Windsurfing Hokkaido

北海道でのウインドサーフィン活動や旅行記などの日記

東日本大震災6

2011-03-27 11:34:56 | 東日本大震災
2011年3月15日(火)

 

昨夜仙台から新潟空港へ向う途中
宿泊した新潟県村上市瀬波温泉
「恵みの宿 夕幸の森」のゆったりとした和室の一人部屋で
目が覚めたのは午前7時
余震に怯えることもなく朝まで爆睡しました
 
部屋のトイレで用を足しましたが水が出ません
このあたりも給水制限でもしてるのかなぁと思って
8時に朝食の準備をお願いしていたので
まずは源泉かけ流しの温泉浴場へ向いました
 
浴場への廊下で
宿の主人に会い昨夜のお礼と断水について話すと
どうやら地域断水ではなく、この施設の給水設備のトラブルらしく困っている様子でした
自分は建築士で建物管理の仕事に従事していることを話し
部屋に戻り、着替えて懐中電灯を持って機械室に行きました
宿の主人は何が何やら解らない様子
設備担当のスタッフもまだ到着していないとの事
 
まずは給水システムを把握する為に大まかな調査をしました
調査の結果、給水システムは以下の通りでした
①給水(飲料水)の水源は村上市の水道水

②屋外設置の受水槽

③機械室内の給水加圧ポンプ

④給水配管

⑤各蛇口
といったシンプルなシステムです
 
次にその状況確認
①受水槽に入る前の直圧の散水栓は水が出ています
地域断水ではないことを確認しました
②受水槽が渇水(空)しています
ほとんど飲料水が空で
ボールタップという補給水の制御水栓からはポタポタ程度しか補給水が出ていません
③給水加圧ポンプはエラー表示で停止中
エラー表示を調べると受水槽渇水となってます
④蛇口からは当然水圧が無いので水は出ません
 
不具合の診断
以上のことから
受水槽のボールタップの不具合で受水槽に補給水が入らず
受水槽が渇水(空)し、受水槽の電極棒により減水を感知し
給水加圧ポンプが連動停止したことが館内断水の原因と特定出来ました
 
対策
直圧の散水栓から受水槽にバイパスで水を入れてやると応急処置が可能です
宿の主人に以上の事を説明し理解してもらいました
町の水道工事店に連絡したが
宮城県に震災対応の応援で配管工が不足しているらしく
すぐには対応できないとのことでお手上げだとの事
 
応急処置
宿の主人に
○水道ホース5メートル
○ホースバンド1個
○カッターナイフ
○プライヤー
○ビニールテープ
を用意してもらい
直圧の散水栓に水道ホースを取り付け
受水槽の上部マンホールからその水道ホースを差込み
ビニールテープで固定し、バイパスの完成
散水栓の蛇口を開けると勢いよく受水槽に水が補給し始めました
減水警報用の電極棒より水位が上がり
給水加圧ポンプをリセットして無事復旧です
 
宿の主人は
あまりの手早さに目を丸くし
こんな単純なことで復旧出来たのかと驚いていました
 
宿の主人に
断水が復旧したことと
各客室等開放状態にある蛇口を閉めてもらうのと
最初赤水が出るがしばらく流すと戻る旨の
館内放送をすることをアドバイスしました
 
水道工事店に受水槽のボールタップを手配してもらい
入荷次第取り替えてもらう必要が有ることと
今回取り付けたバイパスは
受水槽が満水になっても自動で補給水は止まらず
人の目で水量を確認して人の手で蛇口を開け閉めするしかありません
ボールタップを交換するまで少し面倒ですが勘弁してもらうしかありません
 
これは推測ですが
3月11日の地震で
この村上市も震度4の揺れがありました
その揺れで受水槽の水面も揺れ
水面に浮いた状態のボールタップが上下して
水栓部の止水コマに無理な力が加わり
止水状態から戻らなくなり
補給水が止まってしまったと考えられます
その時点で受水槽には約8トンの飲料水が貯まってましたから
その後3日と15時間、計87時間はその水を使って支障ありませんでしたが
今朝、その水を使い果たし給水加圧ポンプが停止して断水したと推察されます
ある意味ではこの事故も震災と言っても良いのかも知れません
 
