2015年11月23日(月)
勤労感謝の日
先日、NHKで放映された
ブラタモリ小樽編、ご覧になりました?
小樽市民として
とても興味深い内容でした
気になるので
雪が積もる前に
自分の目で確認したくて
出掛けました
元々小樽は
ニシン漁で栄えた港町でしたが
夕張で掘られた石炭を
小樽港から積み出すために
明治13年鉄道が開通
明治38年には日露戦争に勝利し
南樺太(南サハリン)を領土とした影響で
小樽港は石炭の積み出しと
樺太との航路で
当時、国内4位の港の地位を築いたのでした
その影響で
人口が急激に増加したのです
平地の少ない小樽に
宅地を供給する為
水天宮(すいてんぐう)から市民会館辺りまでの小高い丘だったところを
10mほども掘削して宅地としたのが
今の花園町辺りです
掘削した土は埋め立てに利用したそうです
観光客の集まる堺町の通りは
埋め立てる前の海岸線だそうです
その掘削工事を待てずに
建物を建ててしまったところが
いまだに残っていました
重機の無い時代
10mもの切土掘削
とんでもない労働力が必要だったに違いありません
でもその労働力が
当時の小樽にはあったのですね
電化の複線は函館本線
その下に今もレールが残っているのが
旧手宮線です
学生時代
手宮線を貨物列車が走っていたな~
原子力発電がままならぬ今
石炭による火力発電が
注目されるのは必須
夕張炭鉱と手宮線
復活もありだね
鳥居をくぐり
参道の階段を昇ります
この下がった部分が
明治時代に切土掘削によって宅地化された町並みです
本殿は南を向いています
先ほどの鳥居は西向き
本殿と鳥居が
ほぼ90度振れています
元々の参道が有りました
花園町の切土掘削による宅地が出来る前は
当時、南側が栄えていた入船町です
切土掘削による宅地造成で
新たな街並みが出来
水天宮への参道と鳥居も造り直したのが確認できました
新日本海フェリーの大型船が2隻係留されています
水天宮からは小樽港が一望できます
当時の豪商たちも
この辺りに邸宅を構えました
いづれも往時の小樽の豪商の邸宅です
板谷邸は板谷商船の社長板谷宮吉の邸宅
妻は独身時代、板谷商船に勤務していました
当時、お盆には
ここに全社員が集まり仏壇を拝み
社長夫妻を囲んで大宴会をしていたそうです
私も何度か迎えに来た記憶が甦りました
正月には
私のバイト先の小樽北海ホテルで
全社員による新年パーティーが
盛大に行われていました
フランス料理のフルコース
全員に料理のサーブァーが必要で
自分も何度かタキシード着て
フォークスプーンでボーイをしておりました
懐かしい想い出です
当時、板谷商船は小樽屈指のお得意様でした
今はその面影はありませんでした
小樽の斜陽を物語っています
石原裕次郎が
当時
結婚スキャンダルで
マスコミから逃げて
北原三枝(現石原まき子)と
ここでかくまってもらった
と言うのは
有名な話です
石原裕次郎のお父さんは
日本郵船小樽支店長時代
ここに子供達も連れて
良く来ていたそうです
沢山の観光客
13時の時報です
煉瓦造か?
学生時代から通う
「桂范」
昔から決まりの
醤油ラーメン+チャーハン
まいう~
ブラタモリの御陰で
小樽を再発見できました
ありがとう