「他人を評価する基準は自分を支持するかどうか」
賛成するならいい人、反対するなら悪い人。
「この私」の言う事を聞かなかった、だから攻撃する。それは自分の欲求を満たすため。
イライラしたらそれは誰かのせい、その為に「弱い立場の人」を選んで欠点を批判する。
楽しそうにしている「弱い立場の誰か」の気分を下げて、優位に立ち留飲を下げる。
「弱い立場の誰か」がどんなに成功しても認めない、認めたくない。
実母と実父、妹、舅姑、義姉、職場の誰か、狭い閉鎖的な集団の中で自分の自尊心を保つために「弱い立場の誰か」を否定する。
攻撃されて怯む私、人が怖くて怯えている私にはうってつけなんだろう、ずっとそんな役割を引き受けてきたのかもしれないな。
しかし私は、正当性のない自己中心的な人間を支持などできない。
怒って見せてもいいと(アサーション的に)言われて気づいた部分、でも怒りを意図的に表現するのは怖い(爆発するよりはいいのかもしれないが)、正当な権利を主張する、その恐怖に打ち勝たなければならない。
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