心を込めて

心の庵「偶垂ら庵」
ありのままを吐き出して 私の物語を紡ぎ直す

私の間違った認知の核

2023-07-10 17:33:41 | かなしい記憶

「悪い相手を悪いと思ってはいけないのなら、何をされてもどんな感情が生まれても、相手を悪いと思わなければいい、そもそも自分が悪いからと思っていれば楽だから。」

暴力を振るう父を悪いと言ってはならなかった、言うと暴力を振るわれ何時間も責められた、いつしか父を悪いと思わなくなった、思わなければ言いたい気持ちは無いも同然だった、自分の本当の感情を感じなくなったのは何時からだったのか。

「よくこれまで持ち堪えてきましたね」5年前に民間のカウンセラーにかけられた言葉だ、その時は感慨深かったが、そこから更に自分を見つめ直し学び続け認識を新たにする、その時はここまで自分に影響を与えていたことが判らなかった。

しかし今でも、人間関係に悩んだ時は「自分が悪いから」と引き受ける癖は相変わらずで自動的に発動する。思考が停止してグルグル思考に陥り、憂鬱と不安に苛まれ自己肯定感が下がり、承認欲求が高まり他者に依存し受け入れられないと、益々不安になり疲れ切ってしまう負のループだ。こうなってしまうと自分も世の中も混沌として人が怖くなる。

私にとって優しくない人との関りは辛い環境で、それは相手に合理的配慮を求めるという事かとか、優しくないから辛いとか考えるのは如何なものかとか悩ましい。どう適応していくかが課題、バランスが大事なのかもと今は考えている。

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アイスの蓋事件

2022-12-07 17:34:19 | かなしい記憶

中学生の時、アイスクリームの蓋で一つ違いの兄と揉めたことがあった。

兄妹が多いと食べ物の取り合いになる。冷凍庫にアイスクリームがあったので食べることにした、2種類2個あった、皮算用するとこのアイスクリームは兄と私のものになる。通常なら2個あったら三人兄弟の場合ヒエラルキーの関係で私の分は無い予定だ、しかし先着二名様なら証拠は隠滅される、後でごみ箱を見て妹に糾弾されるだろうが、現物が無ければどうしようもない。

妹の帰宅は遅い予定だった兄はそろそろ帰宅する、先着二名様だ、兄も私も好きではないアイスを選んで蓋を開けた。しかしふと思った「何故、私は好きなアイスを選んではいけないのだろうか?」兄の為に「なぜいつも自分が損をしなければならないのだろうか?」いつもいつも嫌な役目は嫌だった。強い立場の者に損切りすればよかったのだが、家族の中でいつも虐げられることに嫌気がさしていた。思い直して嫌いなアイスの蓋を戻し好きなシャーベットを選んで食べた。革新的な気分だった。

兄はどうやら二個あったアイスの存在を昨夜のうちにチェックしていたようだ。帰宅後遊んでいたファミコンの手を止め冷凍庫に向かう、そして好きではないアイスしか存在しないことに憤慨し怒り出した。時間的に食べたのは私だと思い至り私の胸倉をつかんで問答になった。「俺のアイスを食べたな!」「俺のではないでしょ」いつも先着順という通り文句で好き勝手していた兄に、私が冷静に答えたら話の矛先が変わった。

「蓋を開けた形跡がある元に戻せ」「好きじゃないアイスだから戻したんだろう」「いったん手を付けたのなら責任を持って嫌いなアイスを食べるべきだった」正論ではある。しかしもう食べてしまったものは戻せない、アイスの蓋も然りだ。「いったん開けた蓋は開けただけだし、開けた蓋を無かった状態に戻すなど不可能だ、ならば買い直してくればいいのか?」「自分が食べたくないアイスだったから腹が立っただけでしょう」兄は激昂し胸倉をつかんだまま私を床に押し倒した、怖くなって必死に喋った「じゃあ、どうすればいいのよ!」兄は黙った、そして「自分で考えろ」と言った。

