daiozen (大王膳)

強くあらねばなりませぬ… 護るためにはどうしても!

「モンテクリスト伯」より (上)

2014年10月03日 | 小さな本箱
騎士道の根底に流れる心


1844年にフランスの新聞「デバ」に載った「モンテクリスト伯」でしたが、
若者だけでなく多くの層に爆発的な人気を得た訳は何だったのでしょうか。

日本ではしばしば・ダンテスが脱獄して復讐する物語として紹介されます。
しかし、私の理解では暴力や復讐を賞賛する筋書きではありませんでした。

船主の信頼厚く・前途有望な青年ダンテスは正義感に満ちた航海士でした。
その幸せなダンテスは三人の男の卑劣な手段によって監獄に幽閉されます。
物語は最初から、正義漢ダンテスと卑劣な三人との対立構図になっている。
つまり、フランスの人たちは正義の勝利を期待する心を備えていたのです。
邪悪が滅ぶことを望むフランスの読者は固唾を呑んで見守ったに違いない。
正義はどう闘うのか…青少年は清らかな胸を不安に曇らせつつ見守ります。
正義が邪悪を滅ぼさずして一体、その国の青少年の心を健全に導けようか。
読者は、国法が正義を為さなければ民が正義を実行して当然と考えたがる。
監獄での十四年の歳月が流れて、ダンテスに脱獄のチャンスが廻ってきた。
フランス全土の読者たちはダンテスの脱獄に喝采を送って歓びを表明した。

ここまでの流れだけで、フランスの民の正義感が充分に伺える仕掛けです。
さて、脱獄したダンテスは約束どおりに莫大な財宝を手に入れるのである。
そして、正義を実行するために「モンテクリスト伯」の称号を手に入れる。
モンテクリスト伯を名乗ろうとも、ダンテスのやさしい心は昔と変らない。
正義を生命に染めながら育った若者は、呼吸する度に正義を為すのである。
一方、卑劣な手段で欲望を叶えた者は、どこまでも卑劣な手段を画策する。
卑劣な奴、ヴィルフィール検事総長、モルセール伯爵、ダングラール男爵。
卑劣な手段で出世した三人とも、パリ社交界の重鎮と目されて権力を握る。
卑劣な奴らは危機的状況に陥る時は、たちまち卑劣な手段に走りたくなる。
デュマは、不正を暴くだけでも正義が容易に為されることを示したのです。
即ち「モンテクリスト伯」の主人公ダンテスは暴力を封印して・使わない。

今も昔も、いずこの若者も憎しみを晴らすのに力を以って為そうとします。
大人の知恵は力に依らずに正義を為すことを若者たちに示さねばならない。
それがデュマの描いた「モンテクリスト伯」の底流にある太い調べでしょう。

(追記)
私が読んだのは竹村猛編訳(岩波書店版)の「モンテクリスト伯」ですが、
竹村猛氏は原作の内容を変えないように忠実に和訳したと記しています。


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