宿の主人から
身に余る勿体無いほどの感謝の言葉と
全員の宿泊費を割り引いてくれ
更に新潟空港を夕刻出発の便だということを考慮して頂き
チェックアウトを延長するからその時刻まで
ゆっくり温泉に浸かり部屋でのんびり過ごしてほしいと言ってくれました
 
私としては、ものの30分ほどの手伝いで
このような申し出に驚きましたが
定員オーバーのデミオで新潟観光する訳にもいかず
伯父や叔母、従姉妹達の疲労状態を考慮すると
宿の主人の申し出を有難く頂戴することにしました
 

館内断水事故も一件落着し
全員でゆっくり美味しい朝食を頂きました
 
清潔で明るい暖かい室内で
家族が笑顔で温かい食事を食べれることが
いかに幸せなことなのか実感したような気がします
当たり前につく、灯り
当たり前に出る、水道水
当たり前につく、ストーブ
当たり前につく、ガスレンジ
当たり前に走る、車
当たり前に食べれる、食事
当たり前の、家族団らん
どれも決して当たり前ではないことに気付かされました
 
宿の主人の厚意に甘え
食事の後、改めて温泉に浸かり癒され
部屋で二度寝して目が覚めると昼を回ってました
 
北海道のウインド仲間が
福島原発付近の風向風速の情報を
逐次送ってくれてました
現況と今後の予想です
普段、ウインドサーフィンで
風を求めて北海道内を仲間と移動しているので
風に関する情報は敏感で
「どこどこは何時頃に風向きがどう変わり
風速がどのくらいになる」
というのは、ある意味お手の物なのです
日本は基本的に高気圧や低気圧の影響を無視すると
大気は西から東に流れています
福島原発で言うと陸から太平洋に向う方向です
 
そこに高気圧や低気圧の影響で風が発生すると
基本的には高気圧は風を時計回りで吹き出し
低気圧は風を反時計回りに吹き集めます
まれに局地風と言って岬の突端や谷地などで
ほぼ決まった風向で吹く地形もあります
 
仙台滞在中や仙台への往復路インターネットで
気象情報を見る事が出来ずにいましたが
仲間からの携帯電話による風情報のおかげで
安心して行動することが出来ました
ウインドサーフィン仲間の皆さん
本当にありがとうございました
 
温泉にもう一度浸かり
近くのコンビニエンスストアで
遅めのランチの弁当を調達し
15時にみんなで昼食を頂きました
出発の準備をして
最後にもう一度、源泉かけ流しの温泉に浸かりチェックアウトです
 
 

お世話になった宿の主人やスタッフの方々と記念写真を撮り
16時10分
宿の主人に次回は観光で再び訪れることを約束し
新潟県村上市瀬波温泉
「恵みの宿 夕幸の森」を出発しました
 
約1時間で目的地、新潟空港に到着し
レンタカーデミオを満タン給油して返却しました
往復総走行距離    598Km
総消費ガソリン      37リットル
燃費          16.16Km/リットル
マツダデミオ 燃費合格です
 
 

新潟空港待合ロビーで記念写真
 
 

カメラのシャッターを押してくれたのは中国人留学生です
 
仙台の大学に留学していたが
震災の為、本国から中国大使館経由で
仙台の留学生全員、新潟空港に集結するよう指示が有ったそうです
仙台から分乗してタクシーを乗り継いで来たそうです
 
大使館手配の中国本土行きのチャーター便を待っているとの事でした
30~40人ほど居たと思います
どこに行くのか尋ねられたので
北海道の小樽に帰ると言うと
是非行って見たい街のひとつだと言ってくれました
無事に本国に帰れることを祈ってる
そして小樽で再会しようと
メールアドレスを交換し
写真をメールで送る約束をしました
 
いよいよ搭乗しようとした時
70歳の伯父がベンチから立ち上がれません
地震直後に飲料水のポリタンクなど重い物を持ったのと
極度の疲労と窮屈な車内移動で
ひざの痛みが悪化したようです
係りの方に車椅子を用意して頂き
車椅子で搭乗させていただきました
 