私は兄に組み敷かれて今にも殴られそうだ、睨み合いながらこのシュールな状況を遠くから眺めている感覚と、どうしたらこの状況が改善されるのか必死に考える自分がいた。謝っても許されない場合、どうしたらいいのか私には今もわからない。今思えば、これは兄が「思い通りにならなかった憤懣」を私に向けただけなのかなと思う。

私は「理解に困る=怖かった=暴力」回避したんだろうと思う、そして発達的な特性の為に記憶の整理が上手にできず、断片的に記憶した結果が今の「いいようのない不安」に繋がったのかもしれない。「誤った認知=自分が悪いから」に繋がったのかもしれない。

 

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中間子の悲哀

2022-10-09 22:03:36 | かなしい記憶

ある動画を見て中間子の悲哀を感じた。

姉(小1)妹(年少)弟(乳幼児)の三人姉弟が母と一緒に作業をする動画だ。

途中、中間子の妹が姉に絡んで叱られ自室で反省タイム、父親がフォローに向かって作業復帰、完成という流れだった。

中間子が作業復帰時、母親からの「反省した?」との声掛けに少しモヤモヤ…

中間子であった私から見ると中間子がさりげなく無下にされているなと感じるのだ。

途中で幼児に中間子の帽子がかぶせられた「私の」と声が出る中間子、ママと何度も声掛けしてるのに対応がなかった中間子、一番ダメダメなことをしてるのに最高の笑顔で微笑み合う母と弟をみている中間子。母に誰かこれ飲んで~と言われて私が飲むと手を挙げる中間子、忖度なく水がいいという姉。母の隣の定位置をおやつタイムに姉に奪われる中間子、私の席よと訴える中間子に今日は私の番という姉、ルールを守らないと遊び歌を歌われる中間子。

動画を通して母目線で見るとまた違う感慨も涌く。上手く楽しく作業をする姉、失敗したり暴走したりする妹、やんちゃをしても咎められない幼児の弟。中間子は問題ばかり起こす、姉に絡んでばかりで引っ込まないという風に見えるのだ。姉は妹にも弟にも気遣いがあるように見えるし、幼児の弟は笑顔笑顔で母としては何をしても癒しであろう。

母親はナチュラルにそうとしか思えないのだろう。姉目線で見たらまた違う感慨なのだろうけれど。最大限、母として3人を分け隔てなく対応しているように見えても、子供それぞれへの評価には個性や相性が加味されているように見えた。それを肌身で感じる中間子は努力しても姉にも弟にも敵わないが、なんとか食らいつこう母に評価してもらおうとしているように見えた。母をより笑顔にできるものが最高位なので何とか評価してほしいけど、中間子は個性が勝ってしまっているように見えた。

中間子が姉に盾突かず大人しければ母としては手間が省けるのだろうな、評価を受けたい中間子には難しい課題かもしれない、ましてや衝動性が勝る年代で多動的なら難しいかもしれないな。

ささやかな中間子の不都合に目を向けて欲しかったのは、多分私の願望なのだろう。

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高校の制服

2022-05-10 15:40:21 | かなしい記憶

踏みにじられたと感じるような思い出、かなしい記憶を書き換え中の私は、新たな気付きによって新しい認知に至るよう努力している。犬用洗濯機の出来事で掘り起こされた思い出がある、高校卒業後の私の制服についてだ。

辛い子供時代だった私にとって、高校卒業の頃には自己肯定感は下がりきり家族とはいい関係性ではなかった。そんな中でも高校時代は友人と呼べる人間関係を作ることができ、学業にいそしみ成果と呼べるものを糧にしてステップアップできた、貴重な思い出を作ることができた。しかし、卒業後遠方の進学先で一人暮らしを始めて気が付いたことは、自分が一人の人間としてあまりにも未熟だったという事だった。他者との関係性もストレスであったが、自分は社会的なマナーがまるでなっていなかった。田舎丸出しの交流方法は顰蹙をかっていた、大家さんや教務陣との関係性、サークルや実習先やバイト先との関係性、何が悪いのか分からず犯した失敗の数々は自分を打ちのめした。

