染拡大防止に伴う緊急事態宣言が39県で解除された今日、
職場で外部団体の方とお話をする機会に恵まれた。(もちろん、3密には十分気をつけた上で!)
その会の後、僕はモヤモヤしてしまった。
このモヤは何なのかなと考えていた帰路の電車内で「ほぼ日」糸井氏のエッセイを見かけ、
思わず「うんうん」と頷ずいていた。
僕はこの4月、新しい職場に異動となった。
これまでとは少し異なる顧客のいる職場だ。(そして僕は、この職場での自分に戸惑っている。)
職場では、他の関係機関と例年開催している、とある共催イベントがある。
今日はその打合せだった。
緊急事態宣言が延長されているエリア内では、当然のことながら集客イベント実施の見通しが立たず、
何か従来と異なるアイデアを出し合ってみましょうかと、いうブレストを行ったのだが、
外部の方の、前を向こうとする姿勢・言葉に刺激をいただいた。
公的機関である僕たちは、どうしても「公共性」と「責任」から物事を考えてしまう。
「ブレスト」のはずが、うかつに発言してしまうことで物事が勝手に進む可能性もあるため、
慎重な発言が続くのだ。
ある意味、やむをえない。
でも、ワクワクはしないよね。
そんな僕らの応対も、想定していたのだろう。
担当の方は、二の矢三の矢を射ってきた。
そちらのご事情はちゃんとふまえますよ〜、と。
素敵だった。
こんな社会情勢でも、日々考え、進もうとしている人はイイですね。
「あれやっちゃダメかな?」と考えすぎてしまうと、疲れてくる。
判断の目的が、本筋とズレてくるのだ。
自分の感覚が麻痺してくる。
日々の自分の感情に鈍感になってしまうようだ。
今年度、新しい職場で40過ぎの初心者となった僕は、
通常業務がこなせない中、周りを「見すぎた」結果、いつの間にか心が疲れてしまっていたようだ。
そんな時に、今日の出会いがあった。ありがたい。
糸井氏は先のエッセイでこう締めている。
・・・いまは特に「じぶんの頭で考える」ことのリスクが、どんどん大きくなっているような時代だ。
だけどさぁ、じぶんのことをもっと信じたいよね。
僕は、その言葉通りの「じぶん」を持つ人と話せたようだ。
再び「うんうん」と頷いた。
う〜ん・・・なんだろう。
こんな支離滅裂な文章を書きたくなってしまうくらい、コロナ疲れがあるのかな?
世の中多くの皆さんもきっとそうでしょうね。
まあ、そんな時は素敵な「じぶん」から少し勇気をもらっちゃおう。
そうだ、Amazonで自分と同じ誕生日の方の電子書籍を購入!
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