新潟空港、定刻19時30分発の
全日空4767便(エアドゥ共同運航便)
新千歳空港行きは30分ほど送れて
新潟空港を離陸しました

定刻から30分遅れの21時10分
無事、新千歳空港に到着しました
ここでも伯父に車椅子を用意して頂きました
荷物を受け取りゲートを出ると
従兄弟たちが車2台で迎えに来てくれていました
電車で大丈夫だと言って断っていたのですが
結果的には伯父がこうなると
車での出迎えはとても有難かったです
2台に分乗して
23時、全員無事小樽に到着することが出来ました
無事伯父達と帰って来れた安堵感でいっぱいです 
 
今回、色んなところでたくさんの方々に助けて頂きました
本当にありがとうございました
今度は困っている人がいたら助けてあげたい
今、自分が出来ることを、今、実行する
後で、あの時ああしてあげれば良かったと後悔したくない
 
今回の震災は日本人はもとより
外国の方々にも大きな被害や影響がありました
そして続々と海外から支援や援助が到着しています
海外からの心温かい支援援助に
こころからお礼を申し上げます
僕らはひとりじゃない
日本もひとりじゃない
たくさんの海外の人々も手を差し出してくれています
僕ら日本人も出来ることを
どんな小さなことからでも始めましょう
救援・ボランティア・募金・救援物資の提供
節約・節電・節油・情報発信等
まだまだこれから復興には永い時間がかかるでしょう
復興にはみんなの力が必要です
 
日本は助け合えるとても温かい国です
そんな日本の良さを再発見出来たのと
建築士としての責任を痛感させられました
今回の経験を今後の職務に生かさなければならないと決意しました
私にとっても大変有意義なものとなりました
 
 
最後になりましたが
文中・写真などお気に触られた方もいらっしゃったと存じます
少しでも災害復興と今後の震災対策に役立てたらとの思いで掲載したこと
何卒ご理解頂けます様お願い申し上げます
 
 


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東日本大震災5

2011-03-26 09:35:20 | 東日本大震災
2011年3月14日(月)9時
なんとか全員の北海道避難同意が得られ
明日夕方の新潟空港発、新千歳空港行きの
全日空便(エアドゥ共同運航)の予約が取れました
 
 

昨夜作成した移動プランの説明をしました
 
■実施日
2011年3月15日(火)(明日)
  (可能であれば今夜中に出発)
■人 員
伯父夫婦、従姉妹とその長女(高3)と二女(中2)と自分の計6名
■移動ルート
仙台→天童→山形→新潟空港(以上レンタカー定員5名のデミオ)
走行距離 約300km
想定所要時間 約6時間
予想ガソリン消費量 約30リッター
新潟空港19時30分発→新千歳空港20時40分着
(ANA4767便 エアドゥ共同運航便)
■各自の持っていく物
飛行機に預ける手荷物1個
飛行機内に持ち込むカバン1個
(それぞれ大きさ重量に制限有)
2~3ヶ月滞在をイメージ
但し一番の難関は定員オーバーのレンタカーデミオに
積載することなので必要最低限にする事
具体的には
○健康保険証
○常備薬
○通帳・現金・キャッシュカード・クレジットカード
○印鑑
○運転免許証・パスポート
○携帯電話・充電器
○メガネ・コンタクトレンズ
○損害保険・生命保険・火災保険等証券
○写真(アルバム)
○アドレス帳
○必要最低限の着替え
○従姉妹の長女の早稲田大学入学に必要な書類
(北海道から直接東京入りが可能な様に)
■留守宅準備
○電気ブレーカーを落とす
(可能な限りコンセントからプラグを抜く)
○給水給湯の蛇口を閉める
(水抜き栓があれば落とす)
○ガスの元栓を閉める
○近所に留守の連絡(貼紙も検討)
○戸締り
以上概略の説明をして
各自の準備が整い次第、渋滞が予想されるので
出来れば今夜中に出発して新潟県内まで移動したい旨を伝えました
伯父・従姉妹それぞれの自宅で各自準備に取り掛かってもらい
私は一番心配なガソリンの調達に取り掛かりました
この時点ではレンタカーデミオに約35リッターのガソリンがありました
障害やトラブルなく通常に走行出来れば
新潟空港まで充分足りるガソリンですが
予想される途中の渋滞や定員オーバーの為の燃費悪化が気掛かりで
何とか満タンにすることを考えました
ガソリンスタンドで購入することは、時間がなく不可能と思われ
伯父と従姉妹の車からガソリンを抜き
レンタカーデミオに入れることを考えました
往路、途中、山形のオートバックスで念のため購入した
ガソリンタンクから抜き取り用のポンプが活躍しました
従姉妹の日産キューブはすんなりガソリンが抜けましたが
伯父のトヨタ車(混乱してて車種は覚えていません)は
セキュリティーが強化されているのか、なかなか苦労しました
既製のポンプではタンク内のガソリンまで届かず
パイプ径が違う水道ホースを接続して
おそらくトラップになってるだろうタンクまでの経路を
まるで大腸の内視鏡検査の如く
ホースを回転させたり抜き差ししたりで
かなり苦労しましたがレンタカーデミオをほぼ満タンにすることが出来ました
 