夏休みに帰省した折に自分の部屋でくつろいでいた、うまくいかないことも多かったが何とか対処していくしか方法はあるまいと、高校での成功体験を反芻し思案していた。ふとクローゼットを確認したら高校の制服が無くなっていた、まるで成功がなかったかのように感じられた、拠り所がなくなった気がした。妹に聞いたら高校の友人にあげたという、校則違反の隠れ蓑に校則順守の長さの私のスカートが役立つと言った。「私の所有物」「勝手に断りもなく」「姉が買ったわけじゃない」「心が狭い」言い争いの果てに母が登場した、不公平な裁判官の母はもちろん妹の味方だった。「あなたは優しくない」「高校は卒業したんだから要らないでしょ」「妹は優しいから姉の制服を譲った」「妹に嫌がらせはやめなさい」「あなたは本当に心が狭い」「自分勝手なお姉ちゃん」もちろん納得などできなかった、どうであれ他人の所有物だったものを所有者に断りもなく他人に与えるのは横暴である。

何処まで行っても私は踏みにじられるのだと哀しくなった、制服は服とはいえ私の心の拠り所であっのだと思い至った。私の感情を慮れない家族なのは相変わらずだ、やっぱり私は勝手な人間なのか、だからうまくいかないのかと誤った認知に至っていたと思う。そして、なんで妹は悪びれもせず、言い争い中もその後も「自分は正しいことをしている」と自信にあふれているのが理解できなかった。

何故、他人の感情を踏みにじるのか。何故、大事なものだったと伝えても取り合ってもらえないのか。何故、哀しかったと伝えても謝罪してもらえないのか。今は、何故こんな関係性だったのか、母と妹の関係性や家族の病理にも考えが至っている、少しづつ吹っ切れている。私は変わると決めたから、もう自分が悪かったなんて自分を責めないと決めたから、よりよい人生を生きると決めたから、もう自分を責めながら生きる人生を送りたくないと決めたから、浄化して行動すると決めたから、きっとうまくいくと信じている。

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昼休み

2022-04-02 13:34:38 | かなしい記憶

中学生の頃の記憶は厄介だ、いじめや家族の問題が混沌としていて辛い。(五月雨に思いつくまま記憶の奔流と向き合う私は、今はこれが必要だと感じてアウトプットすることにする)

中学生時代、昼休み時間は学校中どこにも行き場がなかった、週や曜日ごとに各クラス使用場所が制限されていたからだ。割り当てられた校庭使用日に雨が降ると最悪だった。教室は針の筵なので居られない、図書室と体育館は他学年使用の割り当てだから過ごせない、保健室は他の生徒がいたし、先生の社交場だから入れなかった。

いつだったか学校中廻って、美術室も音楽室も絶望的だった日。最後に廻った体育館の外回りで同クラスの男子に遠くから指さされた、とっさに逃げた、剣呑な雰囲気だったのだ、プールのトイレと藪との境目に潜んだ、臭いし汚いし最悪な気分だった。

少し潜んでいたが、そろそろ5校時目が始まる、体育館の端から自分の教室に戻るのは時間がかかる、授業が始まってから入るのは間が悪いし、先生に激しく怒られた経験があったので避けたかった。時計を持っていなかったしチャイムが鳴ってからでは間に合わない、已む無く教室に向かうことにした。そこで先ほどの男子がまたしても私を指さした、どうやら探していたようだ、反対側に回ったが指図された他の男子に挟み撃ちにされてしまった。

「狩り」そう感じた、獲物の私は挟み撃ちにされて雪玉を前後からぶつけられた。クラスのほとんどの男子がいた、その中に真面目で優等生の学級長もいたのは驚きだった。怒りがわいた、居直って全員を眺めまわした、泣きわめかずに毅然と睨んだ、数人は見つめられて視線を逸らした。「罪悪感はあるんだ」そう感じた、狩りは本能で楽しかろうが、狩られる立場は楽しくない。

その後どうなったか記憶は曖昧で、幾つもの凍り付いた記憶の断片が浮かんでは消える。中学時代の辛い記憶がまだまだ埋まっているようだ。少しづつでも取り組んでいくのがいいのかもしれない、いつまでも抱えていなくていいと思う、辛い記憶の荷物を下ろしていきたい、私は私を助けたいのだ。

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