本願寺月光蟲です。
過去ファンレターを書いたのは2回。
とんねるずのノリさん。もう一人は内緒。
そして、腐るほどハガキを出したのは
三宅裕司さんだ。
彼のやってるラジオには祖母から貰ったお年玉などをかなりつぎ込んで出してた。
採用は1回されますた。
月曜日から金曜日まで二時間毎日三宅さんが話をしてて、それが面白くて。
もちろん今もファンだ。
当時確か三宅裕司さんはまだ30歳くらいでテレビにはほとんど出てなかった。
こっちは小学生から中学とまたいでて。
スマホもないし、親にも早く寝ろと言われ、電気がついてるだけで怒られるからラジオばかり。
三宅さんは80年代を代表する方で、ラジオは副業で本業は役者さんであり、劇団の座長さん。
三宅さんの劇団には寺脇や岸谷とかもいた。
音楽にも詳しくギターやドラムもできるし。
YMOなどとも仲が良くて。
私がいまだに三宅さんを好きな理由は自分の肩書きを喜劇役者だと言い切るところだ。
日本で喜劇役者と自分を紹介するのは三宅さんだけ。
喜劇役者って素晴らしいよなあ、と。
嫌味がないんだよね、三宅さん。
若い人達にしてみると司会者とかのイメージなんだろうけど、テレビで司会をやるのは劇団があるからなんだよな。
座長やる人って、金をテレビで稼ぐんだよね。
80年代は三宅さんがラジオで一人勝ちで、ゴールデンタイムはぶっちぎりで他の局を圧倒してたのもかっこいい。
90年代に入ると、三宅さんはテレビに。
ラジオは三宅さんが抜けたあと伊集院光の時代に。
テレビに三宅さんが出始め、司会をやり始める頃私も大人の階段を登り始めて社会人に。
夜はヒッパレ、って三宅さんが司会で、若い奴らがみんな見てたんだが、私は「三宅さん、なんでカラオケ番組なんか、、」と。
三宅さんが出てるから観てたら感覚が麻痺してきて、いつの間にかZ級芸能人が出てくるのを楽しみにみるようになった(笑)
三宅裕司さんをみるたびに80年代を思い出す。
実家時代に良い思い出はほとんどないんだけど、ガキの頃に三宅さんを知って色んな知識を得たのは良かったなあ、としみじみ思います。
もちろん、今でも大好き!
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