 

次に従姉妹の二女が通学する仙台市立折立中学校に
授業再開など学校の様子を従姉妹と見に行きましたが
体育館が避難所となっていて4月の始業式までは
授業再開は無いと思われ、担任に安否の報告と
北海道に一時避難する旨を伝えました
長女は既に高校の卒業式も終わり
入学予定の早稲田大学の入学手続きが残っていますが
北海道からでも充分可能です
 
次に従姉妹の勤務先の職場に向いました
通信販売のコールセンターで勤務する従姉妹は
地震発生時、仙台市泉区の地下鉄駅テナントビルの事務所内に居たそうですが
事務所内の天井が落ち、パーテーションの間仕切壁やロッカーなども倒れ
デスクの下に潜り込み、命拾いしたそうです
揺れがおさまり更衣室のロッカーが倒壊したため
中の私物品も持ち出せず身体ひとつで外に避難したそうです
建物の外観からは、そのような被害があったことなど想像もつきませんでした
ロッカーの中には財布や運転免許証などが残っており
建物の防災センターに行き事情を説明しましたが
借主(テナントビルのテナント)の責任者同行以外
貸し室内へは立ち入れないとの対応でした
同業の立場からもその対応しか出来ない相手の事情も理解出来
なんとかコールセンターの責任者に連絡を取ろうとしましたが
かないませんでした
 

 

 

 

ビルの玄関には安否確認や業務連絡などが掲示され
コールセンターの京都本部の連絡先が解ったので
連絡し安否報告と仙台の責任者に事情連絡をお願いしました
 
 

私はテナントビルの運営に携わる仕事をしていますが
有事の際のテナント対応の難しさを実感しました
 
17時半過ぎには、全員ほぼ準備も終え
山形のスーパー等で購入してきた食料や灯油等緊急物資は
知り合いや近所の方に配ってもらい
レンタカーデミオに6人分の荷物を満載して
さて出発しようと車に全員乗り込みましたが
叔母の顔色がおかしい事に気付きました
緊張のあまりお腹の調子が急に悪くなったらしく
ただでさえトイレ事情が悪く、この先渋滞も予想され
いつ満足なトイレにたどり着けるか解りません
本人に安心してもらう為にも
とりあえず出発を30分延期し
全員、車から降りて従姉妹の家で
お湯を沸かし、叔母が握ってくれたおにぎりで
早めの夕食とティータイムとしました
この時点で従姉妹の家には電気が復旧していました
 
叔母を含め、みんなのお腹も気持ちも落ち着き
2011年3月14日(月)
18時35分
仙台市青葉区西花苑の従姉妹宅を出発しました
ドライバーは私
助手席には腰痛とひざに痛みのある伯父
後部座席には叔母・従姉妹・従姉妹の長女(高3)・従姉妹の二女(中2)
後部座席の女性達は、実は全員、大女です
従姉妹は細身ですが身長172センチのママさんバレーの現役選手
従姉妹の次女(中2)もバレーボールの現役選手で身長169センチ
従姉妹の長女(高3)も元バレーボールの選手で身長167センチ
一番小さい叔母でも身長163センチの大女家系です
レンタカーデミオの後部座席は想像を絶する窮屈さです
4人の大女の他、荷物も満載です
首都圏のラッシュ時の満員電車のイメージです
人の熱気で女性達は暑がりますが
助手席の伯父は冷え性で寒がるのです
正直、車中の温度調整が一番困難でした
 
