母に「あなたを一番愛してる」と言われたかった。
困った時に助けてくれて苦しむ時には寄り添うような、保護や無償の愛情や慈しみが伝わっていたら、無力な幼小期に「私は母親に愛されている」と信じることができていたなら、今こんなにも苦しんでいなかったのではないかという気付きがある。母親からの子供への肯定は「子供自身の自己肯定感」には不可欠だと思う、母親にしかできない仕事があると思うのだ。もちろん他の誰でもいいのだけれど、母にしかできない肯定というものは世の中に存在するのではないだろうか。
今も健在な私の母は、私の過去と現在の苦悩を知っても私に寄り添う事はしない。できないやらないではなくて、見たくない知りたくない対応したくないという回避が近い気がしている、生きていても得られない現在進行形の愛着の喪失感、母親と話すたびに心の傷が疼く。
そして世の中の「仲のいい母子」を正視できない、愛情を受け取っている人間に嫉妬と苦しみの感情が湧く。息子と夫の男同士の感情の交流は信頼関係を含め好ましく感じるが、私に娘がいたら夫から愛情を受けている娘を正視できないだろうと思う、憎しみと怒りとで娘を混乱させ傷つけるだろう。もしかしたら私の母親も、愛情を受けとる私に憎しみや怒りや未消化の想いがあったのかもしれない。
だからこそあえて、私は唯一の息子に「あなたを一番愛している」と伝える、この世の中で「私ががあなたの一番の味方だ」と言葉にして伝える。彼の母である私にしかできない仕事だと思うから、私のように「自己の肯定を得られず」苦しむような人生送らせたくないから。そして「母のような愛情を伝えられない可哀想な母」になりたくないから。