daiozen (大王膳)

強くあらねばなりませぬ… 護るためにはどうしても!

オツベルと象(3)

2014年09月14日 | 宮沢賢治-鑑賞

もしか、あなたの幸せとオツベルの幸せは似ていますか?

 ♪
 遊びをせんとや生れけむ 戯れせんとや生れけん

 遊ぶ子供の声きけば 我が身さへこそ動がるれ(梁塵秘抄)



子供というのは、

遊びをしようとしてこの世に生れてきたのであろうか、

 それとも戯れをしようとして生れてきたのであろうか、

無心に遊び戯れている子供たちの声を聞いていると、

 それだけでもう、私の体までもが反応していることだ。


 〇  〇  〇  〇  〇  〇  〇  〇  〇  〇


誰かの獲物を横取りしようと虎視眈々と隙をうかがう獣たち、

獣たちに狩りのツレはいても、獲物を譲りあう仲間はいない。

強い者から順繰りに腹いっぱいに食べるのが弱肉強食の社会。

秩序にみえて、実は、互いの隙を窺がい、懐を狙う敵対関係。



弱い者は全てを奪われ・失い、人間としても扱われなくなり、

が生まれ、奴隷が生まれ、農奴が生まれ、憎しみが残る。

弱い者はイケニエとされて、邪悪の法はイケニエを容認する。

強い者を保護し守ろうとする集団で、法は弱者をいたぶる。



奪い・騙しを悪と認めない集団内に争いが絶えることはなく、

そのような奪い合いの関係からは、平和が育つことはなくて、

日本では毎年3万人以上の弱者が自殺に追い込まれています。

そんなふうに獲物を奪い合う野獣の時代の混沌に社会は在る。



腹が減ったら大人だって、手当たり次第に食べたいだろうし、

奪い合いは詰らないと本能的に気づいたのは母かも知れない、

子のために獲物を持って帰る母の本能は譲り合いへと育った。

母に発言権がある母権社会は譲り合いの心が育ちやすいかも。



私自身は家族と分け合い・助け合って暮すなかに育ちました。

譲り合いの家庭の温もりを知っている数少ない現代人かも…。

その経験が、奪い合いに狂奔する人たちの愚かぶりを教える。

自分だけが得しようとして、結局、なんの幸せも得ていない。



甘い儲け話に飛びついた筈なのに、なぜ貧しいのでしょうか?

誰も知る人のない美味しい儲け話…ぜったい儲かる筈なのに?

奪い合いの社会からあなたに舞い込んだ貴重な儲け話でしょ?

欲深い人があなたに教えてくれた有難い儲け話★感謝・感謝★



珍しい御馳走を食べたい…あなたは、食べなきゃ承知しない、

他人より豪華に暮したい…あなたは、豪華でなきゃ許せない、

他人に羨ましがられたく…あなたは、他人の顔色をうかがう、

そして結局、いつだって…あなたは、不平・不満の中に住む。



幸せは儲け話にあるかも知れません、それが儲からなくても…

儲け話を聞いてるだけで贅沢な生活を想像して楽しいあなた…

それなら儲け話をみんなに教えてもちっとも損はしないんだ…

それなら儲け話でなくても構わない…楽しく時を過せばいい。



子供は本来、自分だけが楽しもうとして過してる訳ではない、

誰かを羨ましがらせよう・見せびらかそうと望んでもいない、

自然の子供は、みんなと共に楽しもうとしているものであり、

みんなとの触れ合いそのモノを楽しんでいるもののようです。



その純真な子供の心…子供の心を忘れているなら、不幸です。

幸せを財産で換えず、地位で換えず、卑しい心で換えられず。


 ♪
  遊びをせんとや生れけむ 戯れせんとや生れけん

  遊ぶ子供の声きけば 我が身さへこそ動がるれ



オツベルはお金で幸せを購えると思い違いしてたのですね★


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