仙台から国道48号線(作並街道)で山形県天童市を目指しました
出発して10分ほどで渋滞が始まりました
片側2車線から1車線になった途端です
ほとんど進まない渋滞に途方に暮れましたが
あまりに進まない渋滞に異変を感じ
一か八かで反対車線を進んでみると
この渋滞は先にあるガソリンスタンドにガソリンを求めて並ぶ車と
普通に走行する車の複合渋滞だったのです
対向車の切れ目を見極め反対車線を数百メートル走ると
渋滞原因のガソリンスタンドがありました
そこを超えると嘘のように走行車両は少なく
スムーズに関山峠を越え天童市に辿り着けました
仙台への往路、ガソリンや灯油を満タンにしてくれた
山形県天童市大字老野森字光戒旦の
トラックステーションにお礼を言いたいと思い
立ち寄りましたが既に営業を終え閉店していました
お礼が言えず残念でしたが
いつかまた訪れてお礼を言いたいと思ってます
 
天童市から国道13号線を南下し
山形市・上山市と順調に進み
21時10分に、さくらんぼのブランド名にもなっている
山形県南陽市に到着しコンビニエンスストアで小休止しました
ここで今夜の宿泊先を手配しました
往路、お世話になった新潟県村上市瀬波温泉の
「恵みの宿 夕幸の森」に電話して予約することができました
この調子だと順調に行って0時前後の到着になりそうだと話すと
宿の主人は何時まででも待ってるし
温泉に浸かってもらえるように準備しておくので
ゆっくり気を付けて帰っておいでと
やさしい言葉をいただきました
感謝です

ここからは国道113号線(米沢街道)で小国の峠を越え新潟県に入ります
もう宿まで100Km足らずです
この峠はこれまでよりトラックなどの大型車の通行量が多く感じました
避難・物流色んな意味で宮城県・福島県から
日本海側に渡る大動脈だったのでしょう
車内の混雑と温度調整の困難以外トラブルも無く
無事、新潟県村上市瀬波温泉に辿り着きました
コンビニエンスストアで缶ビールや夜食や軽いつまみを購入し
23時24分
無事「恵みの宿 夕幸の森」に到着しました
宿の主人の笑顔に迎えられ
贅沢にもそれぞれに3部屋を用意してくれていました
極上の源泉かけ流しの温泉で疲れを落とし
私以外の仙台からの親類は
地震発生前日以来(4日ぶり)の入浴でした
みんなで軽く夜食やアルコールを頂き
湯上りの冷えた缶ビールの旨さは言葉では言い表せません
4缶頂き、ゆったりとした和室の一人部屋の布団に潜り込んだのは
既に日も替わり午前2時半を過ぎていました
爆睡~
 
つづく


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東日本大震災4

2011-03-25 06:59:05 | 東日本大震災
2011年3月14日(月)
寝床に着いたものの余震が頻繁にあり熟睡できません
ラジオの情報のみの原発の影響も気になり
 

深夜起きて仙台から小樽帰宅を計画
 
伯父夫婦・従姉妹とその長女(高3)と二女(中2)を連れ
北海道に帰ろうと考えました
従姉妹の旦那は東京に単身赴任中だし
北海道に連れ帰るのがベストと判断しました
みんなが起きたら説得することにしました
日中は市内大渋滞になるので
夜明け前に仙台市内の被害状況の確認に出かけました

 

市内全域を確認したわけではありませんが
青葉区と泉区の一部を調査した結果
地震の揺れによる外見上建物の被害はほとんど見られませんでした
いくつか車のディーラー店舗のような平屋の建築物の
大きなガラスが割れているものや
建物の内部で天井が一部落ちたり
排煙区画の為の排煙垂れ壁のガラスが割れているものなど
概ね現行の建築基準法の耐震基準の想定内の被害にとどまっていた様に思います
ただし、今回立ち入ることはできませんでしたが
海岸部に近い地域の津波による被害は新聞テレビで報道されている通りです

 

宮城県庁の建物も外見上は被害は無いようです
中心部は電気も復旧して信号も平常通りです

 

但し、山形行きなど都市間バスの停留所は早朝から長蛇の列

 

ガソリンスタンドにも開店前からガソリンと灯油を求める長蛇の列

 

給水が復旧している公園の水飲み場にも飲料水を求める長蛇の列でした

 

 

石積みの擁壁やブロック塀など一部被害が見られます

 

道路にも一部被害がありました
 

日中の道路渋滞の原因は
市内中心部の一部を除き停電なので信号が機能していないのと
ガソリンスタンドやスーパーマーケットにガソリン・灯油、食料などを求める車で
一車線が完全にふさがれている為です
伯父宅にもどり全員に北海道に避難することを提案
地域の中で自分達だけ避難することにかなりの抵抗がありましたが
避難することで被災地の食料やエネルギーなどの負担が少しでも軽減されること
子供達への原発事故による放射能の影響が懸念されること
まだ余震が続き地震被害の恐れがあること
など今ならまだ緊急避難が可能なことを説明し納得してもらいました
たまにやっと繋がる携帯電話で銭函の自宅に連絡し
インターネットで航空券を手配させ
避難準備に取り掛かりました
 
つづく
 


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東日本大震災3

2011-03-24 06:37:38 | 東日本大震災
2011年3月13日(日)
7時20分、新潟県村上市瀬波温泉
「恵みの宿 夕幸の森」を出発
 
 

国道113号線を東へ、まずは南陽市に向い
 
 

そこから国道13号線を北上し、山形市に向いました
山形市までは地震の影響は何も感じませんでしたが
山形市内で急に進行方向左車線が渋滞し始めました
最初は何の渋滞なのか解りませんでしたが
それはガソリンスタンドに並ぶ車の列だったのです
山形市でカー用品店やホーマックなどが開店する時刻にあわせ
新潟の宿を出発して来ましたが
予想よりガソリンなどの緊急物資は遠くまで影響していました
後悔しても始まらず
まずはガソリン携行缶を購入しようと
イエローハットに行きましたが既に昨日で売り切れ
「オートバックス山形深町店」に行き事情を話すと
店の奥から5リッター携行缶を最後のひとつですと出してくれました
ありがとう。助けられました
次に「ホーマック南館店」に行き
ガソリン携行缶や灯油のポリタンクなど購入しようと行きましたが
前日からの混乱からなのか、本来10時の開店が11時開店に変更され
既に開店を待つ長蛇の列でした
そこで1時間並ぶより、向かいのスーパー「ヨークベニマル南館店」に行き
食料品など購入したほうが効率的と判断し行きましたが
開店と同時にレジは長蛇の列
カップ麺やレトルトカレーなど買い物かごに入れレジで約1時間並びなんとか購入しました
 
 

レジを出ると、この店は入場制限で外に長蛇の列でした
 
 

「ホーマック南館店」に戻るとすんなり入ることができました
でもガソリン携行缶は売り切れてました
ひとり数量限定の灯油用ポリタンク2個、ミネラルウォーター2本、電池、ナプキンなどを購入しました
この時点で購入出来ていないのはガソリン・灯油・カセットコンロ用ボンベです
新潟方面に戻って購入して出直すか
このまま進んで購入出来そうなところを探すか、かなり迷いました
地図で仙台までの残りの距離
そして仙台から新潟までの帰路の距離
ガソリンタンクの残量
レンタカー(マツダデミオ)の取扱説明書でガソリンタンク容量を調べ
ややしばらく電卓をはじいて悩みました
結論、「車のガソリンタンクの残量が半分のところまでとりあえず走ろう」でした
山形市を出発し、再び国道13号線を北上
天童市から東へ右折し国道48号線を進みました
天童市を過ぎると急に街並みが少なくなり
店舗やガソリンスタンドの姿はどんどん減っていきました
この時点でほぼガソリンは半分(20.5リッター)です
これ以上進むと被災地に近付きガソリン補給の条件が益々悪化するだけです
とりあえずガソリンスタンドが沢山有った天童市まで戻ることを決断しました
在庫の沢山有りそうな大きなスタンドを選びガソリン給油待ちの行列に並びました
約1時間で給油の順番が来たのですが
給油合計、上限3千円の制限がここで初めて聞かされました
落胆したものの担当の方に事情を話すと
別コーナーに誘導して頂き
なんと、ガソリン満タン
更に、ガソリン携行缶も満タン
更に更に、灯油を18リットルポリタンク2個満タンにしてくれました
山形弁でよく聞き取れませんでしたが
「よ~ぐ、遠い北海道から来てくれたな~」
「東北人を代表してお礼ばいうべ~」
「気をづけて行ってくろ~」
「帰りも待ってるから寄っていげ~」
山形県天童市大字老野森字光戒旦の
トラックステーションの従業員の皆様
本当にありがとうございました
ここでの満タンが無ければ仙台往復は
かないませんでした
天童市からはガソリンも満タンで順調でしたが
 

 

作並温泉付近で若干渋滞がありましたが
 
 

16時15分
無事、仙台市青葉区中山の伯父の家に到着しました
伯父夫婦の無事を確認し
 
 

車で15分ほどの青葉区西花苑の従姉妹の家にも行き
従姉妹とその娘二人の無事を確認できました
どちらの家もライフラインは止まっていましたが
割と高台の為、家屋には大きな被害は有りませんでした
 
 

 

従姉妹の家の裏側50メートル位の宅地で
盛り土の地滑りが原因と思われる家屋倒壊がありました
建築士として自然の力の恐ろしさを眼の当たりにしました
幸いにも怪我人等は無かったらしく不幸中の幸いでした
 

この日は伯父宅に従姉妹達と泊まり停電の中
夕食をみんなで頂く事ができました
 
つづく
 


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東日本大震災2

2011-03-23 06:46:14 | 東日本大震災
2011年3月12日(土)
昨日の大地震
テレビでは想像をはるかに超える痛ましい被害が映し出されています
今、自分に出来ることは何だろう
自問自答・・・・
ひとりでも被災者を遠くに避難させること
   被災地の食糧や燃料を軽減出来ます
建築士(応急危険度判定士)として建物被害の調査
   住み続けることが可能なのか建築士として助言すること
   今後建築物をどう創るべきなのか
悩んだ末
行こう
でも、行けるのか?
どうやって行く?
仙台空港は壊滅状態
花巻空港も閉鎖
羽田空港からの陸路北上はどう考えても無理
 
結局、新千歳空港から新潟空港へ行き
新潟空港でレンタカーを借り
国道113号線で小国の峠を越え南陽市
国道13号線で上山市・山形市・天童市
国道48号線で関山峠を越え、仙台市へ至るルートを計画
 
全日空の最終便
新千歳17時45分発、新潟19時着のANA4766便
エアドゥの共同運航便を1席なんとか確保し
新潟空港のマツダレンタカーにてデミオを
15日まで限定で1台確保しました
 
道路地図・携帯電話手回し充電器・懐中電灯など
必要最低限の荷物をデイバックに詰め
午後、JRで新千歳空港に向いました
 
途中、帰りのガソリンの補充は出来るのだろうかなど不安も沢山ありましたが
とにかく行ける所まで行くんだと自分に言い聞かせ地図を頭の中に叩き込みました
 
 

それともっと気になるのは東京電力の福島原発と
東北電力の女川原発です
この時点では女川原発の情報がほとんど無く
仙台市までの距離が55kmしかなく、とても不安でした
 
30分ほど飛行機は遅れましたが
無事、新潟空港に満席の126人乗り
エアドゥ、ボーイング737-500は到着しました
 
 

レンタカーカウンターでデミオを借り
カーナビに
自宅をここ新潟空港をセット
目的地に仙台市青葉区の伯父宅をセット
空港を出発したのは20時頃でした
 
このまま仙台まで走るには
氷点下の峠を二つ越えなければならず
初めての路を夜間走行するのは無謀と判断し
 

予めネットで調べておいた
新潟県村上市の瀬波温泉
「恵みの宿 夕幸の森」に一泊しました
大きな施設ではありませんが
ある企業の保養所だった施設を
買取、今年の1月にオープンしたばかりの
源泉かけ流しにこだわった
低価格の温泉宿です
一泊朝食付き¥6,130です
温泉にも浸かり部屋も広く緊張した気持ちが癒されました
 
つづく
 
 
 
 


コメント (2)
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