小樽雪あかりの路 最終日
地ビールを飲んで手宮線会場へ
この線路が国鉄旧手宮線です
手宮線は1880年(明治13年)に官営幌内鉄道として北海道で最初の鉄道として開通しました
当時、幌内炭鉱で採炭した石炭を小樽港に運ぶ為の鉄道でした
文明開化後の日本はエネルギーのほとんどを石炭に頼っていました
しかし、炭鉱落盤事故などの影響もあり
エネルギー源が石炭から石油へと変わり、幌内炭鉱も閉山となり
やがて1985年(昭和60年)には手宮線が全線廃止となりました
手宮線の最後の貨車を見た時、私は26歳でした
手宮線の踏み切りは、どこも坂の途中にあって
冬季間、坂の登りの車は、一時停止せずに徐行でオーケーが
暗黙のローカルルールでした
踏み切りの対向車の下りの車が
踏み切り上で止まり、左右の線路の安全を確認して
登りの車に安全の合図するのが
小樽のローカルルールだったことを久しぶりに思い出しました
雪国で坂の町ならではの生活の知恵でした