かべ日記

日々感じたことを、ひたすら記録。
積み重なった言葉が何かを生み出す…はず!!

ニーズに応じた対応するのが、プロ。

2009-06-07 20:35:30 | 日記
久しぶりに新宿で買い物をした。
今日は真夏のような気候だったこともあり、半袖の上着を買っておきたかったからだ。

とあるセレクトショップにて、いい感じのポロシャツ発見。
近くにいた店員に、サイズが他にあるか聞いたところ、目の前を指して、
店員「ここです。ジャングル探検みたいですよね。」


…ん?
意味がよくわからない。

なぜ探検?
しかもなぜジャングル?

すぐに見つけられなかったから、探す行為がジャングル探検のようだということなのか?
でも俺の探検は、「サイズありますか?」と、君に聞いただけ。
汗かくどころか身動き一つしていないが…。

店員「着てみますか?」
俺「あ、ぜひ。」

鏡の前で試着してみる俺
店員「この襟はこの角度が適切ですよ。」
店員「インナーはこのボーダーかな。」


…んん?
襟の角度を指図するだけでなく、インナーまで指定してくれるのか?
めんどくさい奴だなと思いつつ、適当に相づちをうっておき、彼が指定したのとは異なるインナーを手に取り、レジに向かう俺。

店内混んでたので仕方なく先の店員の横を通ると、
店員「それ買いますか…。さっきのはダメですかね。」

…かっち~ん!!
最後にしっかりダメ出しまでしてくれた彼をにらみつけ、何も言わずに支払いを済ませ、店を出た。

彼は彼なりに親切心を発揮しているつもりなのだろうが、こちらが何を求めているか、考えることが難しいタイプのようだった。


こわいね、押しつけって。
ムカついたよ、一方通行な片道プッシュ。

まあ、授業では俺も気をつけないとね。
そう考えると、奴はいい反面教師だ。



…それから数時間。

家に帰り、ふと思う。
「(やっぱりあいつの言ったインナーのほうが良かったかも…)」


俺が、人の話を素直に聞けないだけなのかな?

GRAN TORINO 

2009-06-06 21:05:36 | 映画



今日はもうこのタイトル以外は頭に浮かばない。
エンドロールが終わり、劇場の照明が再び灯りだす瞬間まで、僕は作品の世界に引き込まれ続けていた。

「人は変われる」などといった映画のなかに勝手にメッセージを見出し解釈したものを書き記すのは簡単だ。
でも、僕の中にはそんな優しい言葉なんかでは表現しつくせない、心にズンズンと響いてくる作品だった。


劇中ではタオという青年が、イーストウッド演じるウォルトからたくさんのことを学び続けていく。
それと同じように、客席にいた僕自身もスクリーン越しにウォルトが発する多くの「言葉」を受けとめていくことができた気がする。


時に尻を叩かれ、時にやさしく見守られ、最後は身体を張って「生き方」を教えてくれた存在…。


そんな劇中におけるウォルトの「温かさ」を感じるにつけ、僕は18の時に亡くした母の葬儀において、寺の住職が言った言葉を、ふと思い出した。

「(死んだ母親は)自分の生涯をかけて皆さんに『死と生』を教えてくれたのです。」
「その意味を、今度は残されたあなた方が生涯をかけて考え、次の世代に伝えていかなくてはいけません。」


僕にとってこの映画は、そんな映画だった。


評価が人を作るよ。

2009-06-03 22:48:07 | 日記
TV東京でターミネーターを見た。
1984年の作品なんだな、俺まだ6歳じゃん。

たしか初めて見たのもテレ東だった気がする。(中学時代かな?)
「ジョン・コナー」が生まれるきっかけになるラブシーンになった瞬間、
なぜか妙に興奮していたことを今でも覚えている。
今日改めてみると、記憶していた通りのカメラアングルだったのにびっくり。
よっぽど裸のシーンが衝撃的だったんだな・・・。


僕はこの映画の主人公、サラ・コナーが精神的にたくましくなっていく過程が好きだ。最初はだらしない生活を送っていた彼女も、未来から来た青年に英雄として扱われるうちに自覚が芽生え、ターミネーター(シュワちゃん若い!)との死闘を経て、最後は一人(胎児入れたら二人か)で未来に向けて旅立っていくエンディング。

自分自身もそうだが、人は周囲の人から認められることで初めて自信を持ち、「もっとやってみよう」という気持ちになる反面、どんなにすばらしい能力を持っていても周りからダメだしをされていれば自信を失い、気力はうせていく。

ヴィゴツキーの言葉を借りるならば、「人の運命を決めるのは・・・(中略)、その社会心理的現実化である。」ということであり、つまり人は社会の中での自分の立場によってその運命が決まるということらしい。

他国に比べて、日本の子どもの自尊感情の低さを訴える記事をよく目にする。他国の実態を見たことが無いのでその信憑性は僕にはわからないが、自分に自身が持てずに、目の前の課題に自分から一歩を踏み込むことができない子どもは何人も見てきた。彼らに共通していえることは2つの経験が足りないことだと僕は思う。
1つは目前のハードルを越える経験を踏んだ回数の少なさ、もう1つはその取組を周囲の大人や友人に認めらた回数の少なさだ。

学習の場ではその2つの経験をつませることが大切になってくると思っている。
がんばって何かできたらうれしいし、失敗したとしても人から誉められたらやっぱり嬉しいじゃん。(悔しかったとしてもそれが次への活力になる)


そこから自分を知る旅が始まる。
どっかの元サッカー選手のように、世界中を回らなくても大丈夫。


結論としては、ターミネーター4が楽しみだってことになります。


明日は明日の風しかふかないからこそ・・・

2009-06-02 22:32:32 | 日記
仕事やら個人的にやるべきことやら、ついつい溜め込んでしまいがちな自分。
「明日やればいっか♪」という言葉はとっても甘美なささやきだ。
でもそうやって先送りしたことに限って、心理的な負担になっていくんだな・・。


今日は職場に劇団の方々が来てくださり、皆で観劇を楽しんだ。
事前に管理職を通してお願いをし、生徒に舞台裏を見させていただいた。
皆さんとっても素敵な人たちで、被りモノ体験やら音響操作の様子も見せてくださった。本当にありがたかった。

初めてのことに慎重な子どもの場合、冒頭のようなことになりがちである。
今回舞台裏を見学させてもらった生徒はまさにこのパターン。
苦手なことがあると、やりすごせるまで固まってしまう。
自分の「先送り性格」は棚に上げて、子どもには少しでも「乗り切る」経験をつませようと、日々試行錯誤の毎日だが、今回は成功だったようだ。

事前学習では劇団にまったく興味を持てていなかったものの、実際に音響さんの仕事ぶりを見るにつけ、「かっこいい」と思わずもらしていた。
別れ際に、「うちの会社に入るときは待ってるよ」と声をかけられ、
かなり感動した