心を込めて

心の庵「偶垂ら庵」
ありのままを吐き出して 私の物語を紡ぎ直す

愛おしい存在

2022-07-06 17:54:39 | 前向きな自分へ

苦しみを抱えていた私にも、今になってではあるけれど、愛おしい存在と呼べるものがある。

夫にももちろん感謝している、失敗しても肯定し守ってくれる、その存在自体が初めは衝撃的だった。

息子にもずいぶん癒された。私に向ける無垢な眼差し、その瞳に映る私自身の姿をいつも不思議な感覚で眺めていた。この信頼に応えたいと常に考えていた、幸せの源で宝物だった。

(今は思春期から青年期にある息子との関係は変化しているけれど、信頼関係はあるのだと信じている。知らず私の肯定の為に境界線を越えてしまっては怒られる毎日、ある意味では人生の教師のように、愛着や自己肯定について私の間違いを直球で指摘してくれる。彼は自分自身ではないのだからと教えてくれる、ありがたい存在)

そして、結婚後飼ったペットの犬には、これまで感じたことのない(息子や夫とも違う)全幅の愛情と信頼と肯定があった気がする。いつも私を見上げ寄り添ってくれる、この優しい性質の犬と過ごした数年間は生まれ変わるような感覚だった。

小さな頃から辛いことがあった、苦しいことも哀しい過去もあった。東日本大震災で転居して、いろいろ上手くいかなくて、パニック的になって自罰と自責で苦しくなって受診した心療内科で「得られたものもあったでしょ」と言われた。

当初は受け入れられなかった言葉だけれど、心の整理が進んできて、今はこの「得られたもの」と「亡き犬のこと」を思い出している。

得られたものは愛情だったと思う、私を裏切らない信頼は今こうして私の心に根付いている。私にも得られたものはあったのだ、これまで頑張って生きてきた、その中で星のように輝く宝物があったのだ、この発見は大きい。

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わかってほしい

2022-07-03 19:36:13 | 新しい心持へ

ずっと人が怖かった、どう思われるか怖かった。

ずっと人から好かれたいと思っていた、関心を引きたかった、だから怖かったのだ。

記憶の奥底を探ると「母に好かれたい」「母に愛してほしい」がある。

私の苦しい記憶が私を縛っていたのだ、だから「わかってほしい」が強かったのだ。

だから私はもう演じることを止めようと思う、嫌な人には嫌われたっていいのだから。

嫌みを言われても、陰でコソコソ言われても、それは相手の問題、すべてが私の責任ではないのだ。

自分が正しいと思う生き方を「全う」していいのだ、誰かの為に生きなくていいのだ。

「誰かの為に」「相手が望むような」「嫌な役割」を「常に」演じなくていいのだ。

「母の為」に「ダメなお姉ちゃん」を演じなくてもいいのだ。

 

「嫌われてもいい」これまでの私の世界にない価値観なので混乱している。

本当の感情を「自分でも」無視して感じないようにしていたから。

これまでは、本心では苦しくても自分を騙すのは簡単だった、演じればいいから。

心で泣いて、表面は明るく振舞う、自分なんて簡単に誤魔化せたのだ。

一人暮らしで独身の頃、生活の為に働くには自分の惨めさに向き合わねばならなかった。

中学時代クラスメイト全員から無視された時と同じで、惨めでも生きていけたから。

惨めでも死ねないし人間は消えないのだ、惨めでも無常に朝は来るからと、自分を蔑ろにしてきた。

しかし、惨めだと絶望に似た苦しさを抱え続けなくてもいい、未熟でも生きていていい。

自分はダメな人間だと、惨めだと、自責して生きることは止めると決意したんだ。

東日本大震災で苦労した自分の為に、ただでは立ち上がらないと決めたんだ。

嫌われてもいい、私自身が私自身を価値のある人間だと、そう信じて生きていきたい。

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バランスです

2022-07-03 19:03:48 | 気づかされた言葉

「バランスです」

悩んでいた答えはずっと前に貰っていたのかもしれない。

嫁ぎ先や自分、子どもの病気のことで悩み女性外来の先生に言われた言葉。

私が今抱える生き辛さ、答えは出ない悩みなんだと思った。

そして今更ながら気づくのは、「私が」生き辛い「特性」を抱えて苦労していたんだなという事。

努力しても上手くできない自分をずっと責めていた、普通に生きたいのに努力しないと普通を保てない。

どうしてそんなに一生懸命なの? でも、それでもありえない失敗をするのだ。

生まれつきの能力の差はやはりあるのだ、努力でどうにもならないことがあるのだ。

それを医者は分かっているのだ、人間の摂理を、ただ言わないだけで。

動物を育てていた私は知っている、能力の劣る家畜が生まれることを。

植物を育てていた私は知っている、形や味が不味い実がなることを。

私はそういう役目を背負って生まれたという事だ、生物である以上この揺らぎは避けられないのだ。

ならば私はどうありたいのか。せめて迷惑をかけないで生き、そして死んでいきたい。

私に与えられた生きるという役目を全うして。

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