先日の「夜間飛行」に続き、サン=テグジュペリの「人間の土地」を読んだ。
1939年に出版されたこの本は、
サン=テグジュペリが職業飛行家としての15年間の豊富な体験の思い出を伝えており…、一見バラバラに見える8編のエピソードは《人間本質の探求》という不快なつながりで緊密に結びつけられている(訳者:堀口大學氏あとがきより)
…という本だ。
人間は障害物に対して戦う場合にはじめて実力を発揮するものなのだ、
障害物を征服するには人間に道具が必要だ、
努めなければならないのは自分を完成することだ、
…という出だしで始まる本書。
サン=テグジュペリは、「人間」を社会の中での自分の役割を認識したもの、というニュアンスで語りかけてくれている(と、僕は読んだ。違ったらごめんなさい💧)
だからこそ、その時々の誤った社会の都合で人々の「人間」を振り回す(「眠りっぱなし」にする)のではない、人としての本然・本質的なもの、世界共通のものを単純化したものは何なんだ、ということを考えさせられる。
僕の人間(社会的役割)は、一応教師だ。
世の中は先人のおかげでだいぶ本然が整理されてきてはいるが、まだまだ雑然とした情報があふれ、それぞれの勝手な「人間」が戦い合っている。
それを単純化していけるよう、世の中を整理していく支援を子供に行うのが僕らの役割なのだろうか。であれば、僕の試みるべきことはなんなのか?
難しいけど大切なこと。
考えていきたい。
ちなみに僕が買った本書は新潮文庫のものであり、表紙絵は宮崎駿が描いている。(「空のいけにえ」というあとがきも1998年付で書いている。)
巻末に、サン=テグジュペリたち飛行家が行方不明になった航路をイラスト化してくれているが、これのおかげでとても読みやすかった。
宮崎駿さんの「人間」を垣間見た気がする。
なーんて言うのは、エラそうか