daiozen (大王膳)

強くあらねばなりませぬ… 護るためにはどうしても!

トライ(6)

2014年10月06日 | 詩篇
             

旧約は多くの勇者・賢者たちによって引き継がれ書き加えられてきたと私は思っている。主とアダムが語った言葉は旧約に載っているのは周知のことだが、イヴの言葉も旧約の一部となって載っている。そのように選ばれた人たちの言葉が随所にちりばめられているのが旧約であり、彼らの存在が無くては旧約は成立たない。この選ばれた人たちは何に悩み・何に悦び・何を願って生きたのか。 人の魂を時に慰め・時に叱り・時に誉めたたえた言葉は主の詩であり、主に懺悔し・主に感謝し・主に誓った言葉は人の詩となって今に伝えられていて、すなわち旧約は一人の詩篇でなく数千年に亘って受継がれ・伝えられ・上書きされてきた超大ロマンの詩篇にちがいない。

人の一生は百年に満たず見聞する情報は極々少なくても数千年の詩篇を著わす能力を具える人であり、そのことを実証して見せた人であることは疑う余地のないこと。諦めなければ、途中で断念しなければ人類の終りの日まで続く詩篇であるのは確実なこと。リーダーは仲間を信じてどこまでもどこまでも仲間の先頭に立って歩きつづけたことでこの偉業は成し遂げられたと考えられる。弱い者が音をあげ倒れても替った者がその後を引き継ぎ先頭を切って更に前へ前へと歩んだ歴史に勇気づけられ・勇者を賛嘆し・続く人々を鼓舞する詩を詠う人は痛快だろうなと、そんな詩を詠っているわたし。あなたはいかがだろうか、生を思う存分に愉しめてらっしゃるだろうか‥。

人間を信じるとは根底から観ること。人を信じないとは上っ面しか見えないってこと。詩人は上っ面で浮かれず嘆かず憎まず、深く深く根底から人を観ようとするゆえに得る悦びは限りなく大きくて壊れることのない幸せの境涯にたどり着く旅の日々で詰らない小さな悩みに囚われる暇などないと云えるだろう。旧約の人のドラマチックな物語は正にそういった悦びに満ちあふれているように思える。くり返せば旧約の神は人との対話を重視していて、人の成長を悦び・後続の人々が元気に生きる詩を謳うのを歓迎するのは間違いないようだ。


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