Wakana Classics 2024 初めてwakanaさんの生歌を聴きに行った。
明るく清浄な雰囲気が満ちていて、姿を見て歌声を聞いた瞬間に来てよかったと感じた。
肩の力が抜けていて新しい境地に至ったような、表現者としてまた一つ進化したような、覚悟が決まったというか。
自分自身が楽しむこと、自分を信じることを掴もうとしている気がした。
Wakanaさん、自分を信じて進んでください、応援しています。
Wakana Classics 2024 初めてwakanaさんの生歌を聴きに行った。
明るく清浄な雰囲気が満ちていて、姿を見て歌声を聞いた瞬間に来てよかったと感じた。
肩の力が抜けていて新しい境地に至ったような、表現者としてまた一つ進化したような、覚悟が決まったというか。
自分自身が楽しむこと、自分を信じることを掴もうとしている気がした。
Wakanaさん、自分を信じて進んでください、応援しています。
自分との大きな違い、他責傾向の人たちはまるで違う星の人間のように感じる。
先月でまた3人が辞めた、私の職場は視野の狭い人間の集まる閉鎖的な職場なので軋轢も多い。
子育てが一区切りし更年期真っただ中という年代では、自分が迷子の人間が多いのかもしれない。
そんな中で、自分を見つめ直す私は「集団の狂気=いじめ」に取り組んでいる。
なぜ人は優しくなれないのか、何故いじめるのか、その答えは「人間はそんなものだから」かもしれない。
しかし、私は敬意と尊重を大切にしたい。
自分の持つ平和な世界を大切にしたい、自分を大切にしたい。
敬意と尊重と思慮深さの無い、無知で視野の狭い人たちが多いと感じる。
いじめを無自覚に行う人間は別の星の人間、そう捉えても致し方ない気がしている。
「他人を評価する基準は自分を支持するかどうか」
賛成するならいい人、反対するなら悪い人。
「この私」の言う事を聞かなかった、だから攻撃する。それは自分の欲求を満たすため。
イライラしたらそれは誰かのせい、その為に「弱い立場の人」を選んで欠点を批判する。
楽しそうにしている「弱い立場の誰か」の気分を下げて、優位に立ち留飲を下げる。
「弱い立場の誰か」がどんなに成功しても認めない、認めたくない。
実母と実父、妹、舅姑、義姉、職場の誰か、狭い閉鎖的な集団の中で自分の自尊心を保つために「弱い立場の誰か」を否定する。
攻撃されて怯む私、人が怖くて怯えている私にはうってつけなんだろう、ずっとそんな役割を引き受けてきたのかもしれないな。
心療内科のDrに怒って見せてもいいのではと(アサーション的に)言われて気づいた自分の本心は、正当性のない自己中心的な人間を支持などできないという事。しかし、怒りや本心を意図的に表現するのは怖い。
当たり前に自分の正当な権利を主張する、私はまず、その恐怖に打ち勝たなければならないのかもしれない。
共通項がある、私が「自分が悪いから」と引き受ける関係性だ。
原家族との関係、嫁ぎ先での関係性、小中時代のクラスメイトとの関係性、今の職場での関係性、皆同じ。
私が悪いと声高に叫ぶ人間の言う事を、請け負ってしまう、面倒だから。
だけど、誰かの責任を引き受けてしまう一番の理由は、自己防衛なのかもしれない。
考えちゃダメ「私が悪いと引き受ければ」丸く収まるのだから。
考えちゃダメ「また殴られるから」もっと酷い思いをするよ。
「誰が本当に悪いのか」考えること自体を放棄しているという事。
よく考えたら論理的でない、どうして私だけが悪いんだろうか。
私は変わると決めたんだ、自責しながら生きることは辛いから。
自分を大切にすることに決めたから。
自分を大切にしない大多数の為に自分を曲げるのではなく、自分を大切にしてくれる少数派との関係を大事にしたい。
今年の8月から心療内科でエスシタロプラムを処方してもらっている。
私には効果は大きい、確かに不安が落ち着くし頭の中が騒がしくない。
これが平静な状況というのなら、これまで生きてきた私はライブハウスで生活や仕事をしてきたようなものだ。
最大限の集中をしなければ、ライブハウスの奥の部屋からの呼びかけなんて聞こえないのだから。
発達的な特性、私の生まれ持ったもの、どうやっても私は私を生きるしかできないということなんだろう、当たり前